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TALK

[ RNAって何?] 

情報と機能をもつ古くからの働き者

中村義一東京大学医科学研究所教授
中村桂子JT生命誌研究館 館長

 

1.RNAのフレーバー

中村(桂)

年に一つ、「愛づる」「語る」「観る」と、動詞で選んできた生命誌のテーマは、今年は「関わる」です。「関わる」は、生きていると同じと言ってもよいくらい、生きものにとっては当然のことですが、基本を大切にしたいという気持を込めてこれを選びました。

生命体の基本単位は細胞で、その中にある膨大な数の分子が関わる仕組みを理解しようとしているのが現代の生物学ですね。細胞というシステムの分子生物学。その中で、義一さんが、ずっと探り続けてこられた分子であるRNAが、思いのほかの多様な活躍をしていることが近年、明らかになり始め、光があたっていますね。

一つひとつの酵素、次いでは、一つひとつの遺伝子を探ることから始まった細胞内分子の生物学でしたが、これからは、すべてが複雑に関わり合う全体として生命現象を観ていかなければなりません。その切り口を探しているのですが、そのためにもRNAを知らなければなりませんね。そこで今、大変興味があるのです。

中村(義)

従来、語られていたRNA像といえば、例えばメッセンジャー(伝令)RNA※註1という呼び名に表われているように補助的な役まわりでした。セントラルドグマ※註2の主役は、なんといっても遺伝情報を担うDNAと、はたらき者のタンパク質で、それらの活躍に挟まれたRNAは受け身で虐げられた存在で、同時にその研究をしている人間も・・・。

中村(桂)

実は、私の大学院での初めての仕事がRNAでした。そのテーマを与えて下さった渡邊格先生*1は、前生命誌研究館館長の岡田節人先生と並んで、私がこれまで出会った人の中でもずば抜けて勘のいい方で、早くからRNAの重要性を考えていらしたのです。

現在ではよく知られているトランスファー(転移)RNA※註3について、小さなRNAがアミノ酸を運び、しかもアミノ酸ごとにそれぞれ違ったRNAが対応しているらしいと言われ始めた時代です。そこを探るために、まず遠心機で小さなRNAを集め、カラムクロマトグラフィで分劃して、ロイシンをつけるRNAとトリプトファンをつけるRNAは異なる位置にある、つまり少し違う分子であるということを調べたのです。日本に一台しかない分析型超遠心器で分析させてもらいに農水省の家畜衛生試験所の高浪満先生*2のところへ通ったものです。

中村(義)

桂子館長のお仕事がRNAから始まったとは、今日まで、存じ上げませんでしたが、それでRNAへの関心の強さ、合点がいきました。当時はいい時代だったでしょうね。

中村(桂)

いい時代と言えばいい時代。何もわからず基本の基本を考える時代でしたから。貧乏でしたけれどね。格さんが世界のトップレベルに触れ、その上での自分の考えを進めていらしたので、何も知らずに入った学生の私としては恵まれた環境でした。ただ、今考えるとその価値は全くわからずにいたわけで、もったいないと思います。先生は京大でRNAファージを研究されましたし。退官記念に配られた手描きの風呂敷が印象深い。手前にDNA世界が描かれ、空には金色の雲がたなびいて、橋の架かった向こう側にRNA世界がある。そんな風にRNAの世界に強いこだわりを持ち続けておられました。

私も、今わかっているゲノムと、それと関連したRNAのはたらきを理解していたわけではありませんが、RNAの世界にこそ、生きていることの全体を動かしている面白さがあるという認識をかなり早くから持てたのは、格さんのおかげなのです。

中村(義)

私が、京都大学ウィルス研究所の由良隆先生*3の下に大学院生として入ったのは、渡邊格先生が京大から慶応へ移られて間もない頃で、まだ「RNAファージのフレーバー」が濃厚に漂っていました(笑)。そこは、分子生物学のセントラルドグマが確立する以前の「何だろうこれ?」「パズルだぞ!」というわくわくする感覚に満ちていて、渡邊先生を継いだ由良先生もそのフレーバーをずっと大切にしていましたね。

中村(桂)

なるほど。あなたのところまでつながっているんだ。

中村(義)

当時は、由良先生も一生懸命、遺伝暗号とアミノ酸の対応という基本問題を解こうとなさっていた。そういう時期でしたね。

中村(桂)

メッセンジャーRNAにしても、遺伝暗号にしても、日本の研究者の考え方はよいところに行っていましたね。富澤純一先生*4、野村眞康先生*5などなど。そのフレーバーを中村さんが上手に嗅ぎとって、今のお仕事につなげて下さっているというつながり、初めて知りました。

中村(義)

RNA研究を柱に据えた研究所としては、ウィルス研が日本で唯一の場所だったと思います。当時は、まだRNAポリメラーゼ※註4が合成を開始する際の目印となる遺伝子の場所もわかっておらず、RNA合成の開始で一番重要な役者を洗い出すことが、私の大学院生時代の5年間の仕事でした。ちょうど大腸菌のRNA合成の開始反応で一番始まりの大事な役割を担うタンパク質がシグマ因子だという知見が出た頃で、その遺伝子を捕まえようとしたのです。当時はクローニング技術もなく、プラスミドを使って大腸菌の染色体のある一箇所を増量させてシグマ因子がぐっと増えることを見つけるわけですが、今思えば、非常に古典的な分子遺伝学的解析手法で、地道で大変な仕事でした。でも、実はこれが私の一番いい仕事だったのかもわかりません(笑)。

中村(桂)

私の話が古事記だとすると、義一さんのは源氏物語くらいかしら。古典を読むように、科学でも歴史的に追っていくことをする必要があると思いますね。DNAがRNAに読まれるという基本のところ。現在の先端のお仕事につながるRNAの長い物語は、そのように始まったわけですね。

(註1) メッセンジャー(伝令)RNA

【messenger RNA】
タンパク質合成において、順次結合されていくアミノ酸の配列を規定するRNA。

(註2) セントラル・ドグマ

【central dogma】
中心的教義。核酸上の塩基配列として決定されている遺伝情報は、DNAからmRNAへ転写され、さらにタンパク質へと翻訳されるが、その逆流はしないという考え方。1958年にDNA二重らせん構造の発見者の一人、フランシス・クリックが生物の一般原理として表現した。

図:教科書『細胞の分子生物学』第4版を参考に作成。

(註3) トランスファー(転移)RNA

【transfer RNA】
タンパク質合成において、メッセンジャーRNAの情報を基に遺伝暗号表に従って、対応するアミノ酸を運搬する役割を担うアダプター分子。

(註4) RNAポリメラーゼ

【RNA polymerase】
RNAを合成する酵素の総称。一般には、DNAをRNAに転写するDNA依存性RNAポリメラーゼまたは転写酵素をさす。

図:教科書『細胞の分子生物学』1984年第1版を参考にした図「DNAからRNAへの転写」。RNAポリメラーゼを円形の灰色で示す。

(*1)渡邊格 【わたなべいたる】

現慶応義塾大学名誉教授。

(*2)高浪満 【たかなみみつる】

現京都大学名誉教授。

 

(*3)由良隆【ゆらたかし】

現国立遺伝学研究所名誉教授。


(*4)富澤純一 【とみざわじゅんいち】

現国立遺伝学研究所名誉教授。

(*5)野村眞康 【のむらまさやす】

現カリフォルニア大学教授。


2.終わりから始める

中村(桂)

最初から、RNAに魅力を感じていたのですか。

中村(義)

本当の意味でRNAの面白さに惹かれたのはその次の仕事からです。

ものの始まりや、ことの初めについては、多くの人々がわりあい興味を抱くものですが、そもそも私は少し変わり者で、ものごとの終わりに興味があった。だからRNA合成も終わりを知りたい。どういう仕掛けで合成が止まるのだろうと思って文献を調べたら、誰もあまり手をつけていないらしくどこにも書いてない。ならば自分でやってみようと始めたのです。

DNA上でRNAの鎖が出来上がり、メッセンジャーRNAや、リボソームRNAとしてはたらくにはDNAから離れなければなりません。実際に、大腸菌やファージの系で見てみたら、RNA合成が終わって鎖が離れていくところで大事なはたらきをしている主役はどうもRNA自身らしいということがわかった。

中村(桂)

そのための酵素があるのでなくRNAが自分から離れていくのですね。

中村(義)

そう。自分で離れる。それを非常に不思議に思った。

中村(桂)

そのへんがRNAの一番面白いところですね。

中村(義)

それが、私がRNAに嵌った最初のきっかけでした。いったいどうやって自分で剥がれていくのだろう。ここで終わりだよということがどうしてわかるのだろう。とても不思議でしたね。ところが、終わるところで終わるわけで、わざわざそのための仕掛けなんて要らないからじゃないかという見方をする人もある。そっちの方が多かったですね。

中村(桂)

でも、やっぱり何か仕掛けがあるだろう、その仕掛けこそがRNAのもっている特徴だろうと考えたのね。

中村(義)

結局、「かたち」が大事なのです。合成されたRNAが、2次構造をとり、高次構造を作ります。それが剥がれるためのはたらきをする。そのための情報が全部RNAの中にあるわけです。

中村(桂)

そもそも一本鎖であるRNAの面白さは、DNAと同じような塩基配列の「つらなり」による情報と、タンパク質と同じような「かたち」という機能の両方をもち得るところにあるわけですね。二つが一体化したら、生きものらしさを出す能力としては、非常に面白いものを持っているはずだともっと早く気づくべきでしたね。セントラルドグマでDNAとタンパク質に眼が行ってしまいあまりそういう意識が持てなかったのね。

中村(義)

RNAが真ん中にいることと一本鎖の意味。今思えば、当然のことですけれど。

中村(桂)

人間の頭のはたらき方というか、科学のありようというか。後から思えば、当然のことがブレイクスルーになっている。大勢の人が毎日見ていることなのにあまりそういう見方に気づかなかった。そこがパッと見えた時が本当に面白い。

中村(義)

おっしゃる通りで、私は、終わりのことを始めたら、けっこう面白いことが見えてきたぞと気づいたのです。だから次にタンパク質合成の仕組みに仕事を移したときも、終わりをやろうと思った。DNAからRNAを合成する転写※註5の場面に比べて、RNAからタンパク質を合成する翻訳※註6の場面は複雑で、きっといろんな役者が登場してくるに違いないと予測して、これまた文献を調べてみたら、ここもほとんど手つかずの領域だったのです。

翻訳が終わる大団円で、終止コドンがどのように認識されて一連の流れが終結を迎えるのか。それから15年ほどかかってようやく仕掛けが見えるようになりました。もちろん今ではちゃんと教科書にも書いてあります。

RNAが主役の世界に生命現象の基本はあるという切り口をもってやったら、いちばん謎に満ちていて面白いことも結構出てくる。そういう気持ちが強かったですね。

中村(桂)

RNAが自分自身をつくるところも、次にタンパク質に翻訳するところも、主役はRNA自身ということがわかったわけですからね。

中村(義)

RNAは単なるDNAの一次配列の写しでなく、形をつくって機能するまでのことがそこに書かれている。重要なところはRNAが自分でやっているわけで、まさにはたらく分子ですね。

中村(桂)

大きく言えば、生命現象のあらゆる場面は、RNAが得意とする「つらなり」と「かたち」の組み合わせが情報と機能として成り立っていますね。生きものの面白いところは、根本的に、その仕組みを変えることなく38億年も使い続けていることでしょう。なぜもう少し違うやり方を探そうとはしなかったのかしら、これが最善というわけでもないでしょうにと思うこともありますが。

これが機械であれば、私の子ども時代に使われていた真空管は、トランジスタになり、集積回路になり、さらにどんどん小さくなって、もう一昔前の技術なんて使えないよと古いものは捨てられてしまう。ところが生きものは、38億年もの時間があったにもかかわらず、一切、そうはしなかった。

人間だって、38億年前に始まる流儀を守り続けているということです。そこが生きものの面白さだし、もしかしたら限界かもしれませんね。全く違うことはできないという。

中村(義)

もう変えられないのかもしれませんね。DNAは二重らせんになっているので、かっちりとなってしまっている。封印されているのです。

中村(桂)

もし、仕組みを全く違うものにできて、その時の環境に合う仕組みに転換できるなら、環境問題に悩まされることもないかもしれないと、科学技術文明の中で生きる私たちは、ついそう考えます。でも現実に、今の仕組みは、これからも大きく変わらないとすれば、それでも続けていける文明を考え、そのために工夫して行かなくてはなりませんね。

中村(義)

ご指摘のように、いま新しい研究からいろいろな事実がわかればわかるほど何かを自分たちの意のままにするのは難しいんだということがどんどん明らかになってくると言えますね。

中村(桂)

しかも、今わかっていることで変えたとして、長い時間で見た時にはよい結果になるとは限りませんしね。少なくともこの仕組みは38億年続いてきたのですから、これからも続いていくだろうと考えてよいでしょうし。

(註5) 転写

【transcription】
DNA依存性RNA合成で、遺伝子発現の第一段階の反応。DNAを鋳型に塩基の対合する相補的な塩基を5'から3'の方向へ合成する。

 

(註6) 翻訳

【translation】
実質的にはタンパク質合成とほぼ同義だが、とくにmRNAの情報を読み取って、リボソーム上で20種類のアミノ酸配列に変換することをいう。

 



3.RNAの世界へ

中村(義)

RNAの面白さの根幹にあるのは、柔軟性と多様性ですね。それが生きもののダイナミズムを実現している。

中村(桂)

確かに。DNAの二重らせん構造は、情報の維持、伝達という点ではお見事ですけれど、形の自由度は少ないかも。RNAの面白さはどこから出てくるといえるのかしら。

中村(義)

RNAとDNAの物質としての違いはとてもわずかなのですが、その違いゆえにRNA鎖は非常にいびつな形となってしまい、DNA鎖のように連続したきれいな二重らせん構造をとれないんです。それでRNAは一本鎖という宿命にあるのです。

中村(桂)

違いといえば、DNAは デオキシリボ核酸、RNAはリボ核酸という生物学の最初に習う違いがありますが。

中村(義)

RNAでは、ヌクレオチドの五炭糖の2位の位置の炭素にOHが結合しているので鎖がまっすぐになれないんですよ。DNAではそこはH。

さらにRNAでは、4種類の塩基の一つがU(ウラシル)になりますね。これもDNAのT (チミン)とは形が違います。

(図3) RNAとDNAの違い

DNAやRNAといった核酸は塩基・糖・リン酸が結合したヌクレオチドが重合したものである。DNAをつくるヌクレオチドの糖は2位がHであるのに対して、RNAはOHである。RNAの塩基の一つウラシルは、DNAのチミンに比べて、-CH3基がない。

中村(桂)

なるほど。しかしそれも不思議な話ですね。DNAとRNAを比べて、糖の2位にOHがあること、また塩基の一つがUだということ。これはよーく知っていることですけれど、その違いがRNAをこれほど面白くしているという視点で教えるということをしていませんね。違いとして憶えるだけ。

中村(義)

確かにそういう見方では、教科書にも書かれていませんね。RNAが二重鎖を作ろうとすると、その小さな違いのせいでまっすぐにはならず、あるところで歪んでいびつな形になってしまうでしょう。

中村(桂)

だからあまり大きな二重鎖RNAはできないので、情報倉庫にはなれない。あっそうか、なるほどと納得しました。

中村(義)

地球上に誕生した最初の生命のゲノムは、DNAでなく、おそらくRNAが使われていただろうといわれていますが、すでにその時代にDNAという物質が存在したとしても、DNAでは、最初のRNA の代用は務まらなかったことでしょう。DNAはDNA、RNAはRNAです。

中村(桂)

生命の始まりの時代は、RNA世界だったろうというのはそろそろ定説と考えてよいでしょうね。きっと、RNAだからこそ、柔軟なかたちではたらけるし、そこそこの情報なら伝えていけるので、いろいろと都合がよかった。ところがRNAだけでは、限界があって、そこにDNAが登場したのでしょうね。やはりデオキシリボ核酸で、きれいなまっすぐな姿にならないと、38億年間、続いていく基本としてはおさまりが悪い。でも、あまりそういう風には言われていませんね。

中村(義)

皆さん、そういう風には考えないので、言わない。

中村(桂)

私の質問が、いい質問だったわけですね(笑)。RNAだけでは、いろいろ作っては壊しという作業を延々と続けて、そこから抜け出せず、おそらく人間までは来なかったでしょうねえ。

中村(義)

さぞかしファジーな世界になったことでしょうね。多くのRNA研究者は、今もRNA世界はきっとどこかにあるだろうと、それが出て来たら面白くなるぞと思っている。私もその一人です。

中村(桂)

そのファジーな世界が、実在するとしたら、深い海の底か、よその星ということになるのでしょうけど。地球は、かなり調べられており、海のかなり深いところまでDNAの世界とわかっていますね。RNAの系を続かせるなら実験系でやるということかしら。

中村(義)

実験室の中で逆進化を試みるのは、これからの興味深いテーマです。でも万が一、実験室の外にRNAの世界があるかもしれない、特殊な状況のところにという思いはあるんです。

中村(桂)

RNAががんばっている星があるかもしれませんね。地球では、むしろDNAとタンパク質の間で思い切りRNAらしさを発揮している。それを見ていくことが必要だということでしょうね。

4.一番の大立て役者

中村(義)

細胞は外から見たら一つのまとまりですが、その中での非対称性が大事ですね。それを作り出す基本がRNAにあると思います。その典型が受精卵。

中村(桂)

受精卵はこれから一つの個体を作り上げるものですから。

中村(義)

卵割する前の受精卵は、まだDNAがはたらかず受精前の卵の中に入っていた母親由来のメッセンジャーRNAしかはたらかない状態にあるわけですが、そこですでに極性が決まってくる。母親由来のRNAとRNA結合タンパク質が作用し合いながら、一極で、多様なタンパク質の発現を可能にし、もう一極では抑えるというように機能する。個体発生の始まりは、まさにRNAの独壇場です。

中村(桂)

ショウジョウバエの卵での実験がよく知られていますね。母親からもらったメッセンジャーRNAとRNA結合タンパク質が、からだの前後軸や体節の繰り返し構造を決める最初のパターン形成にはたらくということで。卵の中ではたらく母親由来のものといえば、タンパク質をイメージしていましたが、ここでRNAが浮かび上がってきた。タンパク質は、受け取ったものをはたらかせるしかありませんが、RNAなら新しくタンパク質を作れますから、ここでもなるほどと思いました。

図4:母親由来のmRNAの局在が決める体の形づくり

(「ゲノムが語る生命誌」展より)

中村(義)

少し大げさかもしれませんが、私は、細胞、あるいは生命の非対称性の根幹はRNAのはたらきだと考えているんです。細胞の中の極性を生み出す局在化の仕掛けにしても、RNAとタンパク質との相互作用と、それらの細胞の中ので動きが細胞の非対称性を支えているのだと思うんです。

中村(桂)

細胞の極性という形の非対称性のほかに、母親由来と父親由来の染色体のはたらきの違いという意味での非対称性もありますね。雄と雌の非対称性。ゲノムインプリンティングで、これはゲノムのはたらきですが、具体的にはRNAのでき方ではたらきが決まってくる。

図5:ゲノム・インプリンティング(刷り込み)

中村(義)

はたらきといえば、RNAの中での、一番の大立て役者として続いている古株RNAは何だかご存知ですか。

中村(桂)

RNAといえば、これまで話題になったメッセンジャーRNA、トランスファーRNA、そしてリボソームRNA・・・。何だろう。

中村(義)

それは、リボソームだと私は思っています。

中村(桂)

リボソームは大事だけれど、でもタンパク質との複合体でしょう。

中村(義)

ええ。でも大きな複合体であるリボソーム本体のおよそ八十数パーセントはリボソームRNAが締めているわけでしょう。しかもタンパク質を合成する触媒としての機能もRNAが担っていることがわかってきているんです。

最近、リボソームの活性中心まで詳しく見えるようになってきて、中心の半径18オングストローム以内にタンパク質がないことは、X線の構造解析から明らかにされたんです。つまり、“リボソーム is リボザイム”なのです。

中村(桂)

リボザイム、つまりRNAが酵素(エンザイム)としてはたらいているんですか。すると、リボソームにあるタンパク質は、酵素としてではなく、レンガのように形を支えるためにあるというわけ?

中村(義)

リボソームの全体像を見ると、五十数個のタンパク質が、ごま塩のようにてんてんと表面にくっついています。それらはタンパク質合成に、触媒として直接関わるのではなく、リボソームがタンパク質を合成する速さや正確さに寄与しているらしいんですよ。

(図6) 見えてきたリボソームの全体像

(CG「DNAって何?」より)

中村(桂)

へえー。間違いが起きたところを、捨てたり、直したり、校正するのは、酵素タンパク質の役割ではないの?

中村(義)

いいえ。それらの酵素活性は、全部RNAにある。例えばリボソームには、GTPをGDPに加水分解する触媒作用の中心となる部位がありますが、そのいちばん大事なスイッチの役目を果たす部分は、本体の奥のほうに隠れています。外からやってきた翻訳因子となる別のタンパク質がそこに嵌って、初めて反応が起こるのです。リボソームRNAからなる重要な活性中心は、だいたい奥のほうに隠れていて、表面に露出したごま塩のようなタンパク質が介添え役としてはたらくようです。

中村(桂)

なるほど。リボザイムというRNAのはたらきは、トランスファーRNAを切り出すとか特別なところに見られるのかと思っていましたら、リボソームというタンパク質合成の最も重要な場でもそういうはたらきをしている一般的というか基本的現象なんですね。

中村(義)

それが連綿と続いて来た。とても古い仕組みをそのまま受け継いでいるわけです。

中村(桂)

それほど古いということは、どの生物でもリボソームの構造はほぼ同じと考えてよいということ・・・。

中村(義)

タンパク質を作る大事な大仕掛けの本体は、バクテリアから人間まで、現在、調べられている生物では、ほぼ同じだと思います。今、ごま塩のように表面にくっついていると表現したタンパク質はバクテリアなどにはないけれど、重要な役割りはRNAがやっていたので充分でした。一度つくったその仕掛けを捨てられなくなったのでしょう。

中村(桂)

なるほど。DNAの場合に話したのと同じ、ここまでそれで続いて来たのだからこれからもこれで行くでしょうということね。

中村(義)

あとは、周辺をいかによりよくできるかという工夫しか残されていない。

中村(桂)

そんな風にして、基本を変えずに人間まで来たわけですね。バクテリアも私も、活性中心はRNAと。

中村(義)

タンパク質合成は、非常に高エネルギー消費型のプロセスで、ヒトのエネルギーの半分はリボソームが消費しています。

中村(桂)

エネルギーの半分。すごいですね。そんな無駄なものどうしてそのまま使い続けているのでしょう(笑)。

中村(義)

ただタンパク質を合成する仕掛けとしては、すごいものですよ。非常に高速で、アミノ酸を毎秒16個、鎖にしています。しかも誤り率は、5万回に1回。間違えても校正するので最終的に誤りはほとんどありません。

中村(桂)

ほお。その速さの中で校正までしているのですか。

中村(義)

何しろすごい。古い基本は変えないけれど、そういうところまでいろんな仕掛けを作り込んで仕上げてきたんですね。

中村(桂)

かなり改良されているわけね。

5.いいかげんなRNA

中村(桂)

RNAは、少々陰に隠れた中間的存在ではなく、自分から多様に柔軟にはたらいて生きものらしさを生み出す源であると、中村さんのご研究をお伺いしてよくわかりました。ところでこれまでお話に登場したのは、メッセンジャーRNA、リボソームRNA、それからトランスファーRNAなどある意味で古参の役者たちですが、この頃は、それ以外の小さなRNAたちが注目されていますね。

中村(義)

短いRNA鎖が対合することで、発現中のメッセンジャーRNAのはたらきを止めるという、“RNA干渉”※註7が、今、大変注目されている現象の一つですが、細胞質ではたくさんのRNAが発現しているんです。これら小さな働き者のRNAがいったい何をやっているのかほんとうにはまだわからないですねえ。 例えば、ヒトの場合、コンピュータに登録されている配列情報の中には、すでにわかっている小さなRNAがおよそ500種類ある。20塩基ほどの短いRNAで、始めにヘアピンの形になって切り出されてきます。その構造をとることが可能な配列をコンピュータで検索すると1000程度ある。それが上限だろうと言われています。

中村(桂)

ヒト以外のほかの生きものでは、どんな風ですか。小さなRNAたちも、先程のリボソームのように、ある基本的な役割を果たしながら連綿と続いてきたものなのかどうかということなのですけれど。長い歴史の中でどんな風に生れ、どんな風に増えたものなのか。知りたいのですが。

中村(義)

面白いことに、さまざまな生きものから同じはたらきをする小さいRNAをとってきて比べると、お互いに塩基配列がぜんぜん似ていないのがこの連中の特徴なんです。おそらくその時々の都合で、ぽいぽい作って来ちゃったんじゃないかという感じがします。

中村(桂)

配列は違うのに役割が同じ。というのがまた面白いですね。配列は違うけれど形など、はたらきと関係するところが同じならよいのでしょうね。DNAはあまりそれができない。

中村(義)

いいかげんなところは、かなりRNAがやっていると言ってよいかもしれません。

中村(桂)

生きものは機械と違って、さまざまな環境や状況に応じて、外とうまく関わって行かなくては生きられない。そのためのいいかげんさが、生きものらしさを生んでいるわけですが、そのお役目のかなりの部分をRNAが担っているということね。

中村(義)

こういう研究が始まった頃、新しくRNAの配列が報告される度に、いろいろ比べてみたんです。お互いがぜんぜん似ていないんですよ。ふつうはそこで困るわけですが、私はそれをとても面白いなと思った(笑)。

中村(桂)

確かに理屈を立てる時に、同じであってくれた方がありがたいですからね。でも人間という生きものは、違ったら違ったでそこに意味を求めるので、そこに面白さが見つかるかもしれませんね。配列が違うほかに捉え所はないですか。

中村(義)

実は、小さなRNAと一緒にはたらく相手方の分子が、そこにうまく嵌め込まれるという共通性はあるんです。形さえ合えばよいわけだから、あちこち切り取ってはその断片でいろいろな仕掛けを試しながら、まだ進化しているのかもしれません。中には、非常に大事な仕掛けとして捨てられなくなり続いているものもあるでしょう。先ほど拝見させて頂いた展示「ゲノムが語る生命誌」に、動く繰り返し配列であるトランスポゾン※註8やレトロポゾン※註9が出てきましたが、それらとよく似た特性があるんじゃないかと思ってます。この研究を進めていくのは大変だけれど、非常に面白いところですね。その時に、ヒトはヒト、線虫は線虫と全く違うものとして見ていかなければ駄目だとは実感しています。

(註7) RNA干渉

【RNA interference】
任意の塩基配列と相補的な配列を含む二本鎖RNAを導入するとその遺伝子のmRNAが分解され遺伝子の発現が抑えられる現象。1998年に線虫を用いた系でこれを発見した功績により、アンドリュー・ファイアーとクレイグ・メローは、2006年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

(註8) トランスポゾン

【transposon】
転位性遺伝因子ともいう。DNA上のある部位から他の部位へ転位するDNA単位。

(註9) レトロポゾン

【retroposon】
多くの真核生物のゲノム上に存在し、逆転写によって生じたcDNAがゲノムに挿入されてできたと考えられるもの。



6.山のような役立たず

中村(桂)

RNA干渉をする小さなRNAのほかにも細胞の中で、タンパク質にならないRNAが注目されていますね。それについてはどのくらいわかってきていますか。

中村(義)

ノンコーディング RNA※註10ですね。ヒトの場合、30億塩基対のゲノムのおよそ3分の2がRNAに転写されて、そのうちタンパク質になるのがたったの2%。残りの約98%がノンコーディング RNAだという試算です。

中村(桂)

そのパーセンテージが工学の方たちを驚かせるわけですよね。生きものっておかしい。そのRNAはいったい何をしているんだと知りたくなるのが人間です(笑)。

中村(義)

ヒトでの網羅的な解析はありませんが、林崎さんが、マウスで※註11ノンコーディングRNAが5万と見積っていますね。おそらくヒトはそこに止まらないでしょうから、仮に10万とした時、先ほどお話していた小さなRNAたちは、多くて1,000ですからどうがんばっても1%に過ぎません。

中村(桂)

またそこで工学系の人を悩ませることになるわけ・・・。ノンコーディング RNAの大きさはわかっているのですか。

中村(義)

RNAが持つ大きな特徴の一つがスプライシング※註12を受けることです。転写された非常に長いRNAから徐々に切りつめられてきれいに端揃えもされて機能する長さになる。でも逆に、端を切ったら機能しなくなる場合もあるでしょうし、メッセンジャーRNAの時に知られている最終産物の姿がはたらく形とも限りません。どの段階のどんな姿のRNAがはたらいているのかも本当にまだわからないのです。

中村(桂)

RNAは、今おっしゃるように一本のものをあれこれの形に変えて使えるという点でも、動的で多様性を出せる。

中村(義)

その複雑なものを研究しなくてはいけないのです。

中村(桂)

これだけ複雑だとどこから切り込むか難しいですね。はたらきのわからないものをどうやって研究するか。

中村(義)

始まりに戻ることです。まずはRNAをもれなく分離する地道な作業。次に、遺伝学的、生化学的に、力仕事で解析する。これからはエレガントでは駄目でベタな力仕事だと思っています。

中村(桂)

確かに生物の研究は、泥臭いところが必要ですけれど、力仕事といっても何か切り口が必要でしょう。例えばメッセンジャーRNAに、始まりと終わりがあるというそれ自身の合成のされ方から入りましたね。ノンコーディングRNAの場合、それとはまた違うアプローチが必要でしょうけれど。

中村(義)

今、私が熱望するのは、機能している現場に直接入っていきたいということです。大前提となるのは、そのRNAは「かたち」を作る。その「かたち」をもってタンパク質と相互作用するという仮定です。

中村(桂)

すると分離しては「かたち」を見るということをしていく?

中村(義)

そこから入ってRNAとタンパク質が複合体になったものをもれなく分離する方法を確立し、分離したRNAがどういう配列か。次にタンパク質と、RNAと複合体となった時のタンパク質の活性がどう変動するか。機能がわかっているタンパク質と組み合わせてみるのもありかもしれない。酵母のツーハイブリット法※註13にみるようにタンパク質とRNAで網羅的に解析する方法が現実的になってきていますから、それができると思うのです。

中村(桂)

既知のタンパク質と合うものを探して、その時の状態を見るのはいいかもしれませんね。でも、いくら力仕事ができるようになったといっても不確定なものが多すぎて大変そうに見えるけれど。

中村(義)

登ろうとしている山はとても大きい。

中村(桂)

ここはよく考えて戦略を立てるべきですね。手掛かりを見つけなければ登れませんでしょう。

中村(義)

実は、分子生物学の仕事として既に出されている論文にも、各研究者が扱っているタンパク質に正体不明のRNAが結合していたという報告が少なからずあるのですね。これまで多くの場合、そこには研究のメスが深く入らずに見過ごされてきた。

中村(桂)

なるほど。その類のRNAを手掛かりに登ることはできそうですね。

それともう一つの疑問。確かに98%ものノンコーディングRNAがあれば、いったい何をやっているのかと考えたくなるのは、私たち人間の思考です。ところがRNAは、昔からずっといいかげんで、DNAがあれば、役に立つか立たないかは関係なく、何しろ読んでしまうのではないかという気もします。だから、何のお役目もなしのただ読まれただけのものという答えもあり得ませんか。

中村(義)

しかし、ヒトと線虫とでは発現量がだいぶ違っていて、ヒトではこれほどの無駄の山があることが、ひょっとすると複雑な体制を持っていることと関わっているのかもしれません。

中村(桂)

確かに。ゲノム解読が進み、遺伝子の数は種によってあまり違わないことがわかってきましたから、複雑さはむしろノンコーディングRNAの方で出しているのかもしれないという見方ですね。確かに、98%もあるノンコーディングRNAから、さらにプロセシングで動的に多様性が出ているとすれば、そこにいろいろな可能性があることは認めましょう。でも全部に意味があるかというと、それは違うんじゃないかなあ(笑)。ごめんなさい。気をそぐつもりはないのですよ。ただ何かうまい切り口で進めていかなければ危険だと思うものですから。

中村(義)

まったくその通りでシャープさが必要です。大学院の学生に仕事を持たせてもいますからね。それに確かに私は、まだ現役の研究者なので(笑)、ついつい機能という方向から考えてしまいがちですが。その見方で突き詰めたところで、お役目なしのファジーな無駄の山だったということもあるかもしれませんね。

中村(桂)

生きものには、そのようなところがあるという気がするのですよ。そもそもゲノム自体がいいかげんに出来ているものでしょう。途中で外来のものが入ったり、内部で重複したりと、その多くはRNAの仕業だったのかもしれませんが。

中村(義)

実は、ある基本はあるけれど、そこから先は何かがつまっていればそれでよい。それが時に役立つことがあるかもしれないというわけですね。

中村(桂)

そう。全部がそうだとは言いません。ただノンコーディングRNAは、きっとすごいことが掘り出せる宝の山だぞと勇んで向かったところで、面白いこともあるかもしれないし、はぐらかされることもあるかもしれない。むしろ生きものらしさって、そんなところにありませんか。

(註10) ノンコーディングRNA

【non-cording RNA】
タンパク質をコードしていないRNAの総称。これらの大部分の働きはまだ解明中。詳しくは本文を参照されたい。

(註11) 林崎さんがマウスで

ほ乳動物(マウス)における転写産物の総合解析を目指す、国際的研究コンソーシアム「FANTOM」(11ヶ国の45研究機関等が参加)の成果として、理研ゲノム科学総合研究センター林崎良英プロジェクトディレクターらがScience誌(2005年9月)に「RNA新大陸を発見」と発表し、従来のセントラルドグマ像の再考を提起する結果として注目された。

(註12) スプライシング

【splicing】
転写されたmRNA中に存在するイントロンを除去しその前後のエクソンを再結合する反応。とくに複数のイントロンが存在する場合、異なる部位を選択し結合することで、一つのmRNAからいく通りもの成熟mRNAを作り出す現象をオルタナティブ(alternative)スプライシングと呼ぶ。

(註13) 酵母のツーハイブリット法

【yeast two-hybrid】
酵母における特定のタンパク質間相互作用を検出するために考案された(1989年)。真核細胞の転写活性化に、DNA結合領域と転写活性化領域の二つが必要となる原理を利用して、それぞれに遺伝子産物を融合させ転写活性を指標に両者の相互作用を検出する方法。ゲノム解析以降のタンパク質機能解析技術として普及しつつある。



7.面白いほど悩みは深い

中村(桂)

現代生物学の大きな成果であると同時にある種の不幸をもたらしたと私が思っているのは、ヒトゲノム解析プロジェクトの成功です。これで生物学がプロジェクトでできると思ってしまった人々がいるわけです。

ゲノム解読は、確かにプロジェクト向きでした。どんなに塩基数が多かろうと全部やれば終わる。ある期限で終わりに到達するものでなければプロジェクトとして取り組めません。米国のアポロ計画。月へ行くなんて、とんでもない目標だったかもしれませんが、ゴールは明確。でもその成功の後、次の目標を「がんの撲滅」にしたのはよい選択ではありませんね。もちろん、がんを体系的に研究することは重要です。でも未だに終わりは見えませんね。恐らく“生きているとはどういうことか”という問いと同じ難しさを持っているわけで終わりはないと言ってもよいかもしれません。

ゲノム解読の次も同じです。一旦手を止めて、ここから生物学がどう始められるかと、少しの期間でもよいから真剣に頭をひねるべきでした。ゲノムという素材が与えられたことが、どれほどの可能性を秘めているか。生きものの基本の「すべて」がゲノムにあるのですから、きっと面白いことができるはずだと考えて課題探しをすべきだったのです。そこをよく考えず、“オーム”という言葉を後につけたプロジェクトを立てても、それは生物学にはなりません。生物学は面白いところへ来ているのだから生物学をやりましょうと言いたいですね。

中村(義)

まったく同感です。現在、生物学に期待される得体の知れなさは、冒頭で桂子館長がおっしゃった40年前の状況とよく似ていると思います。わくわく楽しい時なのですよ。

中村(桂)

当時は遺伝子を直接手にすることができないだけに工夫が必要であり、皆がそれを楽しみ、誰も考えつかないことを探そうとしていましたね。今は毎日出てくる新しいデータの山があるわけですし、DNAを直接操作できます。それだけに面白い面と、全体像を捉えないと、どんどん「生きもの」が見えなくなっていく恐さがあります。解けたら心底、面白いのだけれど、裏返せば、悩みの時期でもあるということですよね。

中村(義)

私はゲノム配列の解読に、直接、関わりませんでしたが、新しい問題が山積みの状況に遭遇できたことは、幸せだと思っています。簡単には片づかない問題だろうとは思いますが。

中村(桂)

私が学生だった分子生物学の揺籃期は、ボーア*6やデルブリュック*7たち物理学者が悩んでくれた結果始まった大腸菌での解析の時代でした。次の70年代の転機は、原核単細胞のバクテリアで生命現象の基本が見えたと思ったモノー*8らを筆頭に、次は多細胞体へどう転換しようかと大いに悩んだ時代でした。ジャコブ*9はヒルを扱い、ニーレンバーグ*10は神経細胞を培養し、ベンザー*11はショウジョウバエでと試行錯誤した。そこへ登場して問題をいっぺんに解決したのがバーグ*12の組み換え技術でしたね。バクテリアはもちろん、多細胞生物、その中でもヒトまでもが分子生物学の対象となったことに誰もがびっくりしました。そしてヒトゲノムプロジェクトで、ゲノムの解読ができました。今、膨大なデータの山を前にしたこの悩みはどう解決できるのか。20年先から誰かが振り返って見たら、ここが、乗り越えねばならない節目ですよ。どう乗り越えるかを、皆が悩まなくてはいけない。ところが、技術さえあれば何でもできるとばかりに誰も悩んでいないように見えます。

昔と今で違うことは、最初の節目では、主な役割を果たした研究者は百人の単位。次の節目では、千人の単位でしょう。ところが今は、何万人、何十万人という人々が関わっている。その全員が悩まなくても、研究をリードしている研究者は、深く悩まなくてはいけないと思うのです。

中村(義)

叱られに来たみたいです。

中村(桂)

まさか。叱ってなんかいませんよ。でも深く考えずに大きなプロジェクトを動かすのが違うということはわかって下さるでしょう。悩んでいる時は辛くても、振り返れば、本当の意味で考えた充実した時間とわかるわけでしょう。良い仕事を残した人がそれぞれどう考えたかは今もみえる。例えばノーベル賞を秤りに用いるなら影響力の大きい成果をあげた日本人が少ないのは、時代を考えれば仕方がなかった。今、当時に比べれば、人材も予算も充分な日本から新しい考えと成果を出す人が出れば、きっと日本の科学は良くなります。

中村(義)

今度がチャンスですね。

中村(桂)

そう。チャンスが回ってきたのにどうしてかなあと思うのです。お金をどう使ったかを説明するために、プロジェクトにして目標と期限を決めてお金を出す。研究にはお金は必要ですが、そのために、おかしな目標と期限を約束してしまうのはまずいでしょう。政治家に動かされてしまう。今のこの変化の必要性を政治家が理解するのは無理でしょう。「日本はすごいと世界の人が認めるような研究をしますが、それには時間がかかります」と言わなくてはいけない。約束できない約束をして何億円も使うのでなく、本当に必要と思うことを実験し、とことん考える。それが本当の生物学ではないでしょうか。

中村(義)

RNA研究に関しては、巨額の資金は頂かなくてもそれなりの規模で継続できています。何より、若い人が活発に討論して、考える動きが出てきているので、次の状況を楽しみにも思っています。当然、個々が努力していかなくてはならないことはあるし、現代生物学が直面している膨大な情報をどう扱っていくのかなどの問題は大きい。それを真ん中からどう切るかが大きな悩みです。

中村(桂)

個別の研究分野としてのRNA研究は、報告書を拝見して、素晴らしいと思っています。若い人も育ってますね。

中村(義)

そんな新しい人たちの中から出てくる考え方で、うまく切れる可能性もある。

中村(桂)

もちろん、生物学の若い人に期待するほかありません。しかし、例えば大量のデータを扱うにも、技術も力仕事も必要だとして、加えてもう一つ、これは数学なのか何なのか、今までの分子生物学にはない考え方を持ち込まなくては答えが出ないように思うのです。

先日、研究館の橋本さんが中心になった「かたちまつり」という研究会で、いろいろな分野の「かたち」を考えている人たちが集まったのですが、一つ、近藤滋さんのチューリング波の問題が面白かった。からだの表面に見えている縞模様は、どう考えても、生きものが縞を作るためにやっているはずはありませんね。あれは体の中でかたち作りの基本として、必要があってはたらいている仕組みがたまたま縞に見えているのだということです。それはその通りだと思うのです。

生きもののかたち作りの本質に、チューリング波が関わっているとすると、生物学をよく知っている人がチューリングの見方をとり入れる必要があるわけですね。もちろん細胞の動きや、遺伝子のはたらきについての研究が基本ですが、そこに数学なのか、形而上学なのか、少し違う考え方でデータの山から新しい関わりを見出していかなければ、次の一歩を踏み出せないところにいる気がしています。

中村(義)

次が、数学から出てくるとお考えですね。先日、京都賞の赤池弘次先生*13のお話をお聞きしましたが、20年かけて日本オリジナルのすばらしいお仕事をなさって、そのお人柄を含めて感動致しました。非常に新鮮な世界ですね。

中村(桂)

東北大学の小澤正直先生*14のお仕事も素晴らしい。私は、詳しいところはわからないけれど、アインシュタインが悩みに悩んだ宇宙項に、大変な意味があるということを出していらっしゃる。一般書で紹介されていたので読んでみたら面白かったのです。日本には、数学で優れた人が大勢います。ただ正直言って、私はあまり数学がわからない。教養でやった高木貞治*15の解析概論で止まっています(笑)。

中村(義)

私も今日、いろいろお話を伺って、それが出てくればすごいと、はっきりしてきましたね。

中村(桂)

学問は、面白いほど悩みが深い。でも物理学の悩みの中から分子生物学も生まれた。物理学者が、ニュートン力学の中にいる限りは、意識という問題を考える必要はなかったわけですね。不確定性原理の世界へ踏み出したところから生命、さらに意識という問題が出たわけです。 現代社会は忙しく、学問のありようを意識せずにただ研究と称する仕事をこなしている人が多すぎるように思うのです。昼間が忙しすぎるのなら仕方がないから、夜寝ている間にでも出て来こないものかしら(笑)。

中村(義)

宿題ですね。

中村(桂)

私もずっと悩んでいるのですが、一人では答えを出せないので、今日のように、面白い人を探しては、考えて下さいと頼んでいるのです(笑)。面白い人を探すことならできますから。

中村(義)

来た人は、みんな宿題を持たされて帰るのですね(笑)。今日はありがとうございました。渡邊格先生のお話も。根っこが同じ時代の感触があり、とても感慨深いものがありました。

(*6) ボーア【Niels Bohr】

(1885~1962)
デンマークの理論物理学者。量子力学建設の指導者。

(*7) デルブリュック【Max Delbruck】

(1906~1981)
ドイツ生れ。米国の物理学者、分子生物学者。

(*8) モノー【J. L. Monod】

(1910~1976)
フランスの分子生物学者。1965年ジャコブらとノーベル医学生理学賞受賞。

(*9) ジャコブ【F. Jacob】

1920年生れ。フランスの遺伝学者。

(*10) ニーレンバーグ【M.W. Nierenberg】

1926年生れ。米国の生化学者。

(*11) ベンザー【Seymour Benzer】

1921年生れ。米国の物理学者、生物学者。

(*12) バーグ【Paul Berg】

1926生れ。米国の分子生物学者。

(*13) 赤池弘次【あかいけひろつぐ】

現統計数理研究所、総合研究大学院大学名誉教授。

(*14) 小澤正直【おざわまさなお】

現東北大学教授。

(*15) 高木貞治【たかぎていじ】

(1875~1960)
近世日本の国際的数学者。ほかにも『代数的整数論』など定評ある数学教科書を著す。

写真:大西成明

 

対談を終えて

中村義一

ずいぶんと叱られた(正しくは説教された?)というのが実感。叱られながら、40年前が彷彿としてきた。京大の軟式庭球部のころ、私学に勝つには考えろ、という実戦型理論派OBの飽くなき説教に、これが京大の風土かとずいぶん面食らった。対談では、叱られながらも共感。なるほど、今は千載一遇の好機到来かもしれない。RNAの配列と形。ゲノムが作るジャンクRNAの巨大な山。そこに生命の秘密が隠されているなら、その麓で1、2年じっくり考えなさいとの指摘と期待。桂子館長の眼には、生命科学の歴史のなかで、ブレークスルーが生まれる、あるいは、求められる時の状況が、今ここに到来と写っている。聡明な勘だと思う。創造的な、楽しい時間だった。プロ・カメラマン大西さんから、きりっとした顔もいいと思いますよ、とのアドバイス。ただ、どういうわけか、桂子館長とご一緒すると「きりっと」しなくなってしまいます。

中村義一(なかむら・よしかず)

1972年京都大学理学部卒業。77年同大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)。東京大学医科学研究所助教授を経て、現在、同研究所遺伝子動態分野の教授。文部科学省特定領域研究「RNA情報発現系の時空間ネットワーク」の研究代表者。共著で『RNAの細胞生物学』『RNAルネッサンス』などがある。
 

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