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表現スタッフ日記

展示季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。

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【言葉で伝える思い、言葉を越えたものに込める思い】

2016年8月15日

川名 沙羅

先日、曾祖父(祖母の父)が残した研究にまつわるエッセイを発見しました。曾祖父がアルミニウムの研究をしていたということは知っていたのですが、何をしたのか詳しく知りたくなってネットで探索したところ見つけたものです。気軽に読み始めましたが、幼い子ども3人を抱えながら研究者として新たな挑戦を始めた曾祖父の一大決心と苦労の日々が綴られており、情熱的な文章に驚きました。祖母に見せたところ「お父さんが書いた文は、箇条書きのものぐらいしか読んだことがなかった」とのこと。埋もれていた祖先の物語を発掘したようで、とても嬉しく感じました。そして、このエッセイは1934年の一年間の出来事だけを書いていますが、その後、科学技術とともに大きく変化していく社会の中で曾祖父はどのような気持ちで自分の研究と向き合っていたのだろうとも思いました。私が生まれた時にはすでに曾祖父は亡くなっており、他に文章も残っていなそうなので言葉の手がかりはありませんが、曾祖父は自宅の居間に巨大なアルミニウムの作品を残しました。2メートル×1メートルほどのその作品は、曾祖父が芸術家と一緒につくった壁掛け式のもので、渦巻きや幾何学文様が立体的に埋め込まれています。親族が集まる団らんの場でただならぬ気配を漂わす、無機質で抽象的な作品を昔から不思議に思っていましたが、研究にかたむけた情熱と誇りを家族に言葉で伝えるのではなく、作品として見せたかったのではないかとエッセイを読んだことで思いいたりました。時代の流れもあり産業と密接に結びつく研究に従事したけれども、役に立つか立たないかを越えたところにこそ、曾祖父の情熱はあったのではないか、そんな気もします。言葉でなければ伝えられないこと、言葉だけでは伝えられないこととは何かを、家族の物語を通して改めて考えました。曾祖父の本当の気持ちはわかりませんが、お盆ですので自宅に戻りこの日記を読んでくれていると嬉しいのですが。

[ 川名 沙羅 ]

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