生命誌ジャーナル 2009年 春号

Talk ─ 対話を通して ─

年間テーマ「続く」
一つ一つの生きものを見つめる眼差し:鷲谷いづみ×中村桂子

鷲谷いづみ(東京大学教授)
中村桂子(JT生命誌研究館館長)
[ 対談を終えて|鷲谷いづみ ]
 中村先生とはこれまでもときどきご一緒に会議に出させていただいておりましたが、今回はゆっくりと、しかもナチュラルヒストリーを中心としたお話ができ、とても楽しい時を過ごさせていただきました。私は、遺伝子から生態系にいたるまで、さまざまな生物的階層における夥しい生命の多様性に圧倒されながら研究生活を送ってきました。花の多様性とその花粉を運ぶ昆虫との関係の多様性などは、誰もが野外でご自分の目で観察して実感できる「多様性」でもあり、ナチュラルヒストリー入門の入り口になるのではないかと思っています。そんなことも考えながら、現在、保全生態学の研究の一環として、生物多様性を実感しながら現状を広域的・科学的に監視する参加型プログラムの開発を行っています。

1. 原点はサクラソウ
(中村)
 今年の生命誌のテーマは「続く」です。生きものは親から子へ遺伝子を渡すことで続いてきましたが、これだけが続くことの本質ではありません。前号のリサーチでは絶滅を切り口に生きものと地球環境の歴史を重ね、トークでは家族のつながりと広がりに注目し、暮らしの中で続けていることの大切さを考えました。
 色々な「続く」を取り上げましたが、今回が最終回です。そこで、改めて生きもの全体としての「続く」を考えたいと思い、一つ一つの生きものをていねいに見つめながら生態系の保全に取り組まれている鷲谷さんに対談をお願いしました。様々な生きものたちが関わり合いの中に続いていく力を見ていきたいと思います。
(鷲谷)
 生きものには時間的な連続性がありますね。個体には必ず命があり、植物の中には非常に長生きをするものもいますが、それでもせいぜい千年の単位です。個体としての命は終えても、遺伝子は個体群の中で子孫に伝えられていくわけで、集団として続くかどうかが問題です。
 個体群の持続性は、裏返せば絶滅の可能性もあるということですよね。現在の絶滅のリスクや速度は、生命の歴史の中ではかなり異常な値を示していて、存続が危ぶまれる個体群が多くなっているので、個体群の持続性を科学的に評価することは保全生態学の重要なテーマの一つになっています。
(中村)
 今は社会の要請もあって保全の分野にお仕事を広げていらっしゃいますが、鷲谷さんの原点はサクラソウでしょ。
(鷲谷)
 そうですね、サクラソウなど植物の生態学から始めました。
(中村)
 生物学って「私はこれが好き」とか「これがなくなったら嫌」とか、わりあい個人的な気持ちから始めるものですよね。「環境問題」と括ってしまうと、まず環境保全のような理念を掲げがちですが、単なる理念だけではものは動かなくて、個人的な気持ちも大事だと思うのです。ですから、鷲谷さんにとっての原点であるサクラソウのお話から伺えますか。
(鷲谷)
 生物は子孫に命をつないでいくために繁殖をしますが、植物には動物と違って動けないという制約があるために、逆に多様な方法を華々しく進化させています。それが凝集しているのが花です。葉っぱの方は多様性があると言っても、だいたい緑色をしていて、形も平らな形や針のような形で、共通性の方が高いですね。でも、サクラソウも含めて、花の方は色、形、大きさ、それに咲き方まで含めて非常に多様で、その多様性がとても面白い。
 性の在り方も多様で、動物なら普通はオスとメスの個体があって、その間で有性生殖を行いますが、植物ではおしべとめしべ、つまりオスとメスの機能を一つの花の中に備えた両性花をつけるものがとても多い。そうかと思えば、一つの株の中に雄花と雌花というまったく違う器官を作るものもいるし、動物のようにオスとメスの株に分かれてその間で有性生殖をするものもいる。
 加えて生理的な不和合性も様々なタイプに進化しています。生きものは0か1かではなく、その間に色々な連続性がありますが、大きく見たら自分とは違うタイプのものと遺伝子を交換しないと健全な子孫を残せません。サクラソウは両性花ですが、異型花柱性という特別な性の在り方をしていて、実はこれを見つけたのはダーウィンなんです。
(中村)
 それはサクラソウで発見したのですか。
(鷲谷)
 ええ。イギリスに自生する、ピーターラビットの絵本にもよく描かれている黄色いサクラソウで見つけました。研究者として一番嬉しかったのは異型花柱性を見つけたことだと自伝で述べているほど、ダーウィンにとっては大事なテーマだったのです。
 
2. ダーウィンの弟子
(鷲谷)
 ダーウィンは日本ではあまり植物の研究者として認識されていませんが、植物の繁殖の研究にはかなりの時間を割いています。特にダウン・ハウスに住んでからは庭と温室を整備し、園丁も雇い、本格的な植物の実験に打ち込みました。進化論の方が社会への影響度からも注目されていますので、植物を研究していたことや、それへの思いを知っているのは、私たちのように植物の繁殖を研究している者くらいかもしれませんね。
(中村)
 ダーウィンが異型花柱性を見つけたというのは初めて知りました。ミミズの研究(註1)もすごいでしょ。もちろん進化論をまとめたことは偉大ですが、まず自然をよく見る眼を持つすばらしい人だというのはミミズの研究を読んだ時に思いました。ダーウィン以上によく生きものを見ていた人はいないと言ってもよいと感じました。植物に対してもそうだったんですね。
(鷲谷)
 見ただけではなく、それを科学的な仮説にした点も偉大ですよね。ダーウィンが出した仮説について、その分野の研究者たちがその仮説を検証しようと一生懸命に研究したことで生態学が発展したと言ってもよいかもしれません。私もその一人ですね。私と関係することでは、土壌シードバンク(種子の貯蔵庫)(註2)と言って、土の中にはたくさんの生きた種子が含まれていること、土を湿らせておくと次々に芽が出てくるのを実験的に示したのもダーウィンで、この知見は自然再生の研究に応用されています。
 これらのさまざまなテーマについて総説を書こうとしたら、まず発見者であるダーウィンを引用し、どのような仮説をたてたのか、その仮説がどのように検証されてきたのか・・・という書き方をしなければいけない。そのくらい大きな人です。
(中村)
 異型花柱性ではどんな仮説をたてたのでしょう。
(鷲谷)
 まず図を見て頂きたいのですが(図1)、異型花柱性にはおしべが高くてめしべが低い短花柱花とその逆の長花柱花の二つの型の花があるんです。花粉を運ぶ昆虫は蜜を吸います。蜜は花筒の底の方にあるものですから、例えばハチは蜜を吸う鞘に刀をを入れるようにまっすぐ舌を入れます。すると、短花柱型の長いおしべの花粉は舌の根元の方につき、そのまま長花柱型の花に移ると花粉がちょうどめしべのところにつきます。花筒とハチの舌の長さに遊びがあれば、あちこちに花粉がついてしまうわけですが、ぴったりとあっているのでそうなりません。高さが同じおしべからめしべに確実に花粉が運ばれます。自分と異なる型の花粉を受粉すると種子がよく実り、同じ型の花粉が柱頭についてもうまく受粉に至らないという生理的な不和合性がありますので、異型間で確実に花粉が交換されることが重要です。
 すなわち、異型花柱性の生態的な意義は、異なる型の花の間での有効な花粉の流れを作り出していることではないかと考えました。それを確かめるために死んだハチの舌や針を二つの型の花の花筒に差し込む実験を行ったんです。
(中村)
 花粉がめしべにつくかつかないか確かめたのですね。
註1:ミミズの研究
1837年から29年間かけてミミズを観察し、ミミズが肥沃な土を作っていることを証明。「穴ふさぎ」行動から、ミミズが環境に相応しい行動を見つけて行っていることを発見した。
参考:生命誌ジャーナル2002年冬号「ダーウィンのミミズ研究とアフォーダンス」
註2:土壌シードバンク
土壌中で発芽せずに休眠している生きた種子の集まりのこと。地上の植物の個体群が消失しても、土壌シートバンクが残されていれば、再生できる可能性がある。
図1 サクラソウの異型花柱性
(鷲谷)
 私はその真似をして、京都大学の加藤真先生と野外のサクラソウにマルハナバチが訪花したことをしっかり確認してからハチを捕らえ、走査電子顕微鏡でハチの舌のどこに花粉がついているかを調べました。2つ型の花の花粉は大きさが異なりますので、どちらの花粉かわかるのです。ダーウィンは花粉がつくかどうかを見ただけですが、こちらは定量的に調べました。(図2)
(中村)
 ダーウィンの仮説を現代の科学で検証したわけですね。
(鷲谷)
 走査電子顕微鏡の威力です(笑)。ダーウィンの仮説はかなり妥当であったことが確認されました。短花柱型のおしべの葯は高い位置にあるので、花粉はハチの舌の付け根につき、次にハチが長花柱花に舌を差し込むと高い位置のめしべの柱頭に花粉が残ります。逆に長花柱花の短いおしべの花粉はハチの舌の先の方につき、短花柱花の短いめしべの柱頭に運ばれます。すこし擬人的になりますが、サクラソウは花の形によってポリネータ(花粉の運び手)であるマルハナバチの舌の適切な位置に花粉をつけわけて、配偶相手にきちんと花粉を送っているわけです。
(中村)
 植物と昆虫はさまざまなところでみごとな関係をつくっていますが、サクラソウの場合もなるほどと思わされますね。それにしても、ダーウィンの洞察力はすばらしいですね。よく「ダーウィンを超える」という言う方がありますが、進化論につながる観察からの仮説というところまで見ていたことを評価し、私たちが今ダーウィンほどのことを考え、それを現代の方法論で解決していくようにしなければいけませんね。
図2:マルハナバチの口器に付着したサクラソウの花粉
大きい方が短花柱花、小さい方が長花柱花の花粉
<出典:Washitani et al.1995>
3. 生きものの時間で動く
(鷲谷)
 私たちの研究室では異型花柱性について色々な面から研究をしてきました。サクラソウのポリネータとして非常に有効性が高いのが、トラマルハナバチの女王です。特定の地域のサクラソウの集団の花筒の長さを徹底的に測ったら、その平均値は同じ地域のトラマルハナバチの女王の舌の長さとぴったり一致していることがわかりました。
(中村)
 女王なんですね。
(鷲谷)
 ええ、サクラソウの分布域は東アジアからシベリア一帯ですが、そこにはトラマルハナバチ、北海道の場合はエゾトラマルハナバチが生息しています。サクラソウ属の学名 "Primula" は「第一に」を意味し、春一番に花を咲かせますが、その時期にはトラマルハナバチの女王だけが越冬から目を覚まし、新しいコロニー(家族)を育てる準備をしながらエサを得るために頻繁に花を訪れます。異型花柱性の微妙な形の違いや開花時期はトラマルハナバチの選択圧を受けて進化したと考えられます。
 これほど密接な共生的な関係ではなくとも、植物は一次生産者ですから、植物を食べる消費者、さらにその捕食者へと命をつないでいきます。繁殖のために昆虫と共生したり、逆に食べられすぎないために葉の形質を進化させたり、植物の多様性の大部分は昆虫との関係で作られていると言ってもいいですね。
(中村)
 植物は動けないけれど、昆虫との関係を多様に組みたててたくみに生きていくわけですね。
(鷲谷)
 植物が個体として唯一移動できるのがタネの段階で、風に乗って移動する方法もありますが、有効なのは動物に運んでもらう方法です。泥と一緒に足の裏にくっつくなんてとても成功している例で、動物はみな水に依存しますから、湿地の泥に混ざってくっついたタネは、動物が次の湿地に行くまでくっついたまま移動できるのです。子供の頃、泥んこで遊ぶと足の裏にべったりついた泥がつき、乾くと中々剥がれなくて、水で濡らさないと取れませんでしたでしょ。直立しているヒトは足裏の面積が広く、しかもよく動く動物なのでタネの運び手としての役割は非常に大きい。マンモスもかなり有効だったと思いますよ。
(中村)
 動物は居住域が決まっているけれど、ヒトはわずか10万年ほどでアフリカ大陸から世界中に広がりました。こんな動物は他にいませんね。それと一緒にタネも動いたでしょうか。
(鷲谷)
 他にも被食分散と言って、果実とともに動物に食べられて、吐き出されたり消化管に入って運ばれることもあります。私たちは果実が好きですよね。イチジクやイチゴのような小さなタネは皆ヒトの消化管に入ります。それから貯食と言って、冬に向けて食料を貯める行動もとります。
(中村)
 リスのようにですね。
(鷲谷)
 そうです。今の人類の在り方はさておき、5万年遡っての生物としてのヒトは植物にさまざまな淘汰圧を加えてその多様性を作ったと思います。今は違う意味で大きく生物多様性を変えていますが。
(中村)
 生きものの時間の中での移動を越えて、文明社会の中で生きる私たち人間は、ジェット機などを使ってやたらと動きまわり、また他の生きものを動かしているわけでしょう。これは生きものの時間のものさしから見ると早過ぎますね。そこで、生態系を大きく変化させてしまっているという問題ですね。
(鷲谷)
 人間と自然の関係は、動物の一員として関わっていた頃とかなり異質になっています。外来種の問題もそうですが、土地の状態を変え、多くの生物が生息するための条件を無くしてしまった。
(中村)
 自然破壊と言ってもよいですよね。
(鷲谷)
 湿地や森林を人間の都合のよい土地に変えてしまった結果、その環境に適応した外来種が猛烈な勢いで入ってきて、今やコスモポリタンとして世界中で幅を利かせています。人間が積極的に変化させた面もありますが、生物が作る景色に個性がなくなってきて、日本のどの都市に行ってもセイタカアワダチソウの空き地があり、ヨーロッパの都市の空き地でも、日本と似た環境には似た植物が生えています。これは生物の世界だけの出来事でなく、文化としても旅を面白くなくしている気がします。
サクラソウを訪花するトラマルハナバチの女王
4. 社会の中の科学として
(中村)
 鷲谷さんが保全生態学を始められたきっかけはなんでしょうか。
(鷲谷)
 私はサクラソウの研究をきっかけに絶滅について考え始めました。アサザという植物をシンボルに湿地の植生帯の再生にもかかわりました。実はアサザはサクラソウと同じく異型花柱性で、花の進化を考える上で面白いと思い、研究を始めました。サクラソウもアサザもかつては普通に見られるものでしたが、今は共に絶滅危惧種になっている。なぜそうなったのか、生態学の視点で見ていくと、原因となりそうな問題が見えてきて、それを社会に伝えていかなければいけないと思い、従来の繁殖生態学とは違いますから、海外の動向も調べながら「保全生態学」という看板を作ったんです。
(中村)
 もともとはナチュラルヒストリーへの関心から入られたのですね。
(鷲谷)
 ええ、そういう意味ではダーウィンの自称弟子です(笑)。自然の中で面白いことを見つけて、それを科学の手法で探究することの面白さに惹かれて、この世界に入ってきました。看板を掲げた時期はちょうど社会が自然環境の問題にも目を向け始めた時でもあり、それに答える既存の分野がなかったこともあって、私たちの研究に期待が集まり、社会の要請に対する責任が急激に重くなっていきました。「軒を貸して母屋を盗られる」という言葉がありますが、最近はもともと関心のあった花のナチュラルヒストリーよりも、水棲昆虫やサカナのように、農地整備等で危機に瀕している生きものを扱うことの方が多くなっています。バラバラに分断化された生きもののhabitat(生活の場)をどうつないだら、何が取り戻せるのかを知ることも重要ですので研究しています。
 生物多様性の保全は危機が急速に進んだこともあり、最近では多くの人が関心を持つようになりました。国や自治体が自然再生に取り組み始めていますけれど、そこで必要なのは、科学の側から情報提供をすることです。工学的な知識だけでは不十分であり、ナチュラルヒストリーを基本に置いて取り組んでいます。
(中村)
 私も農水省のお手伝いをしているのですが、農村は生産の場であると同時に環境をつくり出す場でもあるということで、「田んぼの学校」と言って、「田んぼの生きもの調査」のように色々な調査を行っています。NPOなどでもこのような活動は盛んになっていますね。
(鷲谷)
 そうですね。そのようにして蓄積されているデータを活用したいと思い、実は一週間ほど前に滋賀県のデータをいただいて、ポスドクの人を中心にカエルやサカナの生息数と土地利用のデータを組み合わせた空間モデルを作ったのです。例えば100m以内に林がある場所を私たちは「接林水田」と呼んでいるのですが、それがあればその地域のカエルの種類がとても多いことがわかってきました。
(中村)
 カエルはとても鋭敏な環境指標とされていますが、林の重要性が見えたのですね。
(鷲谷)
 外来種についても、生態系に大きな影響を与えることがわかっているものを「侵略的外来種」と呼んで調査を進めています。シナダレスズメガヤの場合は緑化のための牧草として輸入されましたが、礫河原に急速に広がっていて、行政のデータを見ると、鬼怒川の分布域は5年間で10倍以上になっています。実際に植物が侵入した土地のデータから、どのような条件で侵入しやすいのかを示した地図を作り、その対策として種子の供給源になる大きな群落を土ごと取って環境を変える方法を提案しました。とても実用的な話でしょ。本当はサクラソウの研究がやりたいのですが、それはちょっと脇に置いて、この時代にめぐり合わせたからには、社会が抱える問題に対しても、科学として、生態学として答えていかなければいけないと思って。
(中村)
 「環境保全」という言葉は経済成長や技術の進歩と対立するものとして嫌われていましたが、最近は変わってきましたね。一つには環境を考えなければどうにもならくなったからでしょうし、もう一つはそこにまた経済成長のタネがありそうと思っているからのようですね。しかし、そのような生態系や生物多様性という言葉を使う時、そこにいる一つ一つの生きもののことを考えていないない気がします。それが基本になければ、その言葉には意味がないのに。
(鷲谷)
 私もそう思います。でも、ナチュラルヒストリーの眼差しを学ぶ機会が日本にはありませんね。
(中村)
 大事なのはその眼差しなのに、それを飛ばして言葉だけが一人歩きをしていますでしょ。生きもの面白さは、「多様性」のような抽象的な概念ではなく、例えばサクラソウとマルハナバチのように、一つ一つの生きものがどう生きているかですよね。生物学者ができることは、そこの個別の面白さを伝えることで、それを皆で共有すれば難しいことを言わなくても、お金をかけなくても、社会は変わると思います。子供の科学離れが危惧されていますが、そこを飛ばして実験ショーのようなものを見せて面白がるのではなく、自然の中で色々な生きものたちが関わりあっていることをちゃんと観る機会をもつことです。
(鷲谷)
 そうですね。今の日本ではナチュラルヒストリーは瀕死の状態で、野外で生きものの生き様を研究する研究室はほとんどありません。
(中村)
 例えば分類は生きものを知るためにとても大事なことですけれど、大学から分類学の教室がどんどん消えていますね。若い人の中で本当の意味の分類ができる人がだんだんいなくなっています。
(鷲谷)
 特に形態を見てきちんと分類できることが大事ですよね。DNAを見て分類をする研究者はいますが。
(中村)
 DNAだけでは分かりません。ナチュラルヒストリーの知識と、DNAの情報の両方がなければ。
(鷲谷)
 野外の自然にしっかり向き合って科学するナチュラルヒストリーを確立して、社会にもそれが根を張るようにしたいですね。私たちの研究室からも、社会との関わりを意識できる研究者が増えてくれることを期待しています。
(中村)
 若い人たちに伝えたいことですね。
霞ヶ浦に自生するアサザ
5. 身のまわりの生きものを見つめる
(鷲谷)
 現在、保全生態学の研究として市民参加型の生物多様性モニタリングのプログラムを実践しているんです。サクラソウとマルハナバチの共生の研究の発展としてセイヨウマルハナバチの監視活動を始めました。北海道では、トマトの受粉に使われているセイヨウマルハナバチが野生化し、もともと住んでいるマルハナバチとの置き換わりが起こっているんです。マルハナバチよりも競争力が大きいセイヨウマルハナバチを、受粉に使ったあとに捨てたからなんです。
(中村)
 逃げたのでなく捨てたのですか。自然のものの活用はよいけれど、生態系のことを考えて用いないとマイナスが大きいですよね。
(鷲谷)
 私たちもそれを食い止めるために色々なはたらきかけをしましたが、声が小さかったのかもしれません。環境のことは正面から取り上げてもらえない時代でしたので、結局、「外来生物法」という法律で禁止されるまでに一番恐れていたことが起きてしまいまいした。セイヨウマルハナバチは大雪山や知床や利尻にまで生息域を拡大していて、数少ないナチュラルヒストリーの研究者ではその実態すら把握できない状態になってしまったのです。
 そこで、市民の方達が参加できるプログラムを作ったのですが、300人近い方がこの3年ほど日常的にセイヨウマルハナバチを観察して下さるようになりました。同定の問題があるので、最初は研究室に標本を送っていただいていましたが、誤認率はとても低くて、わずか0.1%以下でした。昨年は北海道新聞と協力して2000人規模でセイヨウマルハナバチがいるかいないかを調べ、そのデータをもとに現在の状況と新たに侵入する可能性のある場所を記した警戒マップを作りました。とくに環境問題に関心が高い方だけでなく、普通の市民に参加を呼びかけ、生きものに関わることをちょっとやってみたいという人が世の中にはたくさんいることがわかりました。最初はセイヨウマルハナバチだけを観察していたけど、在来のハチも観察したり、ご自分で花とハチの関係について調べられる方が増えてきています。
(中村)
 それはすばらしいですね。
(鷲谷)
 ええ。参加される方の生きものを見る眼が広がるという効果もありそうなので、今度は人口の多い首都圏で、どこにでもいるような生きものを対象にしたモニタリングのプログラムを作ろうと企画しています。例えば東京で、ある生協と協力関係をつくり、会員の方に蝶の写真を撮って送ってもらい、データベースを作ることを計画しています。蝶なら写真を撮りたいという気持ちになると思いますし、写真があればこちらで種を同定できます。東京には大きな緑地があるので、場所によって蝶の個体数もずいぶん変わると思います。
(中村)
 私の家の庭も蝶の道になっているらしく、さまざまな蝶がやってきます。蝶大好きの方たちは望遠レンズのついたカメラを下げてらっしゃいますが、私のように小さなデジタルカメラで撮ろうなどと思っている人には蝶の写真を撮るのってなかなか難しいんですけどね(笑)。
(鷲谷)
 最終的には携帯電話のカメラで撮影して、送信してもらうようなシンプルなシステムができたらと思います。今年はほとんど生きものに関心を持ったことのない組合員の方でも参加できる自然観察会を何回か行いました。夏休みの時期なら子供さんと一緒に参加していただけるので更に関心を深めて下さるのではないかと思います。まずは100人ほどのモニターの方を募集してプログラムを試行する予定です。少しでも生きものを見る感覚を持つ人に増えてもらうのは大事なことだと思います。
(中村)
 そうですね。環境問題と言って取り組むのでなく、生きものをよく見ましょうという入り方大事ですね。私は "生きもの感覚" と言っているのですが、自分が生きものであるという実感をもつことが基本だと思うのです。
(鷲谷)
 本当は家庭の中で、例えば親子で散歩をしながら身の回りの生きものについて色々とお話をしてあげられたらいいのだけれど、親はおろか、祖父母の世代ですらちょっとあやしくなってますから。私たち研究者がこれまで紹介したような活動をしたり、学校教育の中にこのような活動を位置づけることが必要だと思っています。ただし今の学習指導要領では、理科でそれを教えることはできないのです。実は小学校5年生の国語の教科書に「サクラソウとトラマルハナバチ」という文章を書いています。
(中村)
 私もまったく同じ考え方で6年生の国語の教科書に「生きものはつながりの中に」を書いていているんです。遺伝や進化、発生などは生きものを考える時は基本的なことで難しい言葉を使わなければ誰にもわかることなのに、理科では小学校ではそれを教えてはいけないことになっているのです。それを国語で書けば、子どもたちはちゃんと受け止めてくれて、お手紙がたくさん来ます。理科としてでなく国語としてやると先生方も抵抗がなくよい方法ですよね。
6. モザイクの生態系
(中村)
 私たちがタネの運び手としての狩猟採集型の暮らしから、文明社会へ転換した始まりは農業の開始でしょう。農業は経済的な営みであるために生態系破壊の側面をもちますが、そこに生態系の持続への意識を持ち込むことで、エコノミーとエコロジーへの眼配りをするという挑戦ができますね。現代文明はそれを工業化してしまったので、そこを考え直さなければいけませんね。
(鷲谷)
 作物の作り方自体が工業的になっていますね。
(中村)
 高度成長期以来の日本は自分たちで作物を作ることは非効率だとして、工業製品を作って得たお金で他国から作物を輸入するという方法を選びました。私たちは、文明を持った人間であると同時に生きものとしてのヒトであり、多様な生きものの一員であるわけで、そこに立ち返ると、こうした生き方には疑問を感じますね。農業は生活の基本であり多様性とつなげて考えられるものもありますね。
(鷲谷)
 食料を確実に得ることは生きものが続くための必須条件です。他の生きものたちは、エサとなる食料も巣になる素材も、すべて自分たちが属している生態系の資源を利用して生きていますし、人間も以前はそうだったわけでしょう。現代人は遠く離れた生態系が生み出した資源、最近は生態系サービスという言葉が使われていますけど、それを使っていますよね。都市に暮らす人々に、生態系サービスが持続的に提供されうるのか、それを得ることによって生態系の健全性を損なっていないかという問いが突きつけられていますでしょう。
(中村)
 食べ物は地産・地消が原則ですね。もう少し広げて言うなら "バイオ" と称されるものは地産・池消でなければいけないのに。最近バイオエタノールなどと言って、食料から作り、しかも遠くから運ぶという話を聞くと笑い話かと思ってしまいます。 "バイオ" ならその地産・地消でないと。
(鷲谷)
 それはとても重要なことです。最近は農村地域の方も農地やその周辺の里山や里地を生態系として見なくなっているんです。里山や里地って、人間の暮らしと生態系をつなぐとてもよく考えられたシステムですよね。
(中村)
 キノコや山菜を取りに行ったりと、生活の中に入っていた場所でした。栄養分も豊か、薬になるものもある。
(鷲谷)
 太古のヒトの暮らしは採集に多くを頼っていたことがわかってきました。心も体も採集に適応していると思うんです。採集によって生物を利用することのまったくない生活をしていると、生きものとしての私たちには無理が生じて、心に問題が起きるかもしれない。そう思います。もちろん農業を行わずにこれだけの人口を養うことはできませんから、環境に負荷をかけない農業の形を構築するのはとても重要ですが、同時に楽しみとしての採集の場があってもいいと思うのです。雑木林や水辺の湿地など、人間がすべて管理する農地と違って、多様な生きものが暮らす場になり得ますし、バイオマス資源として利用できるものもたくさんあります。効率の良い農業生産の場も作り、それらが生態系の中でモザイク状になっていれば、カエルのように水田も用水も樹林も必要としている生きものも生きられますし、生物多様性という観点から見て、本当に多様な生きものが生きられると思います。
 
(中村)
 森から海までがすべてがつながっているイメージを皆で持ちたいですね。最近はたとえばよいカキを養殖したいと思ったら、海へ流れ込む上流の森が大切だという考え方の畠山さん(註3)など、実際に活動する方がいらっしゃるので具体性が出てきましたね。
 自然に手を入れることで多様性が消えてしまうとよく誤解されますが、先日、徳島で林業を営んでいる女性から面白い話を伺いました。森の仕事はきついので積極的に楽しむようにしようと考えて、鳥の声を録音したんですって。森の中に一日テープレコーダーを置いておくと、とてもたくさんの鳥の声が録音できるそうです。鳥の名前がわからないので、詳しい方に教えていただき、また森に戻って鳥の声を聞くというのを繰り返していたら、だんだん鳥のことがわかってとても楽しくなったとおっしゃっていました。先祖代々の山持ちで、森林は手入れをしないと必ず荒れてしまうので、お金が儲かるわけではないけれど、ご主人と一緒に森を楽しむようにしたら精神的にも身体的にもとても健康になったそうです。ところが、ある時まったく手を入れていない森にテープレコーダーを置いておいたら、一つも鳥が鳴いていなかったそうです。一見緑でも本当の意味の緑ではなかったということですよね。
(鷲谷)
 人工林を管理せずにある密度を超えると、鳥もいなくなりますし、下草もあまり生えなくなって、水土保全の機能も低くなることが分かってきています。
(中村)
 原生林ももちろん大事ですが、木を植えて責任を持って手入れをし、使っていくことが大事ですね。木造建築を見直すといいと思うんですよ。ヨーロッパで木造ビルが建ち始めていると聞いてとても関心を持っているのですけれど、本来木の文化のはずの日本の方がなかなか。身近な森林や川を利用することが多様性を考える上でも大事というのが面白いなと思いました。
(鷲谷)
 特に雑木林にはそれが顕著ですね。関東地方の雑木林ですと、管理をしないとアズマネザサという非常に勢いのよい植物が林の中の空間を埋めてしまい、猛禽類がネズミを捕るということすらできない状態になってしまいます。植物の多様性がなくなるだけでなく、空間がなくなることで、本来ならば雑木林でエサをとれる生きものまでもが暮らせなくなってしまうのです。
註3:畠山重篤
カキ養殖業を営むかたわら植樹運動を続ける。京都大学フィールド科学教育研究センター社会連携教授。
(中村)
 以前にそういう場所に入る機会があって、荒れるということの凄さを実感しました。私の家の庭も放っておとくとササが生えてきて取りにくくて。自然という言葉には、何も手を加えないという意味がありますが、現代社会で暮らしていくためには、うまく関わり合っていくことが大事ですよね。
 生命誌研究館を作った時、自然と人間の関係を考えようと思い、森や野生動物のような自然が描かれた絵を調べたことがあるんです。日本には中国文化の影響を受けた山水画はあっても、人間が自然の中に入りこんでいるような絵がないんです。その中で一番多様な生きものが描かれているのが伊藤若冲の「池辺群虫図」という庭を描いた絵だったんです。日本人にとっての庭は色々な生きものたちが暮らしやすい場なんですね。自然にまったく手を加えないのではなく、他の生きものたちが暮らしやすく、かつ自分も関わり合いながら暮らせるような。小堀遠州(註4)が作る庭は人工ですが、自然をイメージしていますよね。
(鷲谷)
 そうですね、日本庭園には必ずウェットランドとして池があります。
(中村)
 昔の日本人は自然を生かした形で身近な所にものを作っていくことが得意でしたね。これから多様性ということを考える時に、人工だからすべていけないというのではなく、ナチュラルヒストリーをきちんと意識に入れた上で暮らす場所を計画していくことが大事だと思います。私たちの文化はそれを持っているはずなのですから。
(鷲谷)
 かつては里山のように資源をとるための場を作るという行為自体が、意識しなくとも多様性を高めるのに寄与していました。今は意識してやっていかないといけませんね。
註4:小堀遠州
【こぼり・えんしゅう】
(1579-1647)
江戸前期の茶人・造園家。古田織部に茶道を学び、豊臣氏および徳川氏に仕え、作事奉行を務める。造園、建築、茶器鑑定などに優れ、江戸城や御所などの茶室や庭園を造る。
7. 農業を基本に
(中村)
 農業の工業化を進めたのは生産性を求めてのことだったわけですが、これからは生態系をいかして、なおかつ生産性が高く付加価値の高い産物ができる農業を構築しなければいけませんし、そのためには科学の視点が重要ですよね。
(鷲谷)
 「長期土地改良計画」の基本方針に「生物多様性」に加え、「生態系ネットワーク」という言葉もようやく入ったところです。今はすぐに化学肥料と農薬で解決してしまいますが、それでは知恵の余地がなくなってしまいますね。かつては土地が悪くならないように、休耕したり、作物を交互に作ったり、ある時期には田んぼに水を張ったりという知恵で対処していました。
(中村)
 それは科学的にも裏付けされた総合的な知恵だということが調べれば調べるほどわかってきますね。農家の方は本当に生きものを見ているから、ナチュラルヒストリーに根ざした知恵をお持ちですね。農業が工業化したために、農家でもそれを身につけた人が少なくなってきていて、消える危険性すらあります。そういう人たちの能力をもっと活用していかないと。
(鷲谷)
 新しい農法を考えることも大事です。豊岡のコウノトリの里(註5)や宮城県大崎市田尻地区のふゆみずたんぼ(註6)のような熱心な取り組みが広がっていますね。以前に、農業関係の団体の方たちが、「大学で講義を聞いてみたい」と言って、ここにいらして私の話を聞いて下さったこともありました。そういう方たちの意識と乖離しないように、現場とのつながりも大事にしながらナチュラルヒストリーを基本にした科学的に分析した情報を提供していかなければなりません。
(中村)
 日本はお金お金と言っているうちに工業だけで生きられそうな気持になってしまったけれど、生きていく基本は食べものであり、環境ですものね。
(鷲谷)
 動物は餌なしに生きられないなんてあたりまえのことでしょう。
(中村)
 ちょっと金融経済にかげりの出てきている今は、食のことを考え直すよいチャンスかもしれませんね。私は昔、「株より蕪の方が大事です」と言ったら、経済の先生に「そういうことを言う人がいるから日本は伸びないんだ」と怒鳴られました。その方が最近アメリカ型金融経済の問題点を指摘し、「農業が重要です」と書かれているんです。やっとわかったのですねと申し上げたいけれど、まだその方の言っている農業と私の思っている農業は違うと思っていて。
(鷲谷)
 私だったら蕪の品種の多様性が大事だって言いたいですね。農業の品種の多様性は日本では軽視されていて、大根なら流通しているのはほとんど青首大根です。青首大根の栽培面積があまりに多いために、地方品種を栽培しても花にその花粉がかかって雑種になり、純系を維持できないという問題も生じています。
(中村)
 先日も、遺伝子組換え大豆は食べたくないとおっしゃる方がいましたが、海外から輸入している限りもうそれは無理になると申しあげたんです。それなら日本の大豆を日本で育てて、おいしいお味噌やお豆腐を作って、少々高くてもそれをみんなで買えばいいわけです。自分の国で作らずに「遺伝子組換え大豆は嫌です」と言うのは傲慢です。
(鷲谷)
 大豆は伝統的な食品ですが、外国に頼っているのが現状で、90%以上をアメリカ合衆国から輸入していた時期もありました。大豆に混ざって入ってきたオオブタクサやアレチウリのような侵略的外来種のタネが捨てられて広がり、それらが日本中の河原や空き地で猛威をふるっています。大豆を輸入して加工食品を食べていれば、必ず起こる問題です。環境保全と両立する自給の工夫を考える必要がありますね。
 先日ご一緒に伺った熊本では大豆を水田に植える試みをしていましたね。大豆はもともと畦豆として栽培していましたが、田んぼ中を畦にするという発想は面白い。水の中に畝を作ることで連作障害も防ぐことができるでしょうし、湿地としての機能をいかしています。
(中村)
 畦豆っていい工夫ですよね。皆で畦で作った枝豆を食べたり。田んぼに大豆を植えるというのは、ちょっとコロンブスの卵の発想でしたね。
(鷲谷)
 冬期の田んぼに水を張る「ふゆみずたんぼ」もそうですが、従来の農業の方法にとらわれないやり方が大事です。
(中村)
 農業は何をいつ育て、どうしたら土地をよい状態に保てるか、全体のサイクルとして考えていますでしょう。工業は目の前で何をするかが問題で、一分一秒でも早くつくろうとしますが、農業の場合は時間が美味しさを作ってくれます。朝鮮人参を高く売ろうと人工栽培で育てても、成分がまったく出ないそうですね。
(鷲谷)
 植物はストレスがかかると頑張って成長し、それが栄養や美味しさになりますから。
(中村)
 目の前にあるのはタネや苗ですが、半年経ったらそこに実が生ることを想像して楽しみにするわけですから、いつも未来志向です。農業って時間と空間の全体を合わせて考える総合科学だとつくづく思うんです。 今は考え方がとても単純・短期的になっていて、目の前のことばかりを見て、答えは一つと急いている。農業には、食糧や生物多様性の役割もありますが、ものの見方を変える力があるのではないでしょうか。
註5:コウノトリの里
兵庫県豊岡市でのコウノトリの保護増殖への取り組み。農地整備でもドジョウなどコウノトリのエサとなる生きものが生息できるように排水路をつないだ魚道の整備を行っている。
註6:ふゆみずたんぼ
渡り鳥と農業の共生を目的とした「冬堪水水田(ふゆみずたんぼ)」の取り組み。冬期に不耕起で農薬と肥料を使用せずに稲作をする。マガンの生育環境改善と農業の共生を目指す。
8. マイノリティーの楽しみ
(中村)
 生きものにとって一番大事なのは継続性ですね。私たちの今年のテーマは「続く」ですが、自分さえよければいいというのではなく、続いていくということを基本に考えていきたいのです。
(鷲谷)
 孫くらいの世代までは実感を持ってイメージできますから、大事な意思決定をする時に、孫にとってどうなのかを考えて選択していけば、間違いは少なくなると思います。
(中村)
 それから遠くにいる人たちのことも。私が今一番腹を立てているのは、経団連の総裁が、「会社のために派遣社員の首を切るのはしかたない」という発言をしたことです。相手は人間です。周りには子供も含めた家族がいるのです。人が余っているという計算だけで解雇するのなら、ロボットが経営者になればいい。人間なら、今は苦境にあっても、皆で我慢しながら知恵を絞って頑張るという発想になるはずですよ。
(鷲谷)
 人間を使い捨てにするのはおかしいですね。昔は終身雇用が基本でしたが、いつの間にか派遣労働のような働き方が増え、若い人が人生設計をしにくくなっています。政治も経済も単純で短期的な判断をする傾向がありますが、それは若い人が希望のもてる将来にはつながらないやり方です。
(中村)
 お金のあるなしで勝ち負けで決めるなんて短絡的すぎます。生きているということは続いていくということですし、0か1かではない。その間の多様なものを見ていくナチュラルヒストリーの眼は、これからどう生きていくかを考える上で大事なことですね。
(鷲谷)
 そうですね。生きものを見ていると、とても複雑な関係にあることがわかりますので、子どもたちにそうした眼をもってもらうことで、彼らの代からでも今だけを見て単純に判断するのではなく、長期的にものを見て考える人が育つようにとこの仕事をしています。
(中村)
 そういうことが当たり前になる状況にしたいですね。生きものって思い通りにいかないことがあります。ヒマワリを育てている方が、まさに花が咲いた時に台風が来て、すべて倒れて商品にならなかったという話を聞いて、本当に大変だと思いました。でもそれでお辞めになるかというと、翌年もやっぱり育てられた。
(鷲谷)
 短期的な判断をされていない。
(中村)
 本当に偉いなあと思います。めげてしまってもいいのに、自然はそういうものという感覚がおありになるのでしょう。労働に見合う成果が出ないこともあったり、台風などの災害に見まわれることもあるけれど、色々なことをすべて含めて受け入れていらっしゃるのだと思います。謙虚でありながらとても強い。
(鷲谷)
 理想の農業者像ですね。この頃は生協などでも台風で落ちたリンゴを売っていて、私も時々買っていますが、消費者が農家のリスクの一部を共有できるようなシステムがあるといいですね。そこに生物多様性という考え方をうまく使っていけたらいいと思います。
(中村)
 そうした価値観を皆が持つことが大事ですね。工業的な考え方をする人は、答えを最初から決めているところがありますが、生態系は今日と明日と明後日とで異なりますし、10年先と100年先ではどんどん変わっていきます。その時に、目の前の問題にとりあえずの対処を重ねていくのではなく、温暖化のような環境変動に対しても、長い時間をかけて、変動の幅を最小限に抑えていく努力をするほかないでしょう。制圧する感じでは対処できませんよね。
(鷲谷)
 このまま何も変わらずに経済優先で行くと、私たちの孫の世代にはかなり厳しいことが起こってしまう可能性があります。やっぱり終わってほしくない、続いていってほしいですし、そのためには変化にしなやかに対処していく心持ちや、人間の側のシステムをどう作るかが重要な課題です。色々な分野の人が共同で取り組む課題ですが、生きものの眼を持つ人が加わった方がいいと思います。
(中村)
 私も生きものを基本にすることだと思いますね。工業だってその発想でアイディアが生まれるでしょうし。
(鷲谷)
 生きものという制約があることで、より効率よく、利益を多く得られるかが考えられますし。
(中村)
 難しくて知恵をはたらかせなければいけない分、チャレンジングですね。やることはたくさんあります。若い人にはそういうシステム作りに挑戦してほしい。
(鷲谷)
 雇用問題でも若い人が犠牲になっています。
(中村)
 それが許せません。生きものとしての私たちを考えても、次の世代の人が大事なのに。
(鷲谷)
 進化の適応度も次世代の生殖に成功する子供の数で測るように、次の世代をどう残し、どう育てるかは大事な問題です。先ほども申しましたが、自分の子供や孫の世代でどうなるかを考えないといけません。
(中村)
 生きものの世界では数で勝負しますが、人間の世界はそろそろ数が多い方が勝ちというのはやめて、知恵で勝負しなきゃ。マイノリティーでも賢くやりくりできることはありますし、それが人間の特徴でしょう。生物学は今まではちょっとマイノリティーでしたが(笑)。
(鷲谷)
 特にナチュラルヒストリーはマイノリティー度が高くて(笑)。
(中村)
 でも、おもしろいでしょ。
(鷲谷)
 そりゃおもしろいですね。
(中村)
 マイノリティーでいるのは責任感も大きくなる分、とてもおもしろくて、私好きなんです。でも保全生態学はもっと広がっていかなければなりませんし、マイノリティーとは言っていられませんね。
わしたに・いづみ
1950年東京都生まれ。東京大学大学院理学研究科博士課程修了。筑波大学生物科学系講師、助教授を経て現在東京大学大学院農学生命科学研究科教授。生態学、保全生態学が専門。中央環境審議会委員、日本学術会議会員。著書に『天と地と人の間で』『サクラソウの目』『生態系を蘇らせる』ほか多数。
Talk

 生命誌ジャーナル 2009年 春号

CLOSE
Javascriptをオフにしている方はブラウザの「閉じる」ボタンでウインドウを閉じてください。