〈 行政刷新に不可欠と思うこと 〉
JT生命誌研究館
中村 桂子

 刷新会議の行なう事業仕分けにあたっては、国で行なう活動について基本的な考え方を持っていなければいけないと思っています。個別の事業のみで判断すると本当に大事なものを切る危険があります。本来、基本の考え方に基づく国の体制があり、それで動いたうえでのムダ省きでなければいけないのですが、今回はそれなしで動かざるを得ない状況にあるので問題が生じる危険があるでしょう。公けの場でムダについて考えることは重要ですので、今回の作業はその一歩として大きな意味を持つと思います。しかし、それはもう一度基本に戻って見直す一段階であり、これで結論と思ってはいけないでしょう。
 仕分け事業に参加させていただくにあたり私は少なくとも自分の専門とする分野については基本を持っていたいと思い、それをまとめました。あまり広げてはわけがわからなくなるので生命科学という狭い分野にしましたが、基本はすべての分野にあてはまると思いますし、それぞれの分野でこのようなことをきちんと考えることが望まれると思っています。もちろん一つの試みに過ぎず、考えの足りないところも多いと思いますが、このような機会が日本社会の体制を変えるきっかけになることを願ってまとめました。

〈 最先端科学としての生命科学研究の進め方 〉
JT生命誌研究館
中村 桂子

 生命科学は、科学技術創造立国を支える重要な分野の一つである。DNAの二重らせん構造が解明されて以降、20世紀後半の生命科学研究の進展は著しい。地球上の多様な生物はすべてDNAを含む細胞でできており、微生物、植物、動物、そしてヒトまでもが共通な構造と機能で語られるようになった。科学としての確実な基盤ができ、科学技術開発の可能性が生れたのである。とくに組換えDNA技術の開発以来、ヒト自体の研究が可能になり、生物医学が確立し、新しい医療の可能性を打ち出した(遺伝病、生活習慣病の原因究明から、予防、治療の探究)。その他、農学、環境への応用も重要である。

1.基礎科学研究の必要性
 生命科学には、これまで述べたような可能性があるが、ここで確認しておかなければならないのは、生きものについてはまだ解明されていないことが多いので、基礎科学が非常に重要であるということである。
 もちろん、これまでの知識をもとに可能な技術開発は進める必要があるが、より重要なのは、長期的視野で「生きものを基盤にした科学技術の体系(これまでの物理的世界観のみでなく、ヒトが生き物であることを含めた「多様性に根ざした生物的世界観」を取り入れた体系(環境や人口問題などが喫緊の課題))をつくることをめざして今行なうべき基礎研究を疎かにしないことである。
 このような考え方を基本にした研究を進めるには、それを可能にする体制が必要である。現在はそのような体制になっていないために無駄が生じているのであり、個別の無駄を言う前に体制を考えなければならない。

2.科学技術という言葉ですべてを扱う問題点
 現状の問題点は、このような生命科学の現実を踏まえることなく、科学技術創造立国という言葉の中で短期間に生命科学から大きな成果が出るかの如き幻想をつくりあげ、大型プロジェクトを動かしてしまったところにある。

参照:平成  9年 科学技術基本法
平成11年 科学技術基本計画
平成13年 総合科学技術会議 発足

 このように、基礎研究まで科学技術という言葉の中で考えなければならない体制になったために、常に基礎科学の充実が唱えられながら、現実は、期間をきめて(そのほとんどは5年以内と短期間)、実用的(具体的には産業と結びつき、経済効果を出す)成果をあげることを求めるプロジェクトが動くことになった。基礎研究が不可欠である生命科学研究の場合、このような方法は決してよい成果につながらない。
 基礎研究あっての技術開発であることを肝に銘じて着実な政策を立てるためにも、「科学および科学技術」という言葉を取り戻す必要がある(たかが言葉と考えている人が少なくないが、人間は言葉で考えるのであり、言葉を正確に使うことは非常に重要である)。

参考: 二重らせんの発見者の一人J.D.ワトソンと米国科学アカデミーの会長であるB.アルバーツを中心にして著された教科書「細胞の分子生物学」(現在の生命科学の基礎を扱った教科書)の序文が、基礎科学の重要性がますます増していることを示しているので、参考資料としてあげる。
細胞の分子生物学のまえがき
第1版(1983年)
科学の進歩は不思議なものである。次から次へと情報が蓄積されると、それまで脈絡のないようにみえた事実につながりができたり、不可解な謎に合理的な説明がついたりし、混沌とした中から単純な姿が浮かび上がってくる。そして、自然界の基本法則がしだいにはっきりしてくる。今日の細胞生物学にもそれがいえる。

第3版(1994年)
細胞生物学を概説する場合、生体機構の無限ともいえる多様性と、あらゆる細胞の活動機構の根本的な同一性と、どちらによりいっそうの驚きの目を向けるべきか、判断はむずかしい。

第4版(2002年)
もはや18年前のように、複雑さの中から最後には単純さが現れるだろうなどと確信をもって言えなくなっている。細胞に備わるしくみの並はずれた精巧さは、今世紀も細胞生物学者たちにとって挑戦すべき目標となるだろう。

3.現在の体制の問題点と改善の提案
1)総合科学技術会議
 科学技術基本政策、予算・人材の配分、研究開発の評価を一元化して総合的に行なう組織の存在は必要である。しかし、生命科学の健全な進展と良質の成果を求めた場合、現在の総合科学技術会議は充分な機能を果しているとは言い難い(現在の議員への不満ではなくシステムとして機能していないということである)。

科学および科学技術を適確かつ有効に進展させるには、
  • 学問と社会の両面から今行なうべき研究の全体像をつくる。
  • その中で、これまでの研究を踏まえて今可能な研究の具体的な計画をたてること、その中で必要とあれば重点的に進めるべきものをプロジェクトとして提案すること、この二つが必要である。この作業には、研究者自身が関わること、しかも世界での研究動向を知ったうえで公正な判断ができる研究者が関わることが不可欠である。しかもこの過程は開かれたものになっている必要がある。
これを具体的に行なうには、総合科学技術会議が
  • 上記の過程ででき上った研究者グループからの提案を受ける(予算も含めて)
  • その提案を総合的立場から評価し、実施するか否かの判断をする。
  • 実施する研究に必要かつ充分な(できるだけということになるだろう)予算措置をする。
  • このようにして行なわれたプロジェクトの評価を厳正に行なう(これが最も重要である)。プロジェクトの選択そのものが適切であったか、研究が適確に進められたかを評価し、次のプロジェクトの選択の資料とする(現在、評価の重要性は指摘されており、実施もされているが厳正とは言い難い)。
 以上の作業を開かれた中で行なうことにより、研究が進み、その成果の技術開発への連動が可能となる。


2)科学研究費
 生命科学研究を支える最も基本的な研究費が科学研究費であり、これは、更なる充実が望まれる(もちろん、国家予算全体の中で、研究費がどれだけであるのがよいか、また現実にどれだけが可能かの議論があったうえでのことであるが)。
 科学研究費は、大きく分けて重点的資金と個人の研究を支えるものとがある。個人の研究を支えるものの配分は、研究者からの申請と研究者による選択というシステムが適確に動いている。これについての問題点は、選択率が30%以下と低いことである。近年、大学の法人化と共に従来大学内で配分されていた運営費が減額され、研究費は科研費に頼らざるを得ない状況にあるが、大学での研究を支える費用を最低限保証することは不可欠である(競争と言っても、年間数10万円というような額では、競争に参加することもできない)。
 重点的資金についても、さまざまな問題はあるが、基本的には、研究者による評価を行なう歴史があり、これは続けていく必要がある(この評価も決して満足いく形とは言えないが、少なくとも研究者の意見で動いている)。たとえば近年重点的になされたCOE(Center of Excellence)構想は、本来の世界的拠点という目標は難しいにしても(このような拠点は予算措置でできるものではないし、予算としても今回の額では難しい)、とくに地方大学、私立大学などで、特徴ある研究拠点の実現、若者の育成などで、ある成果をあげた。このようなプロジェクトは継続が重要だが、5年毎に新しいことを始めなければならない現在の政策は「継続」に重点を置いていない。継続の重要性を強調したい。
 最初に述べたように生命科学は基礎研究が重要なので、このような個人のアイディアや能力を生かした研究(数百万〜1000万円の予算)に基本を置き、そこから出た芽をすばやく伸ばすシステムを早急に作る必要がある(現在米国はこの種の予算を伸ばしている)。


3)生命科学研究を支える体制の問題点
 生命科学の基礎研究は、大学や国公立の研究機関で行なわれ、その技術への展開は、主として民間企業に求められる。この間をつなぐいわゆるTranslational Researchをどのように進めるかは、経産省(産業技術)、厚労省(医療)、農水省(農業)、環境省(環境)などの省の政策と予算措置が重要になる。
 現在の問題点は、これらを総合的な視点から統括し、国としての研究、技術開発を有効に進める体制がないことである。
 まず基礎研究に関しても、文科省(文部省と科技庁の合併)の科学研究の基本を担当する研究振興局の中に独立してライフサイエンス課がある。これは元科技庁の組織が移行した形である。本来学術研究助成課および研究機関課の中で、科学全体の中の生命科学を位置づけるところにこれだけが存在するために、科学行政が、科学技術行政と混同して行われてしまうところがある。また独立行政法人として日本学術振興会と科学技術振興機構があり、学術と科学技術とに分かれた支援を行っていることは、ボトムアップの科学政策と、トップダウンの科学技術政策とを分けて行う点で優れているが、少なくとも生命科学に関しては、文科省内での学術政策と科学技術政策とを、調和あるものにしていく必要があり、国としての総合的政策を進めることが求められる。
 更に、省庁間の横の連携をつくり、「オール・ジャパン」での政策を持ち、戦略、戦術を立てていかないために無駄が多すぎる状態になっている。
 米国の場合を見ると、NAS(National Academy of Science)、NIH(National Institute of Health)、NSF(National Science Foundation)を中心に、科学者による判断をする体制ができている。すべてを米国型にすることがよいとは言えないが、学ぶところは多い。
 現場の研究者が納得できる体制をつくること、一方研究者は我が田に水を引くことだけを考えず、世界の流れをよく見て、今何が大事か、何ができるかを真剣に考える必要がある。
 「選択と集中」という言葉に振り回され、小さな研究の芽を育てる本来の姿をバラまきの一言で否定してきた近年の流れを見直し、真の科学技術創造立国に向けての体制を作らなければ、研究者が考えることをせず、若手が育たず、十年先が恐い状況になることを恐れる。


 最後に、研究者や官僚など研究に関わる人々の中に、これからの科学、科学技術、研究、大学などのあり方について深く考え、行動している人は少なくない。それなのになぜ無駄が生じたり、本当に必要な所に資金がまわらなかったりしているのか。若い人が育つようになっていないのか。今、「私を捨てて考える人」の力を合わせてよい体制を作らなければ日本の知は危ない状況にある。
 ただ資金を削ればよいのではない。必要なところを削ったら将来に禍根を残すことになる。これを機会によい体制づくりへ向けて動いて欲しい。

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