生き物に関係のある曲はいろいろありますが、ここで演奏・歌われる曲を耳にしたことのある方々は、かなりな音楽好きといえるでしょう。生命誌研究館でも指おりの音楽狂と自負する、岡田・中村両先生がとくに選んだ名曲・難曲に、新進音楽家の二人が挑戦してくれます。

歌;ラヴェル『博物誌』/シャブリエ「セミ」
科学と芸術の出会い 野々下由香里

ピアノ;バルトーク『ハエの日記帳より』/ローゼンダール「チョウ」
原初の日 ー音楽と科学の主旋律ー 小坂圭太

東京芸術大学声楽科卒。コンセールヴァトワール・ド・サン・モール声楽科及びオペラ科で金メダル受賞

フランスに留学しているとき、美術館のサロンで室内楽をしたり、学会の研究発表で演奏をしているといった話をよく耳にしました。「音楽は聴く」「絵は観る」というのではなく、芸術は五感の境界線を取り払ったところで感じあえるのではないか、と考えるようになりました。確かボードレールも「照応」という詩のなかでそんなことを言っていたと思います。しかし岡田・中村両先生からプレゼンテーションのお話があった時には驚きました。まさか科学と音楽が融合する場が実現するとは思いもかけなかったからです。

今から90年も前、すでにパリには作曲家、文学者、バレリーナ、劇作家、画家などさまざまなジャンルの人たちが世界中から集まった時代がありました。ディアギレフ、ストラヴィンスキー、ピカソ、ファリャ、アルベニス、そしてヴァレリー、ファルグ、コクトー、ジード、ラヴェル、ルーセル、バトリ(『博物誌』を初演した歌手)らが、"アパッシュ”という芸術家集団やゴデブスキー家(ポーランド系彫刻家)のサロンなどで会話を楽しみ交流を深めていたのです。

こうしたラヴェルにとっても実り豊かな時代、ここに傑作『博物誌』(1906)が登場します。ラヴェルは、ルナールの散文『博物誌』の中から「孔雀」「こおろぎ」「白鳥」「かわせみ」「ほろほろ鳥」の5つを取り上げ、ピアノ伴奏の歌曲に仕上げています。「ルナールの明晰で直接的な言葉と、その奥に隠された深い詩情が心を捉え、テキストを読んでいると、僕はフランス語のデクラマシオン(朗詠法)を知らず知らず口にするのだった」とラヴェルは自伝の中で言っていますが、ルナールの方はもともと音楽嫌いで、この作品の音楽化には無関心だったそうです。

ところで、ラヴェルは何よりもまず、自分以外の人間になる術の大家でありました。自然を扱う時も例外ではありません。「孔雀」のピアノパートに、その足取りの壮麗さ、羽を広げる堂々とした身振りが見事に表現されています。「こおろぎ」では密接に並んでいる半音を高いオクターブでキリキリといわせ、後のオペラ『スペインの時』の時計のねじまきを先取りしています。「白鳥」のゆっくりとざわめく分散和音は、サン・サーンス作曲『動物の謝肉祭』の「白鳥」を呼び起こしますが、印象主義的な音の運びは、ルナールの原テキストにあるむなしい"反映の狩猟家"の幻影なのでしょう。ロシア生まれの音楽批評家、ジャンケレヴィッチが、「この人ほど生の真実と生命に飢えた想像力はかつて存在したことがなかった。これは時には幻覚を起こさせるほど強まることがある」とラヴェルのことを言っているように、動物描写を自己の羞恥心を隠す仮面にしながらも、幼い子供のように熱烈であったにちがいありません。

動物描写で侮れないのはシャブリエで、国際的には軽視されていますが、ラヴェルやプーランクは、彼がいなければ自分たちの『博物誌』『動物詩集』はなかっただろうと言って、その生き生きした色彩家を評しています。

今まさに科学と芸術が融合しようとしています。科学的なメッセージを、五感をフルに刺激しながら伝達してもいいのではないでしょうか?そういった意味で、科学も文化となる日が近づいたといえましょう。

(ののした・ゆかり / 声楽家)