ポーランドの古都クラクフで公演の打ち合わせ。
隣は故郡司正勝氏。

99年秋に初上演する「女王クリスティナ」のオーディションで第3次審査まで残った俳優たちに、朗読の課題をやってもらった。

朱熹 、ブレヒト、朔太郎、郡司正勝、田村隆一、花田清輝……など当方で用意したテキスト8編から選んでもらったのだが、なかでも多かったのが中村桂子の詩『そして生命(いのち)は……』と多和田葉子の小説『飛魂』とであった。

ここからが興味津々なところ。なぜかといえば私は、作者の中村桂子さん、多和田葉子さん自身によるその朗読を最近聞いたばかりだから。

結論から申せば、勝負にならないぐらい作者たちによるもののほうが面白く、美しく、伏せられた悪意もまたインタレストを増幅し、久々に味わう上等のパフォーマンスであった。

それに比し、俳優たちのはア然とするほどに無内容で熱もなく、ただ目先の奇をてらったチャラチャラとした風態の「朗読」をやってのけただけ。

「そりゃ一作者は、本人が書いたものだから、ようくわかっているのだろうし……」ということにはならない。多くの場合、その本人の慢心による「朗読」ほどいやったらしいものはないのだから。

中村さん、多和田さんのそれは、今まさに目前にいる敵を見据えて、今をあらたに頭を活性化しつつ、伝えたい思考やイメージを撃ち込むことにほかならない。ま、身を危険にさらしてのスリリングな朗読とでも。

8編の文章とも闘わず、聞かせるべく敵とも闘わず、舞台を戦場とはいささかも考えず、ついに朗読をせずに、ただ「朗読」術を鑑別されているのだとしか思えない、今どきのプロの俳優たちが情けない。

(うえだ・みさこ/シアターΧ(カイ)支配人)