季刊誌「生命誌」通巻18号
ホヤの卵が教えてくれること:目次>ホヤの卵が教えてくれること:西方敬人
ホヤの卵が教えてくれること
ホヤの卵が教えてくれること:西方敬人
  個体発生ということ
  ホヤを使うわけ
  細胞の運命を決める決定因子
  決定因子の実態を探る
  ますます重要になるホヤの研究

 東北地方を訪ねて、酒の肴に「ホヤ」を食べたことはありませんか。
皿の上のホヤを見ているだけでは、どんな生き物なのかわからない。
ところがこのホヤ、最先端の生物学では、今やなくてはならない研究対象です。
ホヤを使うことで初めてできる研究がある。そう考えて、研究者たちは実験に励んでいます。
個体発生ということ
酒の肴になるマボヤ
酒の肴になるマボヤ(写真=佐藤矩行)
 お節料理に欠かせない数の子。その一粒一粒がニシンの卵だということはだれでもご存知でしょう。もしそこに精子が入れば、成長して立派なニシンの稚魚ができてくる。
 数の子の小さな一粒は、どうやってニシンになるのか? お節料理を食べながらそんなことを考える人はまずないでしょうが、改めて考えてみると不思議なことではありませんか?
 このように、動物や植物などの体が、受精卵から次第にできあがっていくプロセスのことを「発生」(個体発生と言うこともある)と言い、その仕組みを研究するのが「発生生物学」です。
 一見なんの変哲もない丸い卵が、みるみるうちに複雑な体になっていく。しかも、必ずその生物に固有の形ができる。ニワトリの卵からはひよこが、ニシンの卵からはニシンの稚魚が。人間だってみんな一個の受精卵から始まります。その仕組みを知りたいという好奇心が、私たち発生生物学者を研究に駆り立てる大きな原動力です。
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ホヤを使うわけ
 なぜホヤを使うのですか、と尋ねられることがよくあるのですが、私たちにとっては、2つのことが重要です。
 まず1つは、専門外の方々にはほとんど知られていないことですが、ホヤが人間を含む脊椎動物に非常に近い動物だということです。
ホヤは岩に付着して生きている
マボヤ ユウレイボヤ
2 マボヤ。陸奥湾の海中で。体長10〜20cm。(写真=東北大学臨海実験所・沼宮内隆晴) 3 ユウレイボヤ。約10cm。各地の港などで普通に見られる。(写真=西方敬人)
 といっても、海の中で岩などに根をはやして付着した、まるで植物のようなホヤを見ていても、だれもそれが人間に近い動物とは思わないでしょう(写真23)。ところが、ああやって岩に付いているのは、成体(おとな)のホヤで、幼生はまるでカエルのオタマジャクシのような格好をしています(9)。さらに幼生の体には、「脊索(せきさく)」という背骨のもととなる構造があり(10)、そのことから、人間や魚などの脊椎動物に非常に近いことがわかっています。
マイオプラズムをもらった細胞が筋肉になる
ユウレイボヤの未受精卵 受精卵 8細胞期
16細胞期 尾芽胚 オタマジャクシの幼生
幼生の体の構造(模式図)
4 ユウレイボヤの未受精卵。中味は均一に見える。卵の直径は130ミクロン。
5 受精卵。このホヤではマイオプラズムは黒く見える。透明の部分、ピンク色の部分とあわせて、全部で3種類の色が見える。卵の中にはもっと細かい部域差があると考えられるが、ここでは見えていない。
6 8細胞期。黒いマイオプラズムは一部の細胞にのみ分配されている。
7 16細胞期。胚の下から見たところ。将来筋肉になる細胞のみに、黒いマイオプラズムが含まれている。
8 尾芽(びが)胚。オタマジャクシの原形ができてくる。黒いマイオプラズムは、分化途中の筋肉細胞に入っている。
9 オタマジャクシ幼生。脊索や脳、光を感じる眼点などもできており、筋肉を使って泳ぐ。体長約1mm。
10 幼生の体の構造(模式図)。脊索は体の前後に長く伸びた棒状の組織で、その両側に筋肉がある(ここでは尾部の筋肉細胞のみが描かれている)。
(写真=西方敬人)
 脊椎動物に近いけれども単純な体をもったホヤを調べれば、脊椎動物についていろいろなことがわかるのではないか。それがホヤを使う大きな理由の一つです。最近はとくにこの点に注目する研究者が増えてきました。私の先生でもある京都大学の佐藤矩行教授は、その分野のパイオニアです(「発生の窓から進化を見る:佐藤矩行」参照)。
波に洗われた崖から琥珀が顔を出す
波に洗われた崖から琥珀が顔を出す
2細胞期の細胞を二つに分けるとそれぞれから片側が発生する
正常な尾根胚(11)には、左右2列の筋肉細胞(黒く染めた部分)があるが、片側の細胞から生じた胚(12)では、1列しか筋肉がない。その他の器官も半分になっている。(写真=大阪教育大学・出野卓也)
 ホヤを使うもう一つの理由は、ホヤの卵が典型的なモザイク卵だからです。
 たとえば、受精卵が分裂して2つになったとき(2細胞期)、その2つを別々に切り離して育ててやります。するとそれぞれの細胞は、別々に幼生の右半分と左半分を作ってしまうのです。(12)。同様のことは、もっとあとの時期の一つ一つの細胞にも言えます。たとえば32個の細胞の時期のある特定の細胞は、正常の発生においてはあと3回分裂を行ない、オタマジャクシの尾の中ほどの8個の筋肉細胞になることが知られています。同じ細胞を、32細胞の時期に切り離して培養すると、やはり3回分裂して8個の筋肉細胞になるのです。つまり、ホヤの細胞は、仲間が周りにいてもいなくても、正常とまったく同じ振る舞いができるということなのです。
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細胞の運命を決める決定因子
 ばらばらの細胞が単独でも本来やるべきことをやれる。ということは、個々の細胞の中に必要な情報がすべて含まれているということを意味します。核に含まれるDNA(ゲノム)は、筋肉や神経などの細胞でみな同じですから、結局、それぞれの細胞に別々の運命をたどらせるように仕向けているのは、DNA以外の部分、おそらくは細胞質だと考えることができます。
 じつは100年以上も前から、ホヤの卵をよく観察すると、細胞質が複数の色で色分けされていることが知られていました。さらに、発生の過程を見てみると、それぞれの色の部分は特定の組織に対応していて、細胞が分裂するとともに、将来その組織になる細胞の中に入っていくのです。
 一番有名なのは、私たちが研究しているマイオプラズム(マイオ=筋肉、プラズム=細胞質)で、卵の後方で三日月の形に黄色やピンク色(ホヤの種によって色は少しずつ違う)をしている部分を指します。この部分の細胞質は、発生が進むと筋肉になる細胞にのみ入っていきます。
 マイオプラズムについては、面白い実験があります。マイオプラズムの部分の細胞質を、本来筋肉を作らない別の部分に移してやるのです。すると、マイオプラズムをもらった細胞は、本来の運命が何であれ、ほとんどの場合、筋肉に分化します(図13)。つまり、マイオプラズムの中には、筋肉への分化を積極的に推し進める物質があり、それは移植可能だということです。私たちは、それを「決定因子」と呼んでいます。
マイオプラズムの移植実験
マボヤ
13 8細胞期になったとき、本来は表皮になる細胞(左上)を取り出し、筋肉になる細胞の断片(マイオプラズムを含んでいる)を融合させてから発生させると、筋肉細胞が分化してくる。
 決定因子は筋肉だけでなく、色の異なる細胞質に対応していくつかの種類があることがわかっています。つまり、ホヤが発生する際には、性質の違う決定因子が分裂とともに特定の細胞の中に入っていき、それをもらった細胞が、それぞれの方向へ分化していく。そうすることで、全体としてホヤの体の基本構造が作り上げられていく、という訳なのです。
 私はよく、「卵の中にオタマジャクシの絵が描かれている」という言い方をします。もちろん、すべてが卵の中の決定因子で決まるわけではないのですが、そう言っても不思議でないほど、多くのことが卵の段階で決まっている、それがホヤの特徴なのです。
 個体の発生というと、「両親から受け継いだゲノムの情報をもとに体が作られる」と、一般には考えられています。これに対し、ホヤの研究は「母親に由来する卵の中味も重要だ」ということを教えてくれているのです。
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決定因子の実態を探る
 決定因子があると細胞の運命が決まる。では、決定因子はどういう物質で、どういう仕組みで細胞の運命を決めるのか。個体発生における決定因子の役割を明らかにするためには、なんとしてもその実体を探る研究が必要です。
 決定因子を細胞が受け取ると何が起こるのでしょうか?
 はっきりしていることは、最終的にそれまではたらいていなかった遺伝子にスイッチが入って、はたらき始めるということです。つまり、決定因子は発生の途中で、細胞分化に必要な遺伝子群をオンにする物質だろうと考えられています。
 決定因子はこれまで、そのような遺伝子の発現を変化させる単一の分子、つまりタンパク質かRNAのどちらかであろうと考えられてきました。しかし、最近私たちは、複数の分子が集まった複合体だろうと考えるようになってきています。
 下の写真(1417)を見てください。ここで黄緑色に見えるのは、卵がもともともっている色素ではなく、マイオプラズミンC1という、マイオプラズムにあるタンパク質と結合する「モノクローナル抗体」を用いて卵を染色したものです。このモノクローナル抗体は、マイオプラズミンC1にしか結合しないので、その性質を利用して人工的に染色することができるのです。同じような方法を用いて、マイオプラズムの部分にある物質は、現在までに10個以上見つかっています。
マイオプラズムにある物質を染めてみる
未受精卵 受精卵
8細胞期 尾根胚
マイオプラズミンC1は、マイオプラズムにあるタンパク質の一つ。それに対するモノクローナル抗体を使って、胚を染めた写真。黄緑色に染まっている部分に、マイオプラズミンC1があることがわかる。
14 未受精卵 15 受精卵 16 8細胞期 17 尾芽胚(写真=西方敬人)
 そこで私たちは、これらの分子がどのような機能をもっているかを明らかにしようと、実験をしてきました。
 とくに集中して扱ってきたのは、先ほどの「マイオプラズミンC1」というタンパク質です。具体的には、マイオプラズミンC1に対するモノクローナル抗体を、生きた卵の中に注射してやります。すると、筋肉細胞の分化が阻害されてしまうのです。抗体がマイオプラズミンC1に結合して、そのはたらきを抑えてしまうからだと考えられます。マイオプラズミンC1の遺伝子配列を調べることで、マイオプラズミンC1が繊維状の分子で、両端に他のタンパク質と結合できる構造をもっていることもわかりました。また、実際にマイオプラズミンC1は、p58という同様の構造をもったタンパク質や、細胞の構造を保つのに重要な「細胞骨格」にも結合していることが明らかになっています。
 以上のことから、マイオプラズムの中には、マイオプラズミンC1を含むいくつかのタンパク質の複合体が存在し、それが、筋肉細胞の分化に重要な決定因子としての役割を担っていると考えられるようになってきているのです。
 私たちはまた、決定因子が細胞分裂の過程でいかにして必要な細胞の中にだけ分配されていくのか、という問題についても実験を行っています。そこでもやはりマイオプラズムに注目し、その発生過程における動きを詳細に調べてきました。
 その結果、マイオプラズムが、受精や分裂にともないダイナミックに変化する細胞骨格に結合し、その動きにしたがって移動していくことが明らかになりました(1819)。細胞骨格もまた、決定因子を必要な細胞にだけ分配するためにはたらいていることになります。
 結局、複合体の複数の分子と細胞骨格、そしてそれらの間のからみ合いが細胞の運命を決める仕組みなのです。
決定因子は細胞骨格とともに移動する
18 黄色に見えるマイオプラズムの部分に筋肉の決定因子があり、アクチン(赤)や微小管(緑)などの細胞骨格とともに、ダイナミックに移動する。左から、未受精卵、受精直後、2細胞期になる直前。(原図=西方敬人)
決定因子と細胞骨格を同時に見ると
19 受精卵で、微小管(黄緑)、マイオプラズミン(赤)、DNA(青)の3つの物質を同時に染めてみた。
18の右端の図のように、微小管は、卵の中全体に広がっていて、その一部に沿うようにマイオプラズムの部分が見える(右下方部分)。卵の周囲には、濾胞細胞とテスト細胞という2種類の細胞が取り囲んでいて、その核が青く染まっている。(写真=西方敬人)
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ますます重要になるホヤの研究
 ホヤの発生にとって、卵の中にある決定因子が重要であること、そしてその実体を探る研究のごく一部について紹介しました。
 今回紹介した以外にも、たとえば、決定因子としてはたらく細胞質の中にはいくつかの未知のRNAがあり、それを実験で壊してしまうと、細胞分化を起こせなくなるという実験結果も出ています。
 今後、マイオプラズミンC1、細胞骨格、RNAといった分子を手がかりとして、それらの複雑なからみ合いを解きほぐしていくことで、卵の細胞質がもつ形づくりのための情報の内容を知ることができそうです。
 個体発生にとって、卵の中に用意されている様々な分子のはたらきが重要だということは、次第に多くの研究者に認識されるようになってきました。ホヤを用いた研究の重要性はますます高まっています。個体発生の引き金を引く決定因子のはたらきを明らかにすることで、やがて卵からオタマジャクシを作りあげるメカニズムの全貌を明らかにできると期待して、今日も実験を続けています。
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(にしかた・たかひと/甲南大学理学部講師)
1961年札幌市生まれ。京都大学理学部、同大学院を経て、91年甲南大学講師となる。92年より京都大学総合人間学部非常勤講師を兼務。学部4年生の時から一貫してホヤを材料に、決定因子の研究を続けてきた。
INDEX
  「卵」学事始め −マボヤの卵の中の遺伝情報を探る:真壁和裕
発生の窓から進化を見る:佐藤矩行
芽を出して増えるホヤ:川村和夫
Special Story

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