20世紀の前半は、全世界的な悲劇の時代であった。何しろ、二つの世界大戦が、この半世紀の期間に起こったのだ。この時代の影は、当然ながら芸術上の諸活動には深く大きくおとされている。わが国の名声ある作曲家のHは、ある座談会で、20世紀の優れた作曲作品の特徴は、その悲劇性にある、と断言した。私は、必ずしもこの意見に全面的には同意し難いのだが、全般的にはそのとおりだろう。

客観的たるべき科学の業績それ自体には、時代の悲劇性の影響は、本質的にはあり得ない。しかし、科学研究に従事する個人は多かれ少なかれ悲劇にさらされていたから、業績を生みだすに至る過程は、常に強烈な外圧のもとにあったはずである。にもかかわらず、たとえば理論物理学をみれば、輝かしい所産の数々はこの時代にもたらされた。生物学ではどうか。

いわゆる理科年表の、ごく手短なものをひもといてみると、物理学において巨大な業績が羅列されるに比べると、この時代の生物学はまったく寂しい。メンデル遺伝法則の再発見(1900年)から、ワトソンークリックのDNAモデルの提出(1953年)までの約50年は、ほとんど空白に等しい。ときおりモーガンの遺伝の染色体説の確立とか、シュペーマンの発生におけるオーガナイザーの働きの発見とかが取り上げられるくらいである。

20世紀後半になると、生物学についてあまりにも語ることが多過ぎて、前半の空白がかえって目立つ。現在の現役生物学研究者は、この時代に何が起こったかに関心も薄いし、教科書的な著書でも、この近過去への言及はだんだん少なくなる。

本当に、この時代は生物学の空白期であったのか。私は断じてしからず、と考える。この時代の成果こそが、やがて20世紀後半に起こる生物学の爆発的変容と進歩を準備したと私には思える。また、具体的な影響はとりあえずは少なくとも、時代をはるかに先どりした先駆的な考えが少なからず提出されていたこともある。

何よりも、どのような困難な外的状況下で、こうした研究が遂行されたかに思いをはせると、学問への純粋な情熱に改めて感動させられる。とりわけて、欧州の研究者にとっては日常が、そもそも命がけであったことを思い起こそう。

次回から、この20世紀前半の生物学者10人ばかりを選んで、人となりと研究の紹介を連載する。すでに高い知名度を得ている人は、あえて選んでいない。現在では誤りであることのわかっている研究もあえて含めている。そして、個性をもった研究を試みた人たち、時代の苦悩を多かれ少なかれ私たちに感得させる人々を取り上げる。なお、各人の人間性そのものにもふれた紹介としたいので、間接的にせよ私の近しい人々を選ぶ。その結果、発生学を中心とした人選となるのは許されたい。

(おかだ・ときんど/JT生命誌研究館館長)