年度別活動報告

年度別活動報告書:2010年度

アゲハチョウの食草選択と進化

尾崎 克久(研究員) 龍田 勝輔(奨励研究員)

廣崎 由利恵(研究補助員)

 

はじめに

 化合物の認識は味覚・嗅覚として知られ、外界の情報を知る手段として全ての動物にとって不可欠な行動である。化合物を介する生物間コミュニケーションは、寄主選択、配偶行動、集団生活の維持、社会性の構築など様々な場面で重要な役割を担っている。寄主選択において、化学受容の仕組みに変化が生じた場合、それまでとは異なる空間を生息の場として利用する集団が現れ、住み分けが何世代にもわたって繰り返されることによって種分化へとつながる。このような変化は、進化の歴史を物語る証拠としてゲノムに刻まれる。動物と環境との関わりにおいて中心的な機能である味覚や嗅覚といった化学受容に関わる分子機構の解明は、多様化、種分化、適応の仕組みを解明するために、最も有力な手がかりになると考えられる。
 アゲハチョウの仲間は、他の多くの植食性昆虫と同様に、特定の植物のみを餌として利用する単食性に近い寄主選択をしており、寄主選択とアゲハチョウ科の進化には相関関係が認められる1)。卵から孵化したばかりのアゲハチョウの幼虫は、体が小さく移動能力が低いため、自力で餌を探索することは困難である。メス成虫による正確な植物種の識別と産卵場所の選択は、次世代の生存を左右する重要な役割である。メス成虫は産卵の直前に前脚で植物に触れることで、前肢ふ節にある化学感覚子を通じて含有する化合物を感じ取り、その組み合わせによって産卵行動が引き起こされる。前肢ふ節の感覚子数は雌雄間で大きな差があり圧倒的に雌に多く、雌のみが行う行動、つまり産卵において重要な役割を持つことが知られている。ナミアゲハ(Papilio xuthus)では、ウンシュウミカンの葉から産卵刺激物質として10種類の化合物が単離されている2)。他にも数種のアゲハ類で産卵刺激物質が明らかにされており、これらの構造について、アゲハ種間で比較すると類似性が認められる。このことから、植物の系統的近縁性とは無関係に、植物に含まれている化合物の類似性が寄主転換の可能性を支え、食性の進化を可能にしたのではないかと考えられている3)。これまでに報告されている産卵刺激物質は全て不揮発性であるため、アゲハチョウは前脚で「味」として認識していると考えられている。前脚での味の感じ方に変化が生じた場合、それまでとは異なる植物を選択する集団が現れて、住み分けによる隔離を出発点とする同所的種分化という現象を引き起こしたと考えられる。

 ミカン科食性のアゲハチョウ間であっても、種ごとに産卵刺激物質として認識する化合物の組み合わせが異なるため、種ごとに特徴的な多様な味覚受容体を持っていることが予測される。また、味覚受容体が化合物を認識するためには、化合物が化学感覚子内のリンパ液を通り抜けて受容体に到達する必要があるため、化合物を結合して運搬する役割を持つタンパクが必要になると考えられる。味覚受容体と化合物結合タンパクを中心とする産卵刺激物質受容システムに関わる遺伝子群を解明し、複数種間で比較することができれば、食草転換を原動力として起きた進化という現象のメカニズムを理解する重要な手がかりになると考えた。

 昆虫の味覚に関する研究が本格的に始まったのは20年以上前に遡るが4)、味覚受容体は2000年になって初めて7回膜貫通型受容体(以下7TMRと略)が報告された5)。化学受容の7TMRは一次構造の多様性が高く、脊椎動物から報告されている味覚・嗅覚の7TMRに対する類似性を手がかりとした探索は困難であり、ショウジョウバエの全ゲノム配列の情報科学的解析によって候補遺伝子ファミリーが同定された。昆虫の味覚受容体は極端に発現量が少ないため解析は困難を極め、機能が解明されているものはまだ少ない6)7)。化合物結合タンパクについて、味覚器官で発現するものが見つかっており8)、食草の選択に重要な役割を持つものも報告されている9)。ナミアゲハでは、Chemosensory protein (CSP) がゲノムの特定の領域にクラスターしており10)、カイコとシンテニーがある事を確認している。また、多種昆虫から化合物結合タンパクの遺伝子が報告され、情報が蓄積されつつある。

 本研究は、主たる食草の産卵刺激物質が明らかにされているナミアゲハを主な材料として用い、メス成虫前脚ふ節に発現する味覚受容体遺伝子及び化合物結合タンパク遺伝子をクローニングし、その機能と特徴の解明を目的として取り組んでいる。

 昨年度までの取り組みで、ナミアゲハからメス成虫前脚ふ節に発現の特異性を示す7回膜貫通型タンパク質遺伝子(PxutGr1)を発見し、バキュロウイルス発現系を用いたカルシウムイメージング法により産卵刺激物質の一つであるSynephrine(シネフリン)に特異的に応答する受容体である事を解明している。また、RNAi法を用いた機能阻害と電気整理実験・産卵行動実験に取り組んだ結果、PxutGr1の発現を阻害したナミアゲハでは、Synephrineに対する感度が低下し、産卵行動が抑制されることを確認している。

 今年度は、カルシウムイメージング実験で観察されたSf9培養昆虫細胞が持つ内在性オクトパミンレセプターによるSynephrineへの応答を、拮抗阻害剤(antagonist)であるMianserin(ミアンセリン)11)12)を用いることで抑制することに成功した。また、複数化合物を混合した溶液で感覚子を刺激し、電気生理学的応答を観察することで、化合物の認識と産卵行動の関係について新たな知見を得ることができた。

 

結果と考察

1. 拮抗阻害剤Mianserinを用いたSf9内在性オクトパミンレセプターの応答抑制

 カルシウムイメージング実験で用いている培養昆虫細胞Sf9には、神経伝達物質であるOctopamine(オクトパミン)を受容するレセプターが存在し、化学構造が類似するSynephrineに対して本来のリガンドであるOctopamineと同等以上の応答を示すことが知られている。そのため、本研究においても、PxutGr1を発現させていない細胞でSynephrineによる刺激への応答が観察されていた。これまでに、Sf9内在性オクトパミンレセプターの塩基配列を同定し、dsRNAを合成することで応答の抑制を試みているが、明確な抑制には成功しなかった。今年度は、オクトパミンレセプターの拮抗阻害剤として知られるMianserin11, 12)を用い、内在性レセプターの応答の抑制を試みた。
 カルシウムイメージング実験では、ペレストポンプを用いてリンガー液を流し、三方結線を切り替えることで化合物溶液を流し込み、細胞の刺激を行っている(図1)。リンガー液にSynephrineと同じ濃度になるようにMianserinを溶解し、常にSf9細胞とMianserinが接触する状態にすることで内在性オクトパミンレセプターの応答の抑制に成功した(図2)。これまでの実験と同様に、PxutGr1とaequorinの両遺伝子を発現するバキュロウイルスをSf9に感染させ、Octopamineで刺激を行った後にリンガー液で洗浄し、同じ細胞に対してSynephrineで刺激を行っている。Mianserinを溶解していない場合、Octopamineに対して明確な応答が観察されているのに対し、Mianserinを溶解している場合は、Octopamineに対する応答が抑制されている(図2)。また、Mianserinを溶解している場合でも、Synephrineへの応答には影響がないことが確認された(図2)。

図2 Mianserinを用いたSf9内在性オクトパミンレセプターの応答の抑制拮抗阻害剤Mianserinにより、Sf9内在性オクトパミンレセプターのOctopamineへの応答が抑制されているが、シネフリンへの応答は影響を受けていない

 

 以上の結果から、バキュロウイルスを用いてPxutGr1を発現させた細胞で観察される、Synephrineによる刺激への強い応答は、PxutGr1によって獲得された機能であるとする結論を強く支持すると考える。

 

 

2. dsRNAを注射したナミアゲハの産卵実験

 昨年度、PxutGr1のdsRNAを蛹に注射することによって発現を抑制することが可能で、Synephrineとchiro-Inositol(カイロイノシトール)の2種類の産卵刺激物質混合液に対する産卵活性の低下が観察されることを予備的に報告している。今年度は、同じ時期に超純水を注射した場合と、PxutGr1とは無関係であるGFPのdsRNAを注射した場合の2種類のネガティブコントロールを用意し、詳細な行動実験を行った。注射したdsRNAは、PxutGr1 region Bが392bp(GC含量341%)、GFPが415bp(GC含量34.9%)とほぼ同じ条件になるように調整した。注射の時期は、羽化5日前の蛹である。注射量は10μgである。アゲハチョウはハンドペアリングで交尾させ、生のミカン葉に正常な産卵行動を示す個体を選抜している。産卵実験には、羽化後2日間は産卵活性が低いことと、羽化後6日以降は産卵活性が高くなりすぎる傾向があるため、羽化後3~5日の個体のみを使用した。産卵実験は、実験の直前に刺激物質溶液を人工葉に塗布し、自由飛翔するナミアゲハ雌成虫に提示した。産卵行動は、実際に卵を産み付けた場合と、卵は産まなくても腹部を曲げて先端を人工葉に押しつける行動が観察された場合を「産卵」、人工葉に着地してドラミング行動を行ったが、腹部を曲げずに飛び去った場合を「失敗」として計測した。
 どの試験区のチョウも、超純水・Synephrineのみ・chiro-inositolのみの場合は全く産卵行動が見られなかったのに対し、Synephrineとchiro-Inositolの混合液に対しては産卵行動が観察された(表1)。注射無し・超純水を注射・GFPdsRNAを注射の試験区では、約70%前後の産卵率が観察されたのに対し、PxutGr1BdsRNAを注射した試験区では、約21%と産卵率が有意に低下した。
 以上の結果から、PxutGr1BdsRNAの注射により、PxutGr1の発現を特異的に抑制し、Synephrineの認識感度が低下したと考えられる。PxutGr1はナミアゲハの味覚感覚子内でSynephrine特異的な受容体として機能し、産卵行動に関与していることを解明できたと考えている。

 

おわりに

 今年度の実験結果により、ナミアゲハ味覚受容体遺伝子PxutGr1が感覚子内でSynephrine受容体として機能し、産卵行動に関与していることが解明できた。
 今後、ナミアゲハ産卵阻害物質を用いた電気生理学実験や他のアゲハチョウ科昆虫の電気生理学実験を行い、さらにこれまで蓄積されてきた化学生態学分野の研究成果と照らし合わせることによって、食草選択によるアゲハチョウ科昆虫の進化の過程をより深く考察できるだろう。

 

謝辞

 本研究の遂行に当たり、吉川寛顧問に多大な助言を頂いた。電気生理実験は、共同研究者である九州大学谷村禎一准教授の機器を使用した。

 

 

参考文献

1 Thompson J. N. (1988) Evolutionary genetics of oviposition preference in swallowtail butterflies. Evolution 42: 1223-1234.

2 Nishida R, Ohsugi T, Kokubo S, and Fukami H. (1987) Oviposition stimulants of a Citrus-feeding swallowtail butterfly, Papilio xuthus L. Experientia 43:342-344.

3 Feeny, P. (1995) Ecological opportunism and chemical constraints on the host associations of swallowtail butterflies, pp. 9-15 in J. M. Scriber, Y. Tsubaki, and R. C. Lederhouse (eds.). Swallowtail Butterflies: Their Ecology and Evolutionary Biology. Scientific Publishers, Gainesville, Florida.

4 Tanimura, T., Isono, K., Takamura, T., and Shimada, I. (1982). Genetic dimorphism in the taste sensitivity to trehalose in Drosophila melanogasterJ. Comp. Physiol. 141, 433-437.

5 Clyne PJ, Warr CG, Carlson JR. (2000) Candidate taste receptors in DrosophilaScience. 287:1830-1834.

6 Chyb, S., Dahanukar, A., Wickens, A., and Carlson, J.R. (2003). Drosophila Gr5a encodes a taste receptor tuned to trehalose. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 100 (Suppl 2), 14526-14530.

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8 Galindo K, Smith DP. (2001) A large family of divergent Drosophila odorant-binding proteins expressed in gustatory and olfactory sensilla. Genetics. 159:1059-1072.

9 Matsuo T, Sugaya S, Yasukawa J, Aigaki T, Fuyama Y. 2007. Odorant-binding proteins OBP57d and OBP57e affect taste perception and host-plant preference in Drosophila sechellia. PLoS Biol, 5: e118.

10 Ozaki, K., Utoguchi, A., Yamada, A. and Yoshikawa, H. (2008) Identification and genomic structure of chemosensory proteins (CSP) and odorant binding proteins (OBP) genes expressed in foreleg tarsi of the swallowtail butterfly Papilio xuthus. Insect Biochem Mol Biol 38: 969-76.

11 Burrell, B. D. and Smith, B. H. (1995) Modulation of the honey bee (Apis mellifera) sting response by octopamine. J Insect Physiol 41: 671-680.

12 Orr, N., Orr, G. L. and Hollingworth, R. M. (1991) Characterization of a potent agonist of the insect octopamine-receptor-coupled adenylate cyclase. Insect Biochem 21: 335-340.

13 Inoue, T. A., Asaoka, K., Seta, K., Imaeda, D. and Ozaki, M. (2009) Sugar receptor response of the food-canal taste sensilla in a nectar-feeding swallowtail butterfly, Papilio xuthus. Naturwissenschaften 96: 355-63.

14 Hiroi, M., Marion-Poll, F. and Tanimura, T. (2002) Differentiated response to sugars among labellar chemosensilla in Drosophila. Zoolog Sci 19: 1009-18.

 

 

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