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表現スタッフ日記

展示季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。

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【蓄積の持つちから】

吉川徹朗 研究の途上で、植物や鳥類など、さまざまな標本に触れる機会があります。膨大な標本が眠る薄暗い標本庫に入ってゆくと、樟脳のような香りも入り混じり、ひんやりとした独特の空気が漂います。標本を手に取って変色したラベルを見てみると、明治や大正に採取されたものだったりします。100年以上も前の標本に囲まれているのは不思議なものです。
 日本でも先人の努力によって膨大な標本が収集されてきましたが、欧米での蓄積はやはり桁違いのようです。その厚みに接すると、ときとして、ゴシックの大聖堂を仰ぐような感覚を覚えることがあります。標本を収集し整理し保存しようという意志は、世代を超え数百年もかけて大聖堂をつくりあげた中世人のそれにも通じる気がします。そして、その膨大な蓄積が土台にあって、(幾多の断絶と紆余曲折を経ながらも)最先端の生物学へと連綿と続く流れをかたちづくっている。しかも、その蓄積は思わぬかたちで時代時代の研究に材料を提供するものになります。たとえば、現在では過去の植物標本からDNAを抽出して分析することが可能になり貴重な資料としても利用されているそうです。当時のコレクターさんにはDNAというものの存在すら想像しなかった人もいたでしょうが。ほんの一例ですが、蓄積というものが持つ可能性を思い知らされる話です。
 科学研究というものも、研究者の置かれた文化の来し方とまったくの無縁ではないようです。普段は意識しませんが、ひとつの研究のうちにも流れこんでいる歴史の蓄積というものは、目で見えるかたちでも見えないかたちでも、確かに存在していて、そういうものを表現できたらいいなと思います。


 [ 吉川徹朗 ]

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