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表現スタッフ日記

展示季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。

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【日常と情報について考えること】

2014年5月30日

村田英克

私たちは高度情報化社会と言われる現代に暮らしています。常にたくさんの情報に囲まれている日常から生まれ出る情感とは、どのようなものなのだろうか? 人間(ヒト)は本来、情報を、自然に囲まれた中で、自身で体験しうる出来事から得て、それを糧に生きてきたはずです。ある体験から情報を知る際、つねに豊かな情感を伴ったことでしょう。「おいしいな」「いたいぞ」「遠くだなあ」「動いたねえ」「おや?」などと言葉を発した時、どのような想起がその言葉を裏打ちしているのかということです。いくつもの体験からさまざまに情感を伴う情報を得て、どのように生きるかに結びつけて次の自分の行動に反映する、つまり" 知恵をはたらかせて "私たちは生きてきたはずです。そこで最初の問いです。「知恵」とは、情報よりも、むしろ情感(物事に接したときに心にわき起こる感情)がつくるものなのではないか。

私たちは今、地球の裏側の出来事を、新聞であれば紙の手触りとともに、ネットであれば、再描画を続け光り続ける画素の集まりに向かうことで、誰だか知らないたくさんの人がさまざまな形で介在し編集された情報として受け入れています。今、手に持つ紙を見ている、卓上の四角い光る平面を見ているという自身の直接体験とは縁のない情報を、コンテンツの中からつど関心に応じて取り出すという行いを日常的に重ねています。例えば「すもうを見たい」場合、自らその場に赴けば直接体験ですが、他に、同時的に自宅で中継を見る、とか遅れて勝ち負けと見所だけ知る、などいろんな満たし方がある。どの体験を選ぶかは、忙しさとの兼ね合い、一日の時間を何にどれほど費やすか…と考えて判断する。その選択肢が膨大に増えているわけです。現代の暮らしから生まれる新しい感性があるのかもしれませんが、いずれにしても、私たちが日々の体験から、いったい、どのような情感を伴って情報を取り出しているかと振り返って見ることにも意味があるのではないでしょうか。

今更、自然の中で文明もなく暮らせないけれども、私には、等身大の出来事から得る豊かな情感というものへの憧れがあって、作り手として、表現する、表現を通して人々と何かを共有するという仕事を自分なりに責任を持ってまっとうする方法として、今は、映画や演劇に魅力を感じています。映画についてはこれまでも何度か書いてきました。館内で上映している「自然を知る新たな知を求めて」をご覧下さい。演劇と言うのは「生命誌版セロ弾きのゴーシュ」です。私はこの中では、語りの一人として、猫、かっこう、子狸、野ねずみの役を頂いています。沢則行さんの人形遣いへの語りということで責任重大です。一生懸命、台本を読み込んで役作りを試み、発声・身体を意識することで、改めて自身を媒体として捉え直し、何か、ここに表現することの基本があるのではないかと感じています。8月の飯田公演、高槻公演に向けて、がんばります。どうぞよろしくお願いします。

生命誌版セロ弾きのゴーシュ

3月1日の初演に向け集中稽古を行った京都造形芸術大学瓜生館にて。「ゴーシュ」の出演者、スタッフ、そして人形制作にたずさわったウルトラファクトリーの学生さんたちと。

[ 村田英克 ]

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