自己言及的な問いによってそのまなざしを深めてきたアート界にも、生命論的な問いを学んだ制作がここ数年目立ち始めている。とはいっても、「母なる自然」がその神話性をなくしてたんなる収奪の対象となり、代わりに加工的な自然に囲われている今日、むしろそれは現代の生命科学を参照しながらも、生命記憶の定型的な物語性への傾斜になりがちだ。そこにはこの自分の感性に、生命の歴史という大きな背景を得た安逸へと、諸手を挙げて無反省に没入する姿さえうかがわれる。

そのかたわらで生命は、我々の文明の問いとして、また、社会問題として顕在化してもいる。つまり、生命科学の発展によって、ミクロレベルという日常的には不可視の場面で、我々はあらためて生命に直面しているのである。

また他方、人工生命というコンピュータ上での生命的蠢きが我々の現代に接合して存在し、今日的な生の参照域として、我々の感覚の中で拡がろうとしている。

すべてが生命へと向かうかのような事態。ヒーリングとしての自然回帰、水族館ブーム、あるいは死体ブーム。人間という特権的位置からの「自然」への博覧的まなざしは、現代において過大なものとなりながら、すでに新たな我々のリアリティを形成しているようだ。しかし生物とはそのような外からの視点ではなく、内部観察から見えてくる世界だろう。「生物」のアートなどというものは、今日、易々と作られるはずはない。生物は、不断の関係の中で共に生き、対話し、影響を与えるもので、リスクも大きく一方的に扱えるものではない。むしろ、既存の美意識や感覚にまで反省をせまるものだ。そこでは表現者の構えの基本的再検討が促されるはずだ。

(あまの・かずお/0美術館学芸員)