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人間と自然の調和をはかる「第二の自然としての建築」を提唱する長谷川逸子さん。中村副館長との楽しいおしゃべりは長谷川さんの設計した湘南台文化センターで行なわれました。


中村―

長谷川さんが建築の分野でおっしゃっている「第二の自然」というお考えは「生命誌」に重なるものがあると思い、以前から関心を持っていました。人間と自然の関係をどうとらえていらっしゃるか、お話しいただけますか。

長谷川―

もともと私が建築に抱いていたのは生き物の巣のようなものでした。建築が生き物である人間のいる場所だとすると、フォルムや技術だけでなく地理や気候、社会や思想などさまざまなものの関係のうえに成立しているはずです。日本の伝統的な住宅に学ぶことが多いのは、近代建築が捨ててしまったそのような複数のことを継承しているからです。東工大時代、“民家はキノコ” という先輩の言葉にひかれ、四季のしつらえをして住むというような、自然と共生した日本の伝統的建築を見て歩きました。そうしてしだいに自然ということが大きなテーマになったのです。

中村―

自然というとすぐ緑や木を思い浮かべがちですが、長谷川さんが設計なさった湘南台文化センターは非常にメタリックで、ちょっと見には異質な感じ。長谷川さんのコンセプトはどう生かされているのかしら。

長谷川―

私の考えているのは、いわゆるあるがままの自然ではありません。壊さざるを得なかった自然を、現代科学技術をもって新たな自然系として再構築することです。「第二の自然としての建築」は、だから、時代の知性とともにある自然と共生する建築を考えることであり、非常に多くの問題と対応しなければなりませんが、その複雑なものを全部包含して建築というものをとらえていかなければ、目指すものは見えてこないと思うのです。

中村―

科学が生み出した知識や技術を無視して元の時代に戻ることはできませんものね。人間、自然、そして人間がつくり出したもの、その全体をどう括り直すかは「生命誌」にとっても大きなテーマです。生命の科学的理解がそれをつなぐ役割をすると考えているのです。

長谷川―

「第二の自然としての建築」は、さまざまな変化をどうとらえていくかということも問題にしています。社会の動きにともなって生じるライフスタイルの変化と都市風景の変化の関係を考えることでもあります。このことをテーマに去年、東京というカオチックな空間を取り上げて、ハーバード大学で授業してきました。自然の存在様式とは峻別されたものとして建築を考えてきた欧米の建築観は、とても根強くて、議論することは面白くもあり、たいへんなことでもありました。「第二の自然」という考え方は東洋的なのでしょうか。

中村―

「生命誌」も、既存の科学に歴史性や時間を加えていこうというので、同じ壁を持っていると思うのです。でも生物学の場合、結果がものの形で出てこないから、長谷川さんがおっしゃったほどヨーロッパが頑固だとは感じないのです。むしろ「生命誌」に対してヨーロッパのかたが意外にいい反応をしてくださるので、ギリシャ以来の知の伝統が動きはじめているのかなと思ったのです。もっとも社会科学の人は普遍性一辺倒から抜けきっていないと感じますが。

長谷川―

私も同じような動きは感じていますが、そう簡単ではないのが建築かなと思います。一人の建築家が自分の理論を立て、何をねじふせても作品をつくるという側面が、ヨーロッパの伝統を引き継いだ近代建築にはありました。私はこの文化センターのコンペに採用されたあと、市にお願いして100回くらい市民との対話集会をもちました。そのなかで、自分自身の美的感覚を壊されるような目に遭い、自分の感覚だけでつくっても公共の場は開かない、ということを改めて認識しました。

中村―

公共建築でそういうのは初めて?

長谷川―

そう。でも、日本ではもともとつくる職人が直接住まう人と話し合って家を建てる、というプロセスがありましたよね。

中村―

そこなんですよね。生きるとはまさにプロセスなのに近代文明では結果が重視され、プロセスはできるだけ能率よくということだけですからね。

長谷川―

建築のプロセスには地域とのつながりをつくることも含みます。私は設計をスタートするとき、その敷地に存在するレイテント(隠された)なものをどう生かすかということを考えます。建築は今まであったものを白紙にして、まったく違うものに変えてしまうことだと思われがちですが、潜在する機能や意識をつなげて発展させ、そこに新たなる自然、「第二の自然」をつくり出すのです。だから「第二の自然」を英語にするとき、私は "Architecture of Latent Nature” と訳します。

中村―

見えない部分を顕在化させるわけですね。ディベロップは開発と訳されるけれど、生物学では発生のこと。受精卵の中のゲノム(遺伝物質の全体)の持つ潜在力が発現して人間になったり、ネズミになったりする。同じなんです。建築や都市計画は、本来顕在化の作業のはずなんですよね。そうすると継承ということが起きる。

長谷川―

この敷地は以前は20年近く原っぱになっていて、盆踊りや豊作祭、子供たちは野球も昆虫採集もしてきた空き地でした。新しく建てるのだから真新しいプログラムを導入するというのではなく、それまであった活動をつなげてゆく。もちろんそのままではなく、現代の感覚で新しく甦らせるのですが。ここはそうした原っぱの延長空間であることでこんなに利用され、賑わっているのだと思います。

中村―

生命体も同じ。ゲノムという形で親から子へ渡されていくが完全な複製ではなく、時には新しい種が生まれることさえある。変化しながらの継続です。その結果、編まれた35億年の長い歴史が一つ一つの個体の中にある。そういうふうに生き物を見ましょう、というのが「生命誌」なのです。

長谷川―

過去からの継承と同時に、未来に伝えていく工夫も必要ですね。以前、小住宅の設計をしていたころ、その家族の未来像をフィックスすることなどできなくて、私は積極的にがらんどうにしてきました。ぼそっとアートだといわれたりしましたけどね。

中村―

生き物のしくみも全部厳密に規定されているのではなく、偶然を許しています。偶然に起きた変化が、全体性を失わせないかどうかのチェックを受けて、進化につながっていく。全体として存在し得ないような変化は、発生のときに個体をつくれませんから消えてしまいます。偶然がこれだけ多様な、しかも継続するものを存在させることに関与している、というところが生き物の面白いところです。そういうタイプの建築がもしあるとすれば、人とのかかわりのなかで変化していく面白いものになるのではないかなと思いますね。

長谷川―

本来建築は、人々がそこで活動したり、できごとを起こす偶然性のすべてを取り込む「場所」の提示だと思うのです。原っぱに幕を張ってお花見や能をやるでしょ。それは日本の文化活動の初源的風景です。住宅も少し前はがらんどうが普通でしたから、住宅が突然学校になったり料亭になったりしましたよね。私のコンペ案が評価されたのも、間仕切りさえ動かせば間取りが変更でき、使用する側の多様な可能性に開かれた「場所」になる点でした。新しく生まれる活動に対応できる構造の提案だったのです。

中村―

「場」は時間もすべて組み込んだ概念としてこれから大事になっていきますね。生き物の場合、細胞がそれにあたります。ゲノムも細胞という「場」にあってこそ力を発揮するわけで、これが「自己を創出していくもの」としての生命体の秘密です。そこで今、自己創出という性質を基盤にして、新しい知の体系が組めるのではないかと、柄にもなくそんなことを考えています。今日のお話、たいへん参考になりました。ありがとうございました。