論文
Yasuko Akiyama-Oda and Hiroki Oda
Hedgehog signaling controls segmentation dynamics and diversity via msx1 in a spider embryo
Science Advances 6, eaba7261 (2020)
オープンアクセス論文(CC BY 4.0)
解説
概要
ヘッジホッグシグナルと呼ばれる細胞間情報伝達システムの働きに注目し、オオヒメグモの卵を用いたゲノム規模の解析を行って、節足動物のからだの繰り返し構造(体節)の基となる空間的周期パターンを生む仕組みを解明しました。オオヒメグモでは、からだの頭部・胸部・後体部の3領域で遺伝子発現が示す周期パターンの現れ方に違いがあることが分かっていましたが、今回の研究では、既知の2種類の遺伝子発現の波に加えて第3の波の存在を示し、それらの波がからだの3領域に対応して空間的周期パターンへと転換することを明らかにしました。さらに、これら3つの波が示す異なる振る舞いすべてが、ヘッジホッグシグナルによって負の制御を受けるmsx1遺伝子を介して制御されていることを証明しました。遺伝子発現の周期パターンはすべての節足動物の胚で共通して観察されますが、その形成様式には多様性があることが知られています。今回のオオヒメグモでの発見は、多様な波の振る舞いが大きなひとつの仕組みによって支配されていることを示した点で注目されます。この研究成果は、動物の祖先が有していた体節形成の仕組みとその多様化機構の理解に繋がることが期待されます。今回発見した仕組みは、脊椎動物の四肢やヒレに見られる空間的周期パターンの形成の仕組みとも共通点が見られ、動物のからだにある繰り返し構造の起源に迫る研究成果です。オオヒメグモ胚のシンプルな細胞構成は今後の理論研究への展開にもメリットがあります。
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背景
動物のからだの軸に沿った繰り返し構造は、卵の中の胚において形作られる体節と呼ばれる繰り返し単位に由来します。この体節が形作られる過程(体節形成)は、生物において空間的周期パターンがどのような仕組みで作り出されるかを理解するための格好の研究対象であり、これまで理論と実験の両面から研究されてきました。特に、ショウジョウバエの仕組みは、高校の生物の教科書にも大きく取り上げられているように、詳細に研究されています。しかし、この仕組みは、昆虫の初期発生が細胞間の仕切り(細胞膜)が未完成のまま進行することに依存したもので、節足動物に共通の仕組みではないと考えられます。祖先の動物でどのような仕組みにより周期パターンの形成が成立したのか、また、その仕組みがどのように多様化したのかは、まだ分かっていません。昆虫以外で仕組みを解明できるモデル生物は乏しく、研究が進んでいませんでした。
研究グループは20年前から、身近に生息するオオヒメグモを基礎研究に用いるために技術面の開発を行い、分子発生学的研究を展開してきました。このクモの有用性は海外の研究者に広く認知され、国際的なゲノムプロジェクトが実現するに至っています。研究グループはこれまでに、オオヒメグモ初期胚において、ヘッジホッグが将来の頭部側で発現し、ヘッジホッグシグナルがからだの頭尾軸に沿ったパターン形成を制御することを見出していました。そして、体節の基となる遺伝子発現の空間的周期パターンはからだの頭部・胸部・後体部で異なる様式により形成されることを明らかにし、頭部では時間的に反復される既存の遺伝子発現波の分裂(スプリット)で、後体部では遺伝子発現のオン/オフの反復(振動)によって引き起こされる新たな遺伝子発現波の発生で、空間的周期パターンが形成されることを示してきました。しかし、ヘッジホッグ遺伝子の機能阻害胚で周期パターンの形成が全く起こらないことは分かっていたものの、ヘッジホッグシグナルと空間的周期パターンの形成をつなぐ仕組みは未解明でした。
研究の成果
今回の研究では、ヘッジホッグシグナル経路を構成する遺伝子成分のうち、正の制御因子としてヘッジホッグそのもの、負の制御因子としてパッチトに注目し、RNA干渉とRNA sequencingを組み合わせた方法*5によって、オオヒメグモ胚のパターン形成時にヘッジホッグシグナルの制御下にある遺伝子をゲノム規模で網羅的に探索しました。
第1の成果は、この探索でヘッジホッグシグナルにより正または負に発現制御を受ける遺伝子を多数発見し、これらの遺伝子が頭尾軸上の様々な領域に発現することを明らかにしたことです(図1)。ヘッジホッグシグナルの制御により、初期胚の頭尾軸上に多様な細胞状態が形成されることが示されました。同時に、ゲノムプロジェクトで築かれたリソースを活用したこの実験方法が有効であることも示されました。
図1.ヘッジホッグシグナルの制御下にある遺伝子のゲノム規模での網羅的探索
第2の成果は、ヘッジホッグシグナルによって負に発現制御を受ける遺伝子の多くが、ヘッジホッグのシグナル源から最も離れたからだの後端部付近から発現が開始され、波のような振る舞いを示すことを発見したことです。msx1はこのカテゴリーに分類された遺伝子の1つで、その遺伝子発現波は早いタイミングで現れ、将来の胸部領域まで伝播した後に3本の縞に同時に分割しました(図2)。このmsx1の遺伝子発現波は、既知の2種類(頭部と後体部)の遺伝子発現波に先行して現れて胸部の空間的周期パターンを生むことが示されました。最初のmsx1の遺伝子発現波が過ぎ去った領域では、msx1やヘッジホッグを含む様々な遺伝子の発現が新たに始まり、異なる位相で振動して後体部の空間的周期パターンが形成される様子も観察されました(図2、黄色線の右側の領域)。
図2.msx1遺伝子の動的な発現(マゼンタ色)
第3の成果は、頭部・胸部・後体部の波の振る舞いがすべて、ヘッジホッグシグナルによって負の制御を受けるmsx1を介して制御されていることが明らかとなったことです。msx1遺伝子の機能阻害胚では、ヘッジホッグに支配された頭尾軸に沿った初期段階のパターンは形成されるものの、空間的周期性を生み出す遺伝子発現の動的な振る舞い、すなわち、頭部での既存の波の分裂、胸部での同調3分割、後体部での振動波の生成がすべて阻害されました(図3)。
これらの結果から、オオヒメグモのからだの空間周期性を生む多様な波の振る舞いが、msx1遺伝子が介在する大きなひとつの細胞間情報伝達の仕組みによって支配されていることが分かりました。
成果の意義
ⅰ)本研究では、動物の体節形成の仕組みに関して、昆虫を除く節足動物で最初のゲノム規模の解析を行い、その結果として、昆虫で築かれた知識とは大きく異なる仕組みを見出しました。この事態は、細胞間の仕切りが未完成な状態で進行する体節形成と、細胞間の仕切りが早くに確立された状態で進行する体節形成の違いを反映したものと考えられます。節足動物以外の動物を考えると、後者の状態が祖先に存在したと考えられるため、今回の研究成果は、節足動物の祖先での体節形成の仕組みとその多様化機構の理解に繋がることが期待されます。
ⅱ)空間的周期パターンを生む遺伝子発現波の振る舞いを研究するモデルは他にもありますが、今回の研究成果は、多様な遺伝子発現波の振る舞いをひとつのシステムの中で研究できるモデルを示した点で斬新さを持ちます。高度な技術、扱いやすさ、シンプルな形態を生かせることで実験研究及び理論研究の両面で発展が期待できます。
ⅲ)今回発見した仕組みは、多数の細胞からなる広い場にヘッジホッグシグナルの活性で極性が築かれ、そこに空間周期性が生まれるという点で脊椎動物の四肢やヒレのパターン形成の仕組みとも類似しています。脊椎動物の四肢やヒレの進化では、ヘッジホッグシグナルが関わる遺伝子制御ネットワークが多様に変容していることが知られています。節足動物の体節形成の進化においても、同様に遺伝子制御ネットワークの変容があったと推測され、それらの遺伝子制御ネットワークの追究を通して、動物のからだに見られる繰り返し構造の起源に迫れると考えています。
[特記事項]
本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業の(基盤研究(C) 課題番号26440130, 17K07418, 15K07139)の助成を受けて行われました。
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