生命誌ジャーナル 2009年 冬号

TALK — 対話を通して —

年間テーマ「めぐる」
地球をめぐる風と水と生きもの:石 弘之×中村桂子

 新聞記者として世界各地を訪れ、人々の暮らしを環境という切り口で捉え、問題点を指摘する報告から多くを学びました。その後の国連職員や大使としてのアフリカでの活動、大学教授としての環境学の確立も大事なお仕事です。「地球全体での循環(めぐる)を知ったうえで、各地の自然と人々の暮らしから、それぞれの生き方を探るのが地球環境問題への向き合い方だ」。この対談でまたたくさん学び、考えをまとめることができ感謝です。(中村桂子)
石 弘之(いし・ひろゆき)
1940年東京生まれ。東京大学卒業後、朝日新聞社に入社。編集委員、ニューヨーク特派員などをつとめる。東京大学大学院教授、駐ザンビア特命全権大使、北海道大学大学院教授を経て、2008年より東京農業大学教授。この間、国連環境計画上級顧問、国際協力事業団参与などを歴任。国連ボーマ賞、国連グローバル500賞など受賞。著書に『地球環境報告』『私の地球遍歴』ほか多数。

1. サハラからアマゾンへ
(中村)
 私の子どもの頃は地図にまだ白いところがありましたが、今はすべてわかっていますし、さまざまな地域の情報も手に入るので、なんだか地球全体を知っているような気がしていますけれど、やはり現地を知ることが大事。でもなかなか行けない所ってありますよね。ところが石さんは、あらゆるところを訪れている。何カ国ですか。
(石)
 130ヶ国前後かな。
(中村)
 ほとんどですね。
(石)
 でも国連加盟国だけで192あるもん。
(中村)
 でも130ヶ国を回ってる人はそういないでしょう。
(石)
 それが商売みたいなもんですからね。
(中村)
 地球上のあらゆる現場を巡り歩いて、科学とジャーナリズムの目から私たちが知るべき事を発信し続けていることだけでなく、全体の関わりを考えていらっしゃるところが魅力です。まずは一番ホットな話を教えてくださいな。
(石)
 今回のテーマの「めぐる」は「循環」と理解すると、地球上には我々が予想もしていなかった循環があるのが面白いと思っているので、まずはその話をしますね。カリブ海の南にあるトリニダード・トバゴという島国に3月に訪れた時のことです。陽光さんさんたるカリブ海と思いきや、曇り空から目の粗い砂が降ってきた。地元の人に聞くと、サハラ砂漠から飛んできた砂だという。大西洋を越えて、7千キロの距離を飛んできたのです。
(中村)
 地球の反対側ですね。
(石)
 砂塵といえば日本では黄砂など迷惑なものとだけ思われていますが、最近の研究で実は地球の生態系になくてはならない存在であることがわかってきたんです。サハラ砂漠で砂嵐に出会うと、窒息しそうな感じですよ。「ドカーン!」ときたら、ありったけの布を体に巻きつけて小屋の隅にうずくまって耐えるしかない。年間20億から30億トンの砂塵が巻き上げられて、一部は上空2〜3キロまで舞い上がり、貿易風に乗って大西洋を渡っていきます。砂塵にはカルシウムやナトリウム、マグネシウムなどの無機塩類が大量に含まれていて、重い砂は途中でこぼれ落ちていくので、砂塵の通り道の下は生きものが非常に豊かですね。おおよそ1割が大西洋の取り分なの。
 大西洋を越えた砂塵の半分はフロリダを中心とした北米に、残り半分は中南米に運ばれます。フロリダの夕日がきれいなのはなんてことはない、砂塵に夕日が映えているからなんですよ。また、フロリダ沖の赤潮の大発生は、サハラ砂塵が大量に飛来した直後に起こることがわかりました。赤潮の原因はトリコデスミウムというラン藻で、これは鉄分が増えると大発生する。紅海が「red sea」と呼ばれるのは、鉄分を含むサハラ砂塵が引き金になって頻繁に赤潮になるためです。同じようにフロリダでも砂塵によって赤潮が発生すると考えられています。
(中村)
 スケールの大きい話ですね。
(石)
 悪い面を言うと、最近カリブ海の島々では土壌菌由来の特殊な肺炎が発生していて、その菌はどうやらサハラ砂塵にくっついて運ばれてきた可能性がある。高度が高ければ乾燥しますが、低空で飛来すると、海面の湿気によって生き残る可能性が高い。
 一方でプラスの面もあって、アマゾンの生態系は閉鎖系で、95%の物質が森林の中で循環しているけれど、5%は落葉などの形で川に落ちて海に流されてしまいます。毎年5%ずつ塩類が減っているにもかかわらず、6千万年も生態系を維持してきたのは、サハラ砂漠から砂塵の補給があるからです。
(中村)
 欠けた5%はサハラからきているので収支が合うわけですね。
(石)
 オランダの研究チームが、年間にアマゾンの1平方キロメートルあたり1120グラムの砂塵がサハラから飛来して失われた塩類を補給していることを明らかにしたんですよ。単なる砂塵といっても、いろいろな意味合いをもっていることがわかって面白いですよ。
 
2. 砂が支える生態系
(石)
 日本では11月から5月にかけて、中国奥地の砂漠から黄砂が飛んでくるでしょ。車の屋根が黄色くなるとか、雨戸の桟の下にうっすら砂が溜まるとか。
(中村)
 東京にいるとあまり感じませんが、大阪では実感しますね。
(石)
 十数年前までは西日本が中心でしたが、最近は札幌でも観測されてますよ。黄砂も単なる洗濯物汚しの厄介者じゃないんです。日本に飛来する黄砂の量は年間100万から300万トン、1平方キロメートルあたり1〜5トンです。黄砂はアルカリ性の炭酸カルシウムを大量に含むので、上空で酸性雨を捕捉して硫酸カルシウムに変化する。冬から春にかけての降水量が増える時期、黄砂が酸性雨の日本への影響を弱めてくれているわけです。日本は火山性の酸性土壌で、作物にとってはあまりよくない。アルカリ性物質を含む黄砂が定期的に降り注ぐことは、土壌改良材を与えているのと同じ効果があることがわかってきたんです。
(中村)
 なるほど。健康被害や環境問題ばかり強調されているけれど、長い間続いてきた自然のしくみとしての意味が見えてきたということですね。
(石)
 今の生態系は黄砂に適応したとも考えられるわけでしょ。黄砂が飛来しなければ、日本は酸性土壌をいかした生態系がつくられていたかもしれませんよね。サハラ砂塵と同じように、黄砂はゴビ砂漠などで巻き上げられると、まず重い砂から落ちていくので、中国や韓国の被害は深刻です。日本の上空に到達する時にはだいぶ軽くなり、さらに軽い成分が太平洋を越えて、一部はアラスカまで運ばれるんですって。数年前にハワイの会議に参加した時も黄砂が飛んできましたよ。
(中村)
 地球の上空は砂が動きまわっているというイメージね。
(石)
 ハワイは太平洋の孤島にしては農業生産率が高くて、昔からパイナップルやサトウキビを栽培してきたのは黄砂が運んできた栄養塩が関わっている可能性が示唆されています。
(中村)
 砂塵の動きについていつ頃からわかっているのかしら。
(石)
 今、古今東西の名作から環境史を読み解く仕事をしているんですけど、一番古い記録は紀元前2千年の中国の殷の時代。日本では、松尾芭蕉が『奥の細道』の「尿前の関」という段で、現在の山形県のあたりで黄砂が降ってきたという記録を残していることがわかりました。黄砂は春の季語にもなっているので、昔からの関心事だったんだと思いますよ。黄砂の歴史はなかなか面白いです。特に日本は日記文学が発達していて、気象の異変や自然災害についての克明な記録が残されていますから、日記の考証からも歴史がかなりわかりますね。
(中村)
 自然現象としての黄砂のはたらきを知ると同時に、人間活動による砂漠化が飛来量を増やしていることについては。
(石)
 サハラ砂塵は過去50年間で10倍に増えています。その原因の一つが砂漠化で、オックスフォード大学のグーディー教授はそれを日本の責任であると指摘しています。なぜだと思いますか。
(中村)
 日本に特定されても・・・。
(石)
 サハラ砂漠の7割は土と岩からなる土漠や岩漠で、テレビで見るようなサラサラした砂丘は1割もないんです。残りの砂の表面は塩類や鉄分や有機物が固まってパンの皮のような層に覆われて、砂の移動が抑えられている。家畜が増えて過放牧になるとこの層が踏み抜かれます。しかし、それ以上に決定的なのが砂漠のあちこちを走り回る日本製の4WDで、車の重みで表面の層が破られてしまう。私がアフリカに最初に住んだ1970年代は、車といえばイギリス製でしたが、今は外国の援助団体から政府の公用車までみな日本製の4WDです。
(中村)
 なるほど。生活には役に立ってるのに。性能がよすぎてどこへでも行けるのがかえってマイナスとは。
(石)
 1986年に世界の最貧国の一つに数えられるチャドと、裕福な産油国のリビアが戦争を起こした時、リビアは旧ソ連から近代兵器を輸入して重装備だったのに対し、チャドは大量の日本製4WDを輸入して機関銃を装備して砂漠を機敏に動き回り、リビアの重戦車隊を破った。「TOYOTA」の大きなマークを付けた4WDが戦場を走り回ったので、アフリカでは「トヨタ戦争」と呼ばれています。ちょうど私は国連で働いていたので、「日本は武器輸出をしているのではないか」とからかわれましたね。それほど日本車は頑丈で砂漠も走れるわけですが、砂漠化に貢献していると言われると、ちょっとつらいですね。
(中村)
 どこへでも行けるというのは車としては誇ることなのに、それが土漠を砂漠にしているというのは確かにつらいですね。
(石)
 開墾の影響も大きい。アフリカの人口はすさまじい勢いで増えていて、ついに10億人を越えましたからね。食べるために耕地を確保しなくてはならない。それに、エネルギー源の九割は薪と炭ですから、樹木がどんどん伐られていく。世界の森林減少面積の半分はアフリカです。中国も急速に開墾が進み、砂漠が拡大しています。
 
3. 風と水の惑星
(石)
 循環を考える上で砂を運ぶ風は重要な要素ですが、これまでの生態学では、空は鳥やコウモリが飛んでいるくらいでからっぽの空間だとされてきたでしょ。ところが、実際にはとても豊かな生物相があることがわかってきて、風の神様の名前をとって「イオニア帯」といわれる空の生態系の研究が今面白い。タンポポやポプラの種子が風にのって運ばれるとは子どもの頃から知ってたけど。
(中村)
 動物もクモなど糸をパラシュートにして上手に飛びますね。
(石)
 地上600m〜1500mには、真夏には1立方キロメートルあたり、胞子や種子、昆虫から鳥まで含めて500万〜600万個体の生命体が存在するそうです。ヒマラヤの上空に大気汚染の捕捉機を置いたら、クモをはじめいろいろな生きものがかかりました。
(中村)
 そういう研究は今どこの国が熱いですか。
(石)
 アメリカが多いですね。ルイジアナ州の熱心なグループは、箱形の凧を125時間連続して揚げて、地上45mから600mの間で839匹の昆虫を採集したとか。アブラムシ、ハエ、アザミウマ、ヤドリバチ、コバチなどがいたそうです。
(中村)
 アブラムシやアザミウマ! 驚きですね。
(石)
 空中に今まで知らなかった世界があるんですよ。ヒマラヤ上空8000mを渡るアネハヅルという大型の鳥がいるんですけど、その話をすると生物学者は、零下50度で、しかも空気が非常に薄いのに飛べるはずがないという。私は実際にインドの保護区で、中央アジアからヒマラヤを越えて数百羽の群れが到着したところを見ました。よくもまあ、あんな苛酷の旅をするものだなと、感激しました。
 
(中村)

 風に注目するといえば、彫刻家の新宮晋さんが大好きなんです(註1)。空気の流れを計算して、いろいろな形の羽を組み合わせて作られた彫刻はいつも風で動いています。もちろん風の流れは一定ではありませんから動きも様々で、見ていて不思議で美しいのですが、実は先日新宮さんにいただいた本のタイトルが「planet of wind and water」、つまり地球は風と水の惑星だとあったのを思い出しました。風の重要性を改めて思いました。
(石)
 水と風の惑星というのはあたってますね。水の場合、栄養分は重力によってどんどん上から下に落ちていき、風や雨にさらわれて、いずれは川に流れて海に行く。何億年かすれば陸には何もなくなるはずなのに、海から陸に戻すものがいる。鳥でのグアノ(註2)が有名ですね。実は一番大きなはたらきをしているのが魚です。海から川を遡る魚類は何十種類といますが、サケが最も体長が大きく、カナダを中心にサケの循環の研究が進んでいます。サケは川を下る時はわずか数グラム、小指より小さい幼魚ですが、4年後に戻ってくる時は2〜4キログラムに成長している。海に流れ出た栄養塩がプランクトンのエサになり、それがサケの体を二千から三千倍まで大きくする。川の上流ではクマが待ちかまえています。クマは捕らえたサケの25%しか食べず、残りの75%は放っておきます。
(中村)
 それが土に戻るわけですね。
(石)
 ええ。冬眠前のクマは一頭あたり平均して700匹のサケを食べ、それに伴って陸地に還元される窒素は1ヘクタールあたり100〜200キロと計算できます。これは造林地の化学肥料に匹敵する量で、日本のシロザケの場合、一尾平均で130グラムの窒素と20グラムのリンを海から持ち帰ってくるそうです。
 川の周囲の樹木に含まれる窒素の量を比べると、サケが遡上する川は5割高く、同位対比を見ると海洋性のN15が圧倒的に多い。川から海に流れた窒素を陸の樹木に還元している証拠です。
(中村)
 そこまで調べられているんですね。サケの遡上をそういう見方をするとは、面白いですね。
(石)
 ピンポイントで産卵地に戻ってきますからね。カナダの人にはサケに対して一種独特の感情があり、先住民の彫刻にはサケをモデルにしたものが多く、政府もサケの保護に熱心です。サケが数年かけて太平洋を一周し、再び同じ川に戻るという物語を、つまりサケのナチュラルヒストリーが発達していたから、樹木の成長との関係に気付いたのでしょう。
 この20年間でアメリカとカナダでは、500箇所ほどのダムを取り壊しています。ダムで得られる利益よりも、サケの遡上を阻害した損失の方が大きいとわかったためです。
註1:新宮晋
【しんぐう・すすむ】
(1937−)
大阪生まれ。東京芸術大学絵画科卒業。ローマ国立美術学校で絵画を学ぶ。風や水によって動く作品を制作。『いちご』(文化出版局)などの絵本も手がける。季刊生命誌11号に対談を掲載。
註2:グアノ
海鳥などの糞が堆積して固まったもの。窒素・燐酸石灰を含み、燐酸肥料に利用される。
(中村)
 TVA(註3)の頃とは時代は変わったということですね。新しい時代に入っていると実感します。
(石)
 特に太平洋側のサケの遡上する川のダムは徹底的に撤去しています。ヨーロッパでもそうした活動が始まりました。日本は日本海側の大きな川の多くをダムで堰き止めてしまった。それこそ青森から山口まで海岸にはテトラポットが並んでいます。あれ醜いね。海岸もひどく痩せているし、最近は漁獲量も急減しています。珪藻は海の生態系にとって重要なプランクトンですが、ダムをつくると川の珪素がダム湖に沈殿し、海に流れ出さないので珪藻が育たなくなる。その一方でダム湖では珪藻が多すぎて汚染が進んでいる。
(中村)
 塵も積もれば山となると言いますが、ほんの少しの循環が狂うだけで、生態系がめちゃくちゃになることはありますね。
註3:TVA
テネシー渓谷開発公社。Tennessee Valley Authorityの略。アメリカ、テネシー川流域の開発のために1933年に設けられた公社。またその事業。世界恐慌に対してルーズベルト大統領がとったニュー-ディール政策の一環として実施。テネシー川流域の総合開発を行い、26基のダムと発電所を設置して、雇用対策と産業の発展を促した。戦後日本の水資源開発や地域開発のモデルとされた。
4. 木を植える
(中村)
 砂に始まり、風と水と続いて考えてきた循環、ここに人間がどう関わるかですね。
(石)
 循環という概念の始まりは、17世紀のハーヴィー(註4)の血液循環でしょう。最近では資源の再利用の必要性から、物質循環という言葉が使われていますが、うまくいっているようには思えませんね。我々が、今あるものをいかにうまく使い回していくかが、人類の将来にとって重要になってますよね。
(中村)
 69億人もの人がどう生きていくかという問題ですからね。
(石)
 そのために、この世界をどう変えていくか、手段はたくさんあるけれど、一番わかりやすいのは植林ですね。小さな苗が大きく育つのは目に見えますし。ところが、日本では昭和40年代に国民運動であちこちに木を植えて、今になって管理が大変という理由から全国で伐採論争が起きています。
(中村)
 えっ、ほんとですか。私の感覚では木を植える、木を守るという動きは今強まっているように思っていたものですが。山はもちろん、木は街の歴史を表していますし、なくなったら風景がつまらなくなるのに。
(石)
 海外への植林支援は盛んで、年間100を越えるチームが海外に派遣されている。中国は土地のほとんどが国有ですから、行ってももう植える場所がなかった、なんていうこともあるようです。企業の社会貢献として簡単でわかりやすいからといって、日本の海外植林は行き過ぎですよ。そもそも、アフリカには「植林」という言葉がないんです。木は神様の贈り物で、伐れば勝手に生えてくるものと思っている。国連で働いているとき、アフリカの人に植林という概念を持たせるのがとても大変でした。植えた木は家畜が食べてしまう。それを防ぐために柵を作ると放牧が不便になる。しかも、慢性的な燃料不足ですから、すぐに薪に使ってしまう。
(中村)
 植林をする側とされる側の意識の違いをふまえてないといけませんね。概念から変えるのは大変。
註4:ハーヴィー
【William Harvey】
(1578−1657)
イギリスの生理学者。血液循環の原理を発見。また、昆虫・哺乳類の発生を研究、「すべての動物は卵から生まれる」と主張。
(石)
 『キリマンジャロの雪が消えていく』(註5)というアフリカの環境の問題を集大成する本を最近書きましたが、アフリカで植林に成功した農村はとても農業生産が上がりましたよ。結論としては木を植えて自然を安定化させるしかないと思います。
(中村)
 私もナイジェリアの農業機関の理事として通っていた時に、アカシアとトウモロコシを交互に植えるアグロフォレストリーを熱心にやったんです。アカシアはマメ科だから、根粒菌が土の中で窒素を固定するから肥料がいらない。葉っぱはヤギが食べ、幹や枝は薪に利用するというシステムです。子どもがヤギのミルクを飲むのです。
(石)
 うまくいきました?
(中村)
 ええ。少なくとも研究所が関わっているところは、今も続いています。
(石)
 アフリカは飛行機に乗るのも大変でしょ。席をとるためにチケット持って走りました? 発券カウンターでは我先にと折り重なってチケットをつかみ取り、誰かに席を取られてしまえばチケットを持っていても返金されない。
(中村)
 ははは。席を取られた体験は幸いないのですが、飛行機は割合裕福な人が利用するから、みなヨーロッパでたくさん買い物をして、持ち込み禁止の大きな荷物を関税をすり抜けて滑り込ませる現場には始終出会いました。機内は大きな荷物だらけ(笑)。
(石)
 わかりますね。アフリカのいいところであり悪いところでありますね。
(中村)
 長い間アフリカの問題に取り組まれてこられたのだけど、忘れられない出会いはありますか。
(石)
 現地に行くと、気の利いた子を助手にして調査を手伝ってもらうんです。別れるときに、いつも何か好きなものあげるよって言うんですが、「鉛筆ほしいです。いつの日か学校戻れるから」と言った子がいて、とても印象的でした。元気だったらいい年になっている。学校に戻らなかったかもしれませんがね。
註5:『キリマンジャロの雪が消えていく』
石弘之著。岩波新書。
5. 地球全体で考える
(石)
 「めぐる」と言えば、絶海の孤島にも生きものがいるでしょ。ガラパゴス諸島は火山島だから、噴火直後は生きものが暮らせる環境ではなかったはずですよね。数百万年に渡って、風や水によって生きものが運ばれてきたために、多くの固有種からなる独自の生態系がつくられたわけでしょう。ところが最近、帰化植物の種数が固有種である500種を追い越してしまったんですって。これは、風と水以外に、人間という要素が生きものを動かしているためでしょう。
(中村)
 動かしたらどうなるかを考えずに、わからないままに動かすから。しかも風や水に比べて短時間でたくさん運びこむわけでしょ。
(石)
 ナイジェリアに通われていた時、並木道の真っ赤なカエンジュを見たでしょう。あれはマダガスカル島原産で、17世紀に7つの海を支配したイギリスが世界中の熱帯地域にばらまいたもので、熱帯アジアにも中南米にも植えられています。たしかに綺麗な並木道だと思うけど、世界の自然や植生をめちゃくちゃにしてしまった例ですよ。
 イギリスは、植民地時代に全アフリカの樹木の3〜4割を伐採したために、その影響で現在の乾燥化が引き起こされたという説もあります。
(中村)
 なんのために伐ったのですか。
(石)
 本国で利用する木材と開墾のためです。15世紀末にバスコ・ダ・ガマがインド航路を発見した時には、既にポルトガル本国では造船用の資材が枯渇していた。それで、アフリカまで来て、沖の島で木を伐り船を造っていたのです。
 資源の由来を調べると、人間活動の歴史と自然への影響が見えてきて面白い。たとえば京都の寺院は、建立時はすべて近畿地方、応仁の乱の焼失の後は九州、明治の大改修では台湾から木材を集めている。
(中村)
 台湾まで行ったんですか。
(石)
 大寺院の建立に必要な大きさの木が国内では手に入らなかったんですね。今、500年後、1000年後の文化財のために木を植えようという運動が起きていますよ。
(中村)
 木が育つ長い時間を考え、計画的に利用するという循環まで考える時代にしないといけませんね。
 私は子供の頃から歴史が好きだったのですけれど、この頃ふと、歴史的な事柄の中心は、すべて戦争だと気付き、人間の歴史は破壊の歴史だったのかなあと思っているんです。今までは領土を広げて耕作地を増やそうとか、植民地から何か奪うとか、自分の国を中心に考えていたわけです。私の小学校の教科書にはリビングストン(註6)の話が載っていたんですけれど、ご存知ですか。
註6:リビングストン
【David Livingstone】
(1813-1873)
イギリスの宣教師・探検家。1841年以来アフリカ奥地の探検を続けた。白人として初の大陸横断者。ビクトリア湖やマウライ湖を発見。奴隷貿易の廃止に貢献。
(石)
 もちろん知っています。私がアフリカにのめりこんだのは、リビングストンに入れ込んだのが大きな理由ですからね。
(中村)
 危険に身をさらして、大変な苦労の末にアフリカ大陸を横断したという物語りは、未知の場所があったことを語っているわけでしょ。今は地図に白いところはなく、地球全体がつながっていることが実感できる時代になったのですから、もう領土を広げるという感覚はないわけでしょ。自分の都合だけを考えて行動するのは終わりにしないと。私たちは20世紀後半から21世紀の初めにかけて、地球の隅から隅まで、それぞれの地域に自分と同じ人間の暮らしがあるという世界観をつくったわけです。
(石)
 知らず知らずのうちに、世界観が変わってきたのでしょう。
(中村)
 そういう面もあるし、私たちがつくったとも言える。ですから、今までと同じことを続ける時代ではないとつくづく思うんです。トリニダード・ドバコに降る砂塵はサハラ砂漠から飛んできたというように、地球全体のイメージを持って、これからどうするかを考えなければ。アフリカの森林と私とは無関係ではないことがわかっているのですから、今は転換点にいると思うのです。
(石)
 1980年代の後半に、岩波新書で『地球環境報告』という本を書いたら、結構売れました。「地球の」環境報告を書いたつもりだったんだけど、読んだ人は「地球環境の」報告と受けとった。専門家だけでなく一般の人も、人類と地球は一蓮托生だということを理解し、環境問題に対する意識を劇的に変化させた時ですよ。自分ではまったく意図していなかったけど、日本で最初の「地球環境」の四文字成句の本なのです。「地球環境」ってなかなか英語になりにくい言葉ですが、日本人は大好きですね(笑)。
(中村)
 「地球環境」という感覚をもつことはできても、それを基本にして考えていくことはまだまだですね。
6. 日本のナチュラルヒストリー
(石)
 17世紀に備前の儒学者の熊澤蕃山(註7)が『大学或門』という面白い本を書いています。これは、明治時代に日本から世界に向けて最初に学術書として英訳された本の一つで、その中で「禿げ山を緑の山に戻したければ、ヒエや粟を蒔きなさい。できることなら枯草や枝で隠しなさい」とある。そうすると鳥が飛んできて、ヒエや粟をついばみ、糞と一緒に種を落とす。それを繰り返すうちに種から芽が出て山に植物が生い茂るというわけです。実際に松山城の築城によって赤土がむき出しになった一帯がこの方法でみごとな森になりました。彼は、ドイツのヘッケルがエコロジー(Ökologie)(註8)の概念を打ち立てる200年前にそれに近い概念をもっていたんです。
(中村)
 熊澤蕃山がそのようなことをしていたとは知りませんでした。日本の文化には自然の中で暮らす意識がありますから、自然の力にまかせるという感覚、日本人としては自ずと生まれる考えなんでしょう。
註7:熊澤蕃山
【くまざわ・ばんざん】
(1619-1691)
江戸時代前期の儒学者。中江藤樹に陽明学を学び、岡山藩主池田光政に仕える。
註8:エコロギー
【Ökologie】
1866年にヘッケルによって提唱された、生物を環境との関わり合いの中で考える学問。生態学。ギリシャ語のoikos(家庭)とlogos(学)が語源。
(石)
 それをヒントにして自然農法をしたのが福岡正信さん(註9)。私は彼をとても尊敬しています。アジアの農民はソニーもトヨタも知らなくても、彼のことは知っていますよ。土団子に種を包んで蒔くというのは、熊澤蕃山にヒントを得たと言っていました。
(中村)
 日本では自然と生活がとても近いところにあるんだけれど、しかもその自然がみごとな変化をするから、変わるということが刺激になって考えるのかもしれません。環境が一定であれば、気にしませんね。
(石)
 それ言えますね。季節の変化ってたいしたもので、「あれは確か寒いときだったな」とか「梅雨だったな」とか思い出しますが、アフリカにはそれがまったくない。アフリカの天気予報は年に2回、雨期がいつ頃から始まり、終わるのか、そのどちらかです。
(中村)
 日本は毎日朝から何回も予報が出て、少しでも外れるとみな怒りますよね(笑)。
(石)
 だから、日本に帰ってくると莫大な費用をかけて精緻を極めた天気予報が新鮮ですね。長い間アフリカに住んでいると、記憶のとっかかりがなくて、どんどん物が覚えられなくなるんですよ。「アフリカ人は物覚えが悪い」と言う人には、アフリカに一度住んでみなさいと冗談を言います。
(中村)
 動詞で考えようということを言い続けているんですが、動いていることと考えることはつながっていること、改めて感じました。熊澤蕃山もそうだと伺ったわけですが、平安時代の「堤中納言物語」の中にある虫愛づる姫君も明らかにナチュラリストです。文学研究では彼女は既成の価値観に当てはまらないために病気と解釈されてきました。素直に読めば、生きものを見つめ、本質を見出しています。そうした自然との関わりは他所の国にはあまりないでしょ。
註9:福岡正信
【ふくおか・まさのぶ】
(1913-2008)
自然農法を営む。20数種類の種子を粘土に混ぜる「粘土団子」で緑化に取り組む。インドの最高栄誉賞、アジアのノーベル賞と称されるマグサイサイ賞「市民による公共奉仕」部門賞受賞。
(石)
 ギリシャ世界まで遡ればいるかもしれないけど、その時代にはいないでしょうね。江戸の本草学は、ナチュラルヒストリーの最高峰ですよ。
(中村)
 育種も盛んでしたしね。その食草園の向こう側には、九州大学の方からいただいた江戸の変化朝顔が咲いているんですよ。
(石)
 変わり咲きの朝顔ですね。以前に荻巣樹徳さん(註10)の植物園を訪ねて説明を受けましたが、江戸時代の園芸はすごいですね。そこで一番感激したのは江戸時代にオオバコの斑を競い合ったということです。オオバコなんて雑草でしょ。それを園芸化した好奇心はすごい。
(中村)
 荻巣さんは、子どもの頃近所のおじいさんについて歩いて伝統園芸を身につけたと言ってましたから、まさに江戸からものを受け継いでいるんです。こういう人を大事にしなきゃいけませんね。そして、それを生み出す環境がこの国にあるのだから、今それをいかさないともったいないと思うのです。
(石)
 本当にそうですね。私が大学の時に一番関心をもったのは、なぜ日本が明治維新の後にすんなりと近代科学に移行できたのかということでした。他のアジアの国はまず言語の断絶がありますから、母国語に翻訳できずに苦しむわけでしょ。ところが日本は進化論も分類学も難なく日本語に翻訳した。鎖国であったにもかかわらず、江戸時代を通してオランダ経由でヨーロッパの学問を吸収してきたからで、すごいことだと思います。
(中村)
 潜在的に受け入れる体制があったのですね。
(石)
 江戸時代末から明治にかけての日本を訪れた人が、日本の自然をどう見たかを調べていますが、絶賛につぐ絶賛で、読んでいてこそばゆい感じです。
(中村)
 その上に人情もあったからほめられたんでしょうね。

生命誌研究館の食草園で咲いた変化朝顔
註10:荻巣樹徳
【おぎす・みきのり】
(1951−)
ナチュラリスト。プラントハンター。山崎伝統園芸植物研究所所長。これまでに70種を超える新種や伝説的な植物を発見。著書に『幻の植物を追って』など。
(石)
 それに治安も。明治11年に日本を訪れたイザベラ・バード(註11)は、日本人の通訳を一人伴い日本全国を歩き回りましたが、不愉快な目や犯罪者には一度も会わなかった。「これがイギリスなら一週間以内に山賊に出会って丸裸にされていただろう」と書き記しています。
 ところが、それほどに自然を愛した日本人が、最近すっかりナチュラルヒストリーに弱くなっている。大学でも伝統的な植物学や動物学はほとんどが博物館のものになってしまいました。我々の世代はチョウやカブトムシが好きで、高じて昆虫学者になった人がたくさんいたのに。私も植物少年でひたすら植物を追いかけていた。今の子どもたちは、大人になって好きなことをそのまま続ける場所がないのは残念ですよ。自然をありのままに研究することは時代遅れとされているけれど、新しくて面白い知見はそういうことからが出てくるものでしょう。
(中村)
 そうした総合的な学問を新しい視点でやる人が出てこないと、面白くありませんね。
(石)
 つまらないですね。それは中村さんあたりの責任じゃないかな。DNA、RNAが生命の基本単位だなんて言われた時から生物学はおかしくなったよ。なぜ植物学をやめて新聞記者になったのかと聞かれたことがありますが、学生時代に私のやっている植物学は切手集めだとバカにされた。そのタイミングでDNA、RNAが出てきたので、植物学を断念したと答えました。あの還元主義が日本の生物学をしょうもなくしてしまったのではないかな。
(中村)
 恨み骨髄ですね(笑)。それをそろそろ終わりにしないといけないというのは生物学者の思っているところです。生命誌研究館を始めたのもそういう理由からです。DNAを否定するのでなく、それを生かして、ゲノムという新しい切り口を基本に新しいナチュラルヒストリーをつくるのが生命誌研究なので許して下さい。
(石)
 DNAを使った分類学では、新しい知見がいっぱい出てきて面白いですね。
註11:イザベラ・バード
【Isabella L. Bird】
(1831-1904)
イギリスの旅行家・探検家で、世界各地を旅して数多くの旅行記を残した。明治11年には東北、北海道を旅し、『日本奥地紀行』を執筆。
7. 「続く」を支える「めぐる」
(石)
 人類の抱える大きな課題の一つが人口増加をどう抑制するかでしょ。かつては戦争でリセットされてきましたが、大規模な戦争が減っている今、人間には解決不可能な問題です。
(中村)
 不可能? そう言い切られると。
(石)
 子供を何人産もうと自由ですもの。米国の生態学者のギャレット・ハーディンは「コモンズの悲劇」という論文でこんな比喩を用いているんです。共有地である放牧地に、より多くの利益を得ようとした一人の住民が放牧する牛の数を増やすと、ほかの住民もそれにならって牛の数を増やし、牧草は牛に食べ尽くされて共有地は失われる。短期的な利益は個人に帰するが、結局は全体がその損失を受けるわけです。同じように、人類が無制限に子供を産めば、地球は破綻するという。
(中村)
 それはその通りです。
(石)
 では中国のように子供の数を割り当てますか。みなノーと言うでしょうが、そうしないと人口は増え続けます。現在の世界の人口は69億人に近づいています。予測では2050年には91億人になる。91億人というと、現在の世界人口に、さらに中国とインドとインドネシアの人口を加えた数です。
(中村)
 ちょっと想像できませんね。
(石)
 1918年のスペイン風邪による死者は最大で約8千万人と推定されています。現在の人口に換算すると数億人を越えることになるけれど、現代医療はそれを食い止めるでしょう。人口は100億人をやや越えた程度で止まるというのは希望的観測で、これから100年の間、人類はどうしのぎますかね。
(中村)
 うーん。でも、それを戦争で解決するっていうのは変な話でしょ。
(石)
 私も嫌ですが、事実として過去はそうだった。でも、先進国に限れば出生率が低下していて、日本でも人口が減り始め、少子化に加えて急激な高齢化が起きているわけです。若い人たちはこれから我々の世代の老人を抱えて四苦八苦するわけですよ。
(中村)
 人間の問題になると面倒ですね(笑)。
(石)
 アフリカを見ていると、ひしひしと人口圧を感じますよ。数年ぶりに訪ねると風景が一変して、樹木はすべて刈りとられてトウモロコシ畑が広がっていたりする。貴重な野生動物の住む森も失われている。いよいよ地球の限界が来たなというのが私の実感です。
(中村)
 リセットがどういうかたちでおきるかと考えると恐いですね。
(石)
 一番可能性が高いのは飢餓ですね。世界の飢餓人口は10億人を越えました。これまでは先進国の食糧の余剰分をアフリカに回していましたが、世界的に資源が枯渇してきた今、いつまでそれを続けられるか。食糧と水は不可分ですから、水資源の枯渇の方が先だという人もいますよ。そうなった時に伝染病が大流行すれば人口は相当減るでしょう。石油にしても、このまま値上がりが続いて1バレル200ドルを超えたら、燃料を入手できず、寒さで凍え死ぬ人が出てくる。否応なしに困難な事態が起きると思います。
(中村)
 人口推移のグラフを見ると、有史以来ゆるやかに増加し、14世紀のペストでかたっと落ちて、産業革命を契機にほぼ垂直に上昇するでしょう。この100年のカーブを見て、その頂点にいると考えると、恐いです。
(石)
 我々は一所懸命マラソンしたりダイエットしたり、日々長生きする努力しているじゃない。昔はガンと言えば天命でしたが、今は手術や投薬で生き延びるでしょ。天命という意識がなくなりました。地球はあとどのくらいもつと思いますか。
(中村)
 地球そのものの寿命という意味?
(石)
 天文学では20億年ほどすると、太陽の明るさが増して地球上の水はすべて蒸発すると言っているしょう。でも、それ以前に人類の大規模な大量死が起きると思うな。それによって環境は多少均衡を取り戻し、徐々に人口が増え、いずれまた大量死が起きるというように、人間は細々と続いていくのではないかな。
(中村)
 「大量死」と一言でおっしゃるけれど、現場をイメージするとおそろしいですよ。ペストが流行した現場はすさまじかったでしょう。
(石)
 そうだと思います。でも、周りがみなバタバタと倒れていけば、自分も死ぬのだという覚悟ができたでしょう。「めぐる」と言えば、人間だって炭素の化合物がある期間集合した姿でしかない。あと何年かすればお互い火葬場で焼かれてCO2に戻って千の風になって飛んでいますよ。
(中村)
 神様になったつもりで眺めれば、たまたま宇宙空間の中の元素の組み合わせで地球があって、たまたま人間という形をとっているものとクールに割り切れますが、でもやっぱり一人一人について考えるでしょう。生きものは続くようにできているわけでしょ。個体としては死んでも、次の世代へ、また次の世代へと続いていく。「続く」の基盤にあるのが「めぐる」ですね。
(石)
 輪廻転生を信じていた時代は、死という壁は今よりも低かったでしょうね。
(中村)
 「続く」を、「私」や「人間」に限定せず、あらゆるものとの関係の中で捉えていたでしょうね。人間にとっての利益を唯一の価値とする科学技術文明には「めぐる」は合わないのかもしれません。だからこそ、黄砂やサケの研究でわかった自然界の「めぐる」を、私たちの「続く」に生かさなければと思うのです。
(石)
 これほどちっぽけな惑星で生命が40億年近く生き続けてきたのは循環があるからですからね。ある生きものが使ったものを、他の生きものが使い回して生きながらえてきた。生命の本質は「めぐる」だと思います。
 
8. 何が贅沢か
(石)
 日本の森林率は68%、先進工業国のなかで断然トップで、アマゾン周辺の小さな国を含めても世界のトップ5に入ります。日本のような急峻な地形は、一度壊したらなかなか戻りません。率ではなく質が問題だと言う人もいますが、1億2千万人も人口を抱えながら、これだけの自然を残しているのは奇跡的なことで、それには日本人の自然観が大きく関わっていると思うのです。
 日本の最大の産業は稲作で、年に2回大量に水の出し入れをしなくはならない。その水を確保するには森林が必要ということでしょう。インドは稲作と麦作の地域に分かれますが、南部の稲作地帯は森林が多いんです。森林がなくなると稲作を続けられないという経験則が環境を維持しているのでしょう。水田は連作障害が起こりにくいし、水を張ることで害虫をある程度防除できる。還元的な土壌になって、土の酸化もおきにくい。水田は平地にしか作れませんが、麦作は斜面でも耕せますから、ヨーロッパは山の上まで麦畑と牧場にして、パンに乳製品と肉という文化を作ったけれど、麦栽培の場合、だいたい30世代で畑はだめになるから、人間は土地を食い荒らしながら移動するしかない。早くから麦作を導入した地中海沿岸は荒涼とした光景でしょ。ウシやヒツジはどんな草でも食べるし、徹底的に土地を荒らす。世界の砂漠の7割をヤギとヒツジが作ったというくらい、家畜の勢いはすさまじい。アフリカのヤギ、ヒツジは木のてっぺんまで登りますからね。獰猛ですよ。
(中村)
 それぞれ自然の中で生活を作ってきたわけだから、誰がいけないということではないけれど、世界を見ても日本は本当に恵まれた暮らしを作ってきたと思いますね。
(石)
 ヤギは水不足に最も強い家畜ですが、植物を根こそぎ食べてしまう。今アフリカでは乾燥化によってヤギが増え、結果、さらに乾燥化が進むという悪循環に陥っています。降水量が少なくて作物が育たないから、家畜に草や木を食わせて、ミルクや血、ときには肉を食って生きるしかない。日本のように家畜を飼わない文明は数少ないですが、あらためて稲作は日本の気候風土に適応した素晴らしい技術だと思います。
(中村)
 最近政治や経済の世界でも環境問題が重要課題になりましたね。今の時代を元新聞記者としてご覧になっていかがですか。
(石)
 こんな時代がくるのかと感慨深いものがありますね。ただね、政府は京都議定書を見直して、2020年までにCO2を25%削減目標に掲げていますが、京都議定書を守るのにだけで100兆円もかかるといわれるので、大増税が必要でしょう。25%削減すると、それは昭和30〜40年代の世界ですよ。家庭の電気製品は電球がいくつかとよくてラジオと扇風機くらい、そんな生活に戻れますか。
 地球温暖化のメカニズムはまだわからない点が多いですね。上昇を続けてきた地球の平均気温は、この10年間下がり続けています。温暖化がこれまで地球が経験してきた自然の気温変動の一環なのか、CO2やメタンガスなどの排出量の増大による人為的な気象攪乱なのか、正直わからない点が多いですね。解明はさらなる研究に待つしかありません。
(中村)
 確かにCO2は増えているという観測はあるわけで、これが直接温暖化の原因かどうかを証明するには、自然は複雑すぎるということですね。オゾン層破壊の原因はフロンではないという話も出てきて、びっくりしたけれど、地球物理学の検証はされているわけです。個々の事象の因果関係を取りあげるだけでは答は出ないし、それで私たちの行動を云々すると水掛け論になるでしょう。そういう科学への答の求め方ではなく、環境を考えるなら、今考えなくてはならないのは地球全体としての「めぐる」という現象の認識でしょう。その中でよりよい生活を求めることはできると思うのです。CO2をどれだけ減らすかというアプローチでなく、自ずとCO2の排出は減る生活になるということだと思うのです。
(石)
 ところが、我々が今生きている消費経済は使い回しがなりたたなくて、常に新しいものを作り、捨てている。
(中村)
 だからこそ、別の道があるのではと考えることはありですよ。
(石)
 ありです。しかし、考えたことを誰が守るか。おそらく守る人は2%以下でしょうね。中村さんはこの5年間で何を捨てましたか? 車やエアコンを捨てましたか?
(中村)
 私は車に乗りませんし、エアコンはお客様がいらした時は使いますが、家族だけの時は使いません。我慢しているわけではなく、家の中に風の道が通っていて、窓を開けていた方が気持ちいいのです。
(石)
 中村さんは貴重な2%に入るんですよ。我が家も100年くらい経つ家なので、どこでも開けられるというのは楽ですね。がたがたの古い家なので、エアコンが効かないというのが主な理由ですが(笑)。家庭内で排出されるCO2の6割はエアコンなどの電気製品と自動車です。みなが少なくても自動車を全部それをやめれば、現在も目標にしている規制が一発で解決する問題ですが、やめないでしょ。人間は贅沢を一度覚えると逆戻りできません。
(中村)
 でも、それが贅沢かなと私は思います。風通しのいいところで暮らすのは心地よいですよ。
(石)
 最近海外旅行を嫌がる人が増えていて、理由の一つが海外にはウォシュレットがないからと言う。あれは電気で便座や水を暖め、それを噴出する機械でしょう。それを悪いから止めようと思う人はいない。一度手に入れた快適性は捨てられないというのが我々人間でしょ。
(中村)
 何を快適と思うのか。私は電車の窓が閉まっているのは好きじゃないんです。真冬、真夏は空調はありがたいですけど、風を入れた方が気持がよい時も窓は開かない構造、開けられても開けない習慣は私にとっては快適ではありません。そういうところをきちんと考えることはありだと思うんです。エネルギーを減らすことイコール快適性を失うではないでしょう。
(石)
 今は田舎にこもって家具作りをしています。コンクールに出そうかというくらい熱中しています。
(中村)
 へえ、何を作っているのですか。
(石)
 テーブル、イス、孫の勉強机、あと麻雀台・・・・・。必死になってね。僕はものをつくるのが子供の頃からの夢で、この年になって実現した。面白いですよ。
(中村)
 時間をかけて、心をこめて自分だけのものを作るなんて最高の贅沢じゃありませんか。日本は狭いと言われるけれど、北海道から沖縄まで、皆が上手に暮らせば快適な暮らしができる場があるわけで、一極集中して高層ビルに暮らすのを快適と私は思いませんね。そろそろ方向転換をする時ですよね。
 

地球を歩いて多様化した昆虫・オサムシの展示の前で。
動詞で考える
 対談でもっとも印象に残ったのは、中村館長がいわれた「『生命誌』の年間テーマは動詞で表現する」という言葉である。対談のテーマも、今年は「めぐる」という動詞だ。考えてみると、環境問題を語るのにこれまで形容詞が多すぎたきらいがある。「最悪」「未曾有」「悲惨」といった形容がついて回り、とくにマスメディアには形容詞が氾濫してきた。形容詞はある種の感情をかき立てるには力があるが、しばしば感情に走って冷静な論理を見失うことにもつながる。環境問題は社会的関心が先行して、それを立証する科学はあとから息せき切って追いかける場面が多かった。だが、因果関係が解明されたときには、感情が支配して社会がそれを受け付けないことも多い。一方で、動詞は何らかの行動をうながす力がある。環境問題を動詞から考えるという発想は重要である。(石 弘之)
TALK

 生命誌ジャーナル 2009年 冬号

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