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進化研究を覗く

顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。

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文字発明からバーチャルメディアへI

2019年2月1日

文字・Writingの歴史にずいぶん時間を割いてきたが、個人的に系統的に調べたことのなかった領域なので、少し前のめりになって調べたせいもある。しかし、調べれば調べるほど、文字の発明に続くコミュニケーション革命が人類の文明に果たした役割の大きさがよく理解できた。おそらく文字なしに話し言葉だけでは、高度の文明は不可能だったように思う。一方で、あらゆる発明と同じように、文字という発明が多くの新しい問題を発生させ、その問題を解決するべくまた新たな発明が生まれるという歴史が繰り返したこともよくわかった。すなわち、文字発明以降の文明史を、音節による言語と文字の言語の間に生じた問題を解決することをきっかけに始まった技術開発の歴史として捉えることができると思っている。とはいえこの話はそろそろ終わらせる時が来た。そこで、今回はもう一度文字に始まるコミュニケーションの技術革命史全体を総括して終わりにしたいと思っている。


図1 マサイ族の人たちの合唱 マサイ族の村を訪れると合唱で迎えてくれる。

さて、音節による言語コミュニケーションは、原則的に刹那的で、その広がる範囲も発声者の周りの人に到達できるだけだ。それでも、誰かの言葉を長い期間、多くの人に伝える必要が出てくる。このように自律的にさらに高いレベルをめざすのは人間のコミュニケーションの本質で、それがその後の数々のイノベーションを生んだ。「長く広く」という課題は、文字が生まれる前はおそらく皆が唱和する合唱形式を編み出すことで解決されたのではないだろうか(図1)。大勢で同じフレーズを歌うことで、一人が間違っても、確率的に多くの人が間違わない長さまでは正確に伝えることができる(これは現在の情報処理で言えばparallel redundancyの問題だ)。また、歌という形式により、音楽を言葉に連合させることで、記憶しやすくなるはずだ。しかし、このような「長く広く」というコミュニケーションを必要としたのは限られた状況で、最初は重要な出来事を皆で共有するためにはこれで十分だったと思う。

しかしこのような情報の共有はすぐに文字の発明にはつながらなかった。不思議なことに文字の必要性は、個人的な目的のために「長く」記録を残すため、すなわち覚書として始まる。農耕が始まると、長期間保存可能な食物という財産が生まれ、それを生産するための新たな投資が必要になる。その結果生まれた様々な形の財産は、当然長期間の記録を必要とする。この個人的要求に答えたのが、トークンで、(トークンからタブレットへ(http://brh.co.jp/communication/shinka/2018/post_000009.html)参照。)「長く」「正確に」という情報の必要性は十分満たせたが、記録する対象が財産だったことから、「広く」という必要はなかった。このトークンの発明は、従って文字発明の前段階、0段階と呼べるだろう。

しかし灌漑のような大規模な投資が必要な農耕は、更に大きな貧富の差、そしてそれを超えた社会的権力の非対称性を生み出す。王の誕生だ。この結果、トークンを基盤として生まれた絵文字が(これが文字の発明第一段階だが、実際には解読が難しくわかっていないことが多い)、意味だけでなく音を表現する文字として使われるようになり、権力者の言葉や行動を「長く、広く、正確」に伝える情報として確立する。最初王や土地の名前を表現するために、rebus原理(絵文字から表意文字(http://brh.co.jp/communication/shinka/2018/post_000010.html)参照)を用いて表音文字として使われ始めた絵文字が、最終的に話しことばを表現できる文字として自立するのが文字進化の第二段階になる。

重要なのは、こうして完成した長く、広く、正確なコミュニケーションを可能にした文字が、さらにコミュニケーションの可能性を拡大しようと、進化していく自立性を持っていることだ。この自律性は、個人の言葉がコミュニケーションを通して、社会的に選択・共有され、こうして共有された言語が今度は個人により使われる中でまた進化する、一般的に言語に特徴的な進化のサイクルが、文字にもあてはまることを意味する。先ほどの情報科学的用語を使うとすると、パラレル進化と呼んでいいのかもしれない。すなわち「長く、広く、正確」なコミュニケーション能力を実現した文字という道具は、共有する人の数が増えるとともに、個人個人の創意が集まり、目的に合わせた様々な改良が加えられて進化し、社会で共有される。そしてこの共有される部分は新たな個人に学習され、利用されていく中でまた新しい変化を生み出す。このことは、文字は使うヒトが多ければ多いほど、すなわち大衆化すればするほど進化する。

はじめ西欧から中央アジアにかけて使われていた文字は、大衆化の過程で表意性という複雑性を捨てて、音節を表現する文字へと進化する。すなわち、進化により単純化かつ正確さが実現されていく。この集大成が、商人の国フェニキアで商業という大衆的で双方向的なコミュニケーションのために生まれたフェニキア文字と、その後それを再編成して作られたギリシャアルファベットだ。この過程で、文字の複雑性は削ぎ落とされていき、最初必要とされていた表意文字は整理されていく。特にアルファベットになると、全ての言語に利用できる正確性を実現する。こうして進化した文字が、コミュニケーションの拡大を通して新しい文化を生み出すことになる。すなわち、文字の大衆化が、文字進化の第三段階になる。

文字が大衆化する中で、表意文字を捨てて表音文字へと進化するという道とは全く異なる歴史をたどったのが、漢字圏の中国語と、日本語だろう。文字の進化が単純化だとすると、膨大な数の表意文字を今も使っている中国語や日本語は異常に思えるだろう。実際、韓国語は独自の世界的にも優れたsyllabogramへと進化したし、ベトナム語は紆余曲折を経てアルファベットを採用した。

中国語について何かを言えるだけの知識がないので、日本語についてこの奇跡が生まれた理由を考えてみると、文字を共有する人が増える大衆化の過程で、文化を担うエリート層が生まれ、文字という道具が文化と不可分な統一体になることで、この複雑さを維持させる原動力を得ることができたと考えられないだろうか。

漢字の大衆化・日本語化という進化は当然日本語の音節が、借りてきていた中国文字をRebus原理を使って表現できるようになったところから始まる。すなわち漢字で音節を表現する万葉仮名の発明に始まる。専門ではないので聴き飛ばしてほしいが、この日本語の進化の背景には、古事記や日本書紀で見られるような、必要な名前や地名を表現するための漢字の利用があった。しかしこれ以上に重要な動機が、日本語の音節を全て記載するための進化で、これを推進したのが固有の文化としての和歌を書き写す必要性ではなかっただろうか。言語の進化で言うと、第二段階が我が国で始まった。この動きが結実したのが万葉集だ。ホメロスの叙事詩を書き写す必要がギリシャ文字を誕生させた一因となったのとよく似ている。さらに面白いのは、万葉集の歌人リストを見ると、もちろん皇族や貴族が多く含まれるが、素性のはっきりしない例えば郎女(いらつめ)として表現されている女流歌人、宇遅部黒女のような地方の女性、地方へ赴任した防人、さらには読み人知らずまで、様々な層の人たちが存在している点だ。女流歌人が堂々と男性の中に混じり、和歌を詠むことが普及していたことは、政治・経済的なエリート集団とは別に文化を担うエリート集団が誕生していたことを伺わせる。このように、我が国での文字の大衆化は、ほとんど文化エリートの誕生と同義語だと考えられる。

我が国の場合、話しことばと文字との統合がRebusそのものの万葉仮名、そしてその後の平仮名、カタカナの発明と2段階で起こるが、この過程が文化エリートに推し進められたことは、仮名が公的な文書として最初に現れる醍醐天皇の勅撰和歌集「古今和歌集」でより鮮明に見られる。選者を決めて歌を広くから集めること自体、文化エリートを集めろという命令だと思うし、歌の質はともかく、仮名という新しい発明を、我が国固有の文化に統合させるという意味では画期的な事業だった。個人的な印象だが、叙事詩と違い和歌はある瞬間の心象・情緒の記録と言えるだろう。その時、仮名はあきらかに瞬間を記録するのに適している。こうして生まれた文体が、他のジャンルに伝達されて平安文学が花開くことになる。この仮名の発明と木版による書物の出版という文化のセットが、文字を上から下へと知らしめる政治的文書ではない、より広い層の文化と統合させることに成功した。重要なのは、この古今和歌集でも、表記が平仮名や片仮名に集約するのではなく、音節文字と表意文字が混在するという表記法を用いている点で、瞬間の情緒を記録する場合でも、このほうが表現力を持っていたのだろう。これは和歌が、音だけでなく、その背景にある音とは切り離された情緒全体を表現しようとする文学だったからだと思う。音の背景にある複雑な情緒の文化が、表意文字を捨てずに積極的に利用して新しい表現法を造った背景に有ると思う。このことは多くの言語学者が考えるように、Writingの進化は表音文字へと集約するという考えが必ずしも当てはまらないことを示している。どの表記の形式を選ぶのかは、文字が統合された文化に大きく作用される。もし古今和歌集での表意文字と音節文字の使われ方を子細に分析できれば、恐らく日本語がなぜ漢字という表意文字を残したのかを理解出来るような気がする。すなわち、日本固有の文化にこのスタイルが最も適していた理由を知ることで、文字と文化が相互作用する進化をより詳細に分析できるはずだ。

そう考えると、中国語で漢字が使われ続けたのも、中国にその条件が存在したからで、中国共産党支配によりこの条件が消え去ると、大きな文字改革の運動が起こった。この時、中国は完全にアルファベットに変わる危険性さえ秘めていた。しかし、数千年の歴史の結果積み重なった膨大な文化的遺産が、それを押しとどめたのだろう。同じことは、わが国の明治維新でも起こったが、同じように文化遺産がそれを押しとどめ、現在に至っている。しかし、間違いなく、日本語のwritingも時代とともに進化を続けている。特に、ワープロやSNSなどの新しいテクノロジーが、我々が考えもしない日本語の進化に手を貸していくだろう。

これが文字の進化初期段階で、図2にまとめておく。この後の進化は、大衆化と、科学技術の関係が原動力となって進むが次回に回す。


図2 文字の進化前半のまとめ

[ 西川 伸一 ]

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