写真=外賀嘉起

「生命誌研究館」が大阪・吹田市の「国立民族学博物館」近くに誕生した。両者は一見異なったもののように思われるが、じつはよく似ている。

民族学は世界の諸民族の生活を観察し、またその社会に入り込んで実体験を通じて記録を残す。それは「民族誌(エスノグラフィ一)」と呼ばれる。生物としては同じ人間でありながら、かくも多様な社会がなぜ存在しているのか。それらの比較を通じて環境とのかかわりや民族とは何かを考える。

一方、多様な生物の世界がある。奇妙きてれつな姿形、振舞の多様性、生理現象の妙、それらの比較を通じて生物の進化を考える。「生命誌」である。

「民族誌」は地球全体を一つの生物と考えた場合の「生命誌」である。人間や昆虫などは、ここでは血液細胞の一種であったり、ウイルスに相当する。鉄道・道路などは動脈・静脈である。がんは戦争とか台風・地震などによる破壊である。DNAに相当するものは歴史であり制度である。民族学が対象にするのは、このような地球人間である。

それぞれの民族は文化と文明をもっている。文化はその民族全体の共通した考え方である。文明はその社会の装置系・制度系のシステム全体である。言語との比喩を使えば、文明は文章に相当し、文化は文明の文法である。

生物の場合、DNAが文化すなわち文法に相当する。ホメオスタシス(恒常性)機構とか、免疫メカニズムは文明の範疇である。原始的な社会では文化と文明の区別がつきにくい。あたかも単文の場合、生成文法そのものと形式がほとんど変わらないように。

言語表現におけるニュアンスなどは、文法では表現できにくい。たぶん生物の場合でも、DNAには書ききれない部分があって、環境との相互作用で出現する多様性が存在しているにちがいない。

怪しげなアナロジーではあるが、民族と生命とを言語理論から対比すれば、面白い発見があるのかもしれないと考えている。

(すぎた・しげはる/国立民族学博物館教授)