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11. ハイドンのシンフォ二一岡田節人の「音楽放談」

去る3月22日、東京・JTアートホール アフィニスで生命誌研究館が主催した「サイエンスonミュージック」と題する催しで、私は音楽のなかに科学を、科学のなかに音楽を楽しむ手引きを、ハイドンの交響曲第22番「哲学者」を例として語った。

その機会に、改めてハイドンのシンフォニーを数十曲聴き直した。新しく喜ばしい発見ができたので、もう1回ハイドンについて書く。

ハイドンの音楽が、モーツァルトのそれと全く異なるところは、たぶん生地と育ちのゆえか、生命ある自然と接する喜びを、かたりしばしば心をこめて楽曲とするところにある。その最大なるものはオラトリオ『天地創造』である。これについてはすでに『生命誌』No.6で書いた。

さて、まず交響曲56番を聴いてみよう。これは、いわばハイドンの田園シンフォニーかもしれない。鳥も歌わないし、嵐も訪れぬ。しかし、土の香りの田舎の、生命力に充ちたたくましさがある。そういえば、ハイドンがじつに長く勤めたエステルハージの館の周辺は、今でも草深い。

番号は戻るが31番は、「ホルン信号」と呼ばれ、まぎれもなく狩の音楽である。これは当時としては、稀有なシンフォニー。4本のホルンを必要とする露骨なくらいの狩猟信号の入った音楽なのだが、私が先の催しのトークで博物学的スピリットと呼んでみた、22番の狩のお祭り騒ぎに比べると、よりふくらみのある、動物たちへの愛情が聴ける。このシンフォニーはオーケストラの編成が大きいだけでなく、構成も複雑になっている。

1780年代に入ると、ハイドンの名はぐんと国際的となり、もはやオーストリアの田舎のローカルな作曲家ではなくなる。パリのために作曲された82-87番は規模も大きく、現代のオーケストラ演奏会にも現れる。83番には「めんどり」というニックネームがある。というのも、第1楽章の第2主題が、めんどりの「コッコッ」という鳴き声に似ているからだそうだ。それもあろうが、ハイドンには数少ない短調で作曲されたこのシンフォニーを聴くと、めんどりが卵をやさしく温めている雰囲気に充ちている。いわば、発生学のシンフォニーである。

パリのためのシンフォニーのあとには、イギリス訪問が待っていて、ここでハイドンは、貴族の館の使用人を完全に脱した。現在と本質的に違いのない、マネージメントによってアレンジされた音楽会のために、つまり不特定多数の市民のために作曲・演奏する機会をもった歴史的パイオニアとなるのである。

ハイドンのシンフォニーというのは、日本ではあまり人気がないので、CDも多くない。私が標準的に聴いているのは1970年代に録音されたドラティ指揮の有名な全曲(唯一の全曲録音)である(キングレコードK25Y 1056-90)。これは現代楽器を使った演奏で、時代的な楽器を使ったものでは、グッドマン指揮の演奏が素晴らしいが全曲録音でなく、日本ではプレスされていない。「めんどり」はメジャーレーベルからいくつか発売されている。