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表現スタッフ日記

展示季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。

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【居場所確認物語】

坂東明日佳
 少し遅い夏休みで帰省しました。実家は最寄り駅から遠い緑色と水色の町。私は小さい頃から「世界中のすべての人に我が家までの道のりを辿ってみてほしい!」と思う程この町を美しいと誇りに感じています。そんなわが町で久しぶりに自然(身の回りの環境という意味)の広さを感じる体験。普段大阪で見る景色よりも、縦に、横に長い空や道路や橋...それに雨模様を目が捉えると、アコーディオンをグーンと伸ばしたように、私の体もあっちの方向へ、こっちの方向へ、と広がります。...昔、アメリカへ旅行に行った時にも、スケールの大きな自然や町並みを見て、やはり心と体がグングン広がっていくような体験をしました。が、しかし、帰国して自分の家に戻ると、今度はなにもかも(自然のみならず、コップや電子レンジの類に至るまで)小さく、身が縮まり悲しくなるという逆カルチャーショックを経験したのです。おもしろいもので、あの時と変わりのない小さな町なのに、今回はその中に逆に雄大なものを感じてしまいました。
 ある夜、友人と大学の建物から花火を見ましたが、丁度背の高い木々に隠れてキラキラしていることしか分かりませんでした。そこに輝く綺麗なものがある事は分かるのに、ぼんやり感じ取ることしかできない...。「モドカシイ!」だけど、少し移動して木のない場所から眺めれば、ちゃんとどのような花が空に舞っているのか確かめることができるのです。そんな風に、ちょいと頭と足の方向を変えると、同じ世界なのに何か違う世界がみえるかもしれない。がむしゃらになって凝視しても、見えないことはきっとたくさんあるのではないでしょうか。ですから環境や慣れで1つの見方は極められても、その代わりに残りの道は見ることができなくなるのかもしれません。何も見えない日は、それに気づくきっかけが見つかる日かもしれません。
 球技だけでなく、言葉でも投げっぱなし、受けっぱなしという得意技を持つ私は、ばっちり何も見えない日々を送りました。しかし、気づくきっかけも同時に、私に分かるような簡単な形で、その中に用意されていました。私の行く所どこにでも、多種多様な考え方をもつ、これまた多種多様な年代の人々が目の中に飛び込んでくるのです。そして、彼らとそれぞれ“キャッチボール”をしたいと考えるようになりました。今は、その気持ちとともに、栄養たっぷりのお土産と里風(という言葉はないですか?)で膨れたトランクをいかにして西で待つ我が愛しきアパートへ運ぶかウンウン考えながら帰り支度です。



[坂東明日佳]

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