季刊誌「生命誌」通巻25号

Essay

人が輝いて生きるとき 脳の目的に合わせて脳を創る

松本元 理化学研究所脳科学総合研究センター
人間はどう生きるべきか。
脳型コンピュータを創ることによって脳を理解しようとしている研究者の合脳的人生観。
fMRIによる脳断面のイメージ
fMRIによる脳断面のイメージ
 生き物とは、目的のある存在です。バクテリアなどの原始的な生き物は、自分の外から「物質やエネルギー」を選択し、取り込み、取り出すことを目的としています。これを「生理欲求」と呼びます。
 これに対して、さらに進化した生物では、「物質やエネルギー」だけでなく、それ以外の事柄(これを情報と呼びます)を選択し、取り込み、取り出すことも目的とします。
 では、生物にとって、もっとも重要な情報とは何でしょうか。それは、その生物が卵から孵化した後のある短い時間に関わった情報です。たとえば、鳥が卵から孵(かえ)って、最初に触れたものがボールであると、この鳥は生涯、ボールとの強いプラスの関係をもたずには生きていけません。このように、情報を選択し、取り込み、取り出していくことを目的とするような欲求を「関係欲求」といいます。
 人は胎生であり、母親の体内で孵化し、ある程度発育し出生します。この結果、人は、人との間に強い関係なしに生きられない存在となります。
 脳は、情報を選択して取り込み、処理して取り出すことのために分化した器官です。脳の目的は、自ら情報を選択すること、そして、選択した情報を処理するための仕組みを創りあげることです。脳は、何かを思い描くと、続いてそのことを為すための仕組みを創り始めます。脳の中では、イメージが先で、現実は後からついてきます。脳がある情報を得て、それについて「このことはこうだ」とイメージしたら、そのことの理由付けを後から創りだしていきます。最初に「大丈夫」とイメージしたら、「大丈夫」に対応した仕組みが脳の中に創りだされていくのです。
 脳は、イメージを思い描くと、次に「こうではないか」と考えたり、行動したり、人と話したり、感情を表したりと、実際の行為を重ねながら「情報処理の仕組み」を創りだしていきます。実際に行動したり、人に話したりなどして脳から出力することは、脳の「情報処理の仕組み」を創りだす手段なのです。つまり、脳の目的は、「情報処理の仕組み」を創ることであり、その手段として、脳はさまざまに出力するのです。これを「学習の出力依存性」といいます。ある風景を覚えようとするなら、それを100回眺めるより、1回スケッチするほうがよく覚えられるのはそのためです。
 脳とコンピュータの本質的な違いは、それぞれの「目的」と「手段」が入れ替わっている、ということです。コンピュータの目的は、出力することです。そのための手段である「情報処理の仕組み」は、プログラムという形で人が与えます。コンピュータは、情報を人力すると、プログラムに従ってその情報を処理し、結果を出力します。
 これに対し、脳の目的は、「情報処理の仕組み」を創ることで、いわば、成長することそのものです。「結果」よりも「プロセス」に目的を据える脳の性質は、人の本性そのものと考えることができます。それは、とりもなおさず脳は自己そのものと言えるからです。人生においても、どれだけのことを為したか(出力したか)ではなく、成長していくプロセス自体が重要なのであって、そのプロセスの中で喜びを感じるように、本来的に人は創造されているのです。
 新しいことを為そうとするときには、まだ、そのための「情報処理の仕組み」が獲得できていないので、失敗や挫折が伴います。しかし、失敗や挫折をしても、挑戦し続けることで成長があるように、脳の学習戦略が出力依存性に備えられているのです。挑戦を続けていくことで、「情報処理の仕組み」は創られ、創造性が生まれるのです。
 ところが現代社会は、人をその出来高で評価しようとします。これでは、失敗することに価値を認めないので、人が独創的であることも難しくなります。社会における出来高評価は、脳本来の性質に適わないので、人として輝いて生きることも難しくさせています。人の幸福は、その人の出来高ではなく、たとえ苦しくても高きに向かって進もうと努力している最中にあります。低い位置にいるほうが、高きに向かって進むことはむしろ容易いことかもしれません。「貧しきものは幸いなり」と言われている由縁です。
 高校野球で、たとえ122対0で負けていて、極めて低い位置にあっても、試合に一生懸命取り組んでいるときに選手たちには至福感があり、それを観ている私たちも、その姿に感動するのです。
 脳は、繰り返し繰り返し入ってくる情報、事柄に対して、そのことを為すための仕組みを創ってしまいます。社会慣習や自己の経験から、知らず知らずに脳に創りあげられた仕組みが脳本来の目的に適合しない場合、私たちは苦しむことになります。出来高評価制が社会慣習となっていることで、人が輝くことなく、脳本来の力が十分に発揮できずにいることが何と多いことでしょうか。
 また、競争原理を「必要善」とする現在の社会慣習も然りです。このことは、「人は本来、怠け者である」という人間観に立っています。しかし、人は本来燃えて生きたいのです。燃えて生きる目標が見いだせないとき、怠惰に振舞っているように見えるにすぎません。社会全体が、勝ち負けで人間の存在価値を決定するような価値観に立っている限り、「自分は駄目な人間だ」と自己を全否定してしまう人が増えていくのも不思議ではありません。
 このように、人間性の本来の姿を見誤っている社会慣習に適合するように脳を創るのは、私たちが生きていくことを難しくさせてしまいます。脳本来の、あるべき目的に適合するように脳を創ることによって、私たちは輝いて生きることができるのです。
まつもと・げん
1940年生まれ。東京大学大学院理学研究科博士課程終了後、同大学物理学教室助手、電子技術総合研究所を経て、97年より理化学研究所脳科学総合研究センターブレインウェイ・グループグループディレクター。
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