表現スタッフ日記
展示季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。
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【孫】
2002年5月15日
工藤光子
 今日は表現スタッフ日記の締切り日にもかかわらず、「共生と共進化展」も無事オープンして腑抜けた私は、GWも冴えず、書くことないなぁ…と5/1の鳥居さんの表現スタッフ日記を読んでいました。約40億年の生きものの、細胞の繋がりを想像しているうちに、思い出したことがあるのでそれを書くことにします。

 BRHに就職する際に、中村館長の『あなたのなかのDNA』を読みました。そして、「ヒトの場合、卵は胎児期の最初の一ヶ月のあいだに準備される」との一文に、お恥ずかしながら大変驚きました。卵細胞は生まれた時から一生分できていて、新しく細胞ができるわけではない。「じゃぁ今までの不規則な生活が既に卵細胞に刻まれているんやろかー!」心配性な私はちょっと焦り、大して反省することもない生活を大いに反省しました。
 そう言えば幼い頃、祖母に「女の子は石の上に座ったら駄目(冷えるから)」とよく言われたのも、「私はまだ子供やねんから関係ないんちゃうの?(当時は関西弁ではない)」と思っていたのですが、卵細胞を冷やすなということならば(医学的にどうなのか知りませんが)、一理あるわけです。侮りがたし。
 ということで、私(となる細胞)は、母が生まれた時からずっと、母の中にあったわけです。母と共に、祖母の体内にもいたわけです。祖母は母を産むと同時に、私=孫(となる細胞)も産んでいるわけですね。繁殖力旺盛なアブラムシは、1個体に少なくとも4世代が「入れ子」として存在するそうです。つまり曾孫(となる細胞)が体の中にいるのです。アブラムシは単為発生もしますので、正真正銘、曾孫(の細胞)まで産むとも言えましょう。
 「早く孫の顔が…」などと言います。どういう心境なのか正直よく分かりませんが、たとえば娘を持つ母親としたら、自分が(細胞を)産み育てたはずの孫を見たい、とでも思うわけなのでしょうか?
…細胞で考えると、それはなんとなく面白い気がしました。



[北地直子]
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