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表現スタッフ日記

展示季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。

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【私も10周年】

村田英克
 10年先に自分がどうなっているか?そんな事を言い当てることの出来る人などいない(と思うんですけど)。1992年の夏、ある打ち合せに参加した。大阪の高槻というところに、なんだかよくわからないけど、おもしろそうな、すごいもんが出来るという話。みんなが生きものの科学に触れ、一緒に知る手続きに加わって、そこから何か持ち帰ることができる仕掛け、しかもそれは芸術であって、哲学でもあるらしいという話。それが科学のコンサートホール。生命誌研究館。
 私は当時「楽しんでいるうちに何かが身に付く、パソコンを使った仕掛け」をつくることを生業としていて、その時の仲間とつくったものは「インタラクティブ・ラボ」という名前がついて、今もここの1階ホールで動いている。-進化の実験場-というサブタイトルももらって、ゾウリムシの世代交代から性を考える、葉緑体を持つミドリムシは動物?植物?ヒトに一番近い霊長類は?蝶の食草認識、切っても切ってもプラナリアなど全部で7つのお話を、当時のここのスタッフの方たちと、あーでもない。こーでもないとやりながら結局3年くらいかかってつくりました。今、できあがっているものを見ると、ああすりゃよかった、こうすりゃよかったと、足りない所が目に付いて本当にそわそわします。でも、当時、関わったいろいろな人が、これがとりあえずの一つのゴールだと思しきイメージをなんとか共有しながら、それぞれの背景から生じてしまう境界線を越えて、新たな領域を手探りで確かめようという痕跡は、当時の限界と同時に一つの方向性を示していると思う。
 これはお勉強ではない。教えるのでもなければ学ぶのでもない。
強いていえば、知ること、感じることを辿り直すための仕掛け。気づくため、考えるためのオブジェクト。工藤さんたちとつくった「DNAって何?」、北地さんたちとつくったオサムシの飛び出す絵本。みなそういう前提のない手探りのものづくり。10周年イベントをBRHスタッフとして迎えるとは10年前には予測していなかった。
 普通、予測できない事態はなるべく避けるように働く。だから、何かつくろうとするとすぐ、「対象は誰?どの層ですか?」と聞かれる。これは考えなくなる第一歩。『生命誌』では最初から一貫してこれをうまくかわしている。答えは「生きものについて知りたいと思うすべての人、因みにあなたも、まわりも生きもの」。世の中では「どれだけ儲かるか?」「どれだけ役に立つか?」というものさしに照して、満たされると「価値がある」という判断がなされ「さあやろう!」となる。ここでは誰も何も考えていない。最近は「発明」にも値段がつくらしいが、世の中に「商品」以外のあり方があってもよいはず。だが、売れなくても一向に構わず、しかし大変「価値」があるものとは何だろう?それは、たいそう美しいものであるに違いない。もちろん食っていかなくてはならないのだが。


[村田英克]

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