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BRH サロン

わがミランダ

四方田犬彦

友人がイタリア料理のレストランを開くことになった。名前をミランダという。へえー、しゃれた名前だねと、私。芝居好きの人ならばすぐにピンと来るだろうが、ミランダというのはシェイクスピアの『テンペスト』に登場する少女の名前だ。彼女は無人島に厳粛な父上といっしょに住んでいるが、もとを質せばミラノ公国のお姫様という設定である。そうか、彼はミラノでもしばらく修業をしたことがあったから、そのときに何か愉しい思い出があってそう名付けたわけかな。私は一人で苦笑した。

ところが、案に相違して、彼の答えは違っていた。天王星の第5惑星に因んだのだという。それは私には驚きだった。新しい店のことはさておき、地球からはるか遠くにあり、太陽の光などほとんど届きそうにない小さな惑星に、美しく無垢な王女の名前が与えられているという事実が、なにかひどく詩的な出来事に思えたのだ。おそらく前世のどこかの時点に、天体観測と数式に生涯の大半を費やしたひとりの人物がいて、この発見をなした瞬間に、シェイクスピアの最晩年を思い出したのだろう。私は軽い感動を覚えた。あるいは彼は、一瞬自分が魔術師プロスペローにでもなりおおせたつもりになって、その娘の名を惑星に与えたのだろうか。

ボイジャー2号から見たミランダ。(©PPS)

その後、海洋生物の図鑑をめくっていた私は、ある種のゴカイ、すなわち環形動物にオフィリアという名前が与えられていると知って、さらに感動した。寄る辺なく水辺を漂うその姿にハムレットの水死した恋人の像を見るとは、じつに心憎いわざである。ところで、それでは逆に、英文学者が生物や天体をめぐって、このぐらいのセンスを示したことがあっただろうか。

(よもた・いぬひこ/明治学院大学教授)
※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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