表現スタッフ日記

展示や季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。

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【生きものは「息」もの】

2019年1月7日

村田 英克

「容」をテーマにした季刊「生命誌」の一年で、各号のTALKの編集を担当し中村館長と共に各先生のお話に多くを学びました。対話の場で語り交わされる当座の言葉には、言語の意味内容に加え、語る人の心の起伏や、語っている相手との関係、空気、捉えきれない多義的な情報が凝集しています。編集は、そうした複雑な現場まるごとが、文字となって読まれた時に、読み手の心の中で豊かな時空間として湧き上がってくるようにと、草紙の言葉に置き換える。そういうお仕事です。そのようにして春夏秋冬、芳賀徹先生、森悠子先生、岩田誠先生、小林快次先生、それぞれの言葉から示唆を受け、自分なりに考えを巡らせていったところ、むくむくと一つの考えが立ち上がり、割合にはっきりとした輪郭をもつようになりました。それは、生命誌を物語る表現は、お能に多くを学べるという確信です。

対談中に直接の言及はありませんが、芳賀徹先生の説く「250年続いた徳川の平和」に貢献した家康の政策には、参勤交代に加え、能が幕府の式楽と定められたこともあげられます。各藩で能楽師を抱え、大名や武士が能の稽古に励んだ。本当の戦はやめて、『平家物語』等に材をとった修羅物の能を舞台で舞ったり謡ったりしてバーチャルに戦う欲求が解消されたとは、大倉流小鼓方16世宗家大倉源次郎先生の談。町人の間でも既に江戸期以前に、木版技術伝来により能の謡本が世に浸透し、これを嗜むことが庶民の教養を高めた。これも平和につながったことでしょう。

中世に観阿弥・世阿弥父子が大成した猿楽が今に続く能の始まりと言われ、現在、上演可能な演目は二百数十番。五穀豊穣、延命長寿、子孫繁栄を祈る神事曲舞としての「翁」に始まり、『古事記』の神話、平安期の『源氏物語』や、『伊勢物語』等の歌物語、和歌の世界に材をとった曲、更に先述の戦物に、狂乱物に、鬼物。つまり日本に伝来するあらゆるタイプの物語が、能舞台で上演される際に、いつでも最大限の効果で現前するように工夫され、凝集され、六百五十年もの間、伝承された生きた物語のアーカイブなわけです。

能は、外から見ていると、何だか高尚で難しいもののように感じますが、江戸時代の式楽になる前、中世には、老若男女貴賎都鄙、つまりあらゆる人々にとってのエンターテイメント芸能であったということが、中に入るとよく感じられます。そのはたらきが現代まで、各時代に適応し変わりながらも本質は変わらずに今日も立ち上がり続けている。ここで、オートポイエーシスの河本英夫先生の「継承されるのは情報ではない、はたらきが継承される(意訳:村田)。」との言葉、また川田順造先生が叙事詩について「文字によって歴史として過去へ送り込まれ蓄積された物語は、声によって語られることで、現在に凝集する(意訳:村田)。」と語られたこと、更に芳賀先生のお話に戻ると、日本文化をこよなく愛した詩人大使ポール・クローデルの「魂のうるほひ」という言葉を想起しておきたいと思います。

そのポール・クローデルの「女と影」を舞った観世栄夫先生の能にフランスで出会ったことで、「間」や「息」を取り入れた独自の演奏法に開眼したとおっしゃったのは、長岡京室内アンサンブルの森悠子先生でした。また『ホモ ピクトル ムジカーリス』の岩田誠先生の「生きものの中でヒトだけが、言葉をしゃべり、絵を描き、歌を歌い、音楽を奏で、踊り、演じる。それはなぜか。」という問いは、日本では能を中継し、能から分化した諸芸能へと至るでしょう。

謡本を見ると、能の一つの物語をつくる言葉の数は多くありません。季刊「生命誌」リサーチ記事一本分相当でしょうか。しかしこれを読むと、少ない言葉に途方もない密度で歴史が凝集しています。構造を見ると、謡の基本は七五調のバリエーションで、それが連なり、名宣、一セイ、道行、クリ、サシ、クセ、ロンギ、呼掛、上歌、下歌、キリなどの約束事の単位となり、更に、出入事、舞事、働事等の囃子事が入って、それらの多様な組み合わせが一つの物語を展開します。ご存知のように能は、演目によって簡単な(それもミニマル・アートのような)作り物が出る事があるくらいで、能舞台には、能役者の他は松を描いた鏡板があるばかり。その場で謡の言の葉が、能役者の息にのって、声となって謡われていく時、見所で能を見、謡を聴く者の内側に広がる豊穣な世界の広がりこそは「生きものの中で人間だけがもつ想像力」のはたらきによるものです。ここで想起したいのは、小林快次先生がフィールド調査で化石や地層を見るだけで恐竜時代の風景を思い描けるというエピソード。「まるで本を読むように、一枚一枚積み重なった地層を読むのです。するとこの時代は、川がここに流れており、少し離れた辺りに氾濫原があり、その向こうに森があってと、今、見渡せば砂漠ばかりの場所に立ちながら、当時の環境がパアッと目の前に広がって見えてきます(小林)」。この部分の編集をしながら、私は、生命誌で新作能に挑戦してはどうだろうかと思いました。平家滅亡ではないけれど、鳥に望みを託しつつ隕石衝突後の火宅を出でず滅びた恐竜たちの修羅能です。

[ 村田 英克 ]

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