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近代科学の誕生と印刷術

2019年1月15日

近代科学の誕生と印刷術

印刷術の発明と普及は、17世紀近代科学の誕生のための必須条件だったと思っている。そこで印刷術により新たに抑制要因が取り除かれた最後の領域として、近代科学について考えてみよう。その前に、近代科学誕生とはなんだったのか、ざっとおさらいしてみたい。近代科学誕生の条件の詳細については、このコラムの延長として計画している「生命科学から読む哲学書」で詳しく扱おうと思っているが、今回は全ての詳細を省略して近代科学誕生についての私の考えを短くまとめる。従って、これから書くことは全て私の独断と偏見に基づくと思っておいてほしい。

17世紀近代科学を誕生以前

「科学とは何?」と聞かれると、「世界で起こる現象を理解するため、一定の手続きに基づいて進める探求」と答えている。理解したい対象はこの世界で起こった、あるいは起こっている現象なので、人間個人や社会での出来事も当然含んでいる。ただ、「一定の手続きに基づいて」という但し書きが重要で、それに基づかない限り科学は成立しない。この手続きこそが17世紀の近代科学誕生で明らかにされたことだ。

世界で起こる現象を理解し、説明することはもちろん古代から行われた。この探求の最初のピークは、古代ギリシャに見られる。タレスに始まり、アナクシマンドロス、デモクリトス、ピタゴラス、ユークリッド、アルキメデスなどなど、自然の探求を目指した人たちの名前は枚挙に遑がない。その後ローマ時代に入ってこの動きは低調になるが、これは情報の出してがキリスト教に集約したためで、「神の業」についてあれこれ探求すること自身がナンセンスな話ということになってしまった結果だ。しかし、一神教の影響がなかった古代ギリシャにおいても、近代科学成立に必要な重要な条件が欠落していた。

これが「作り話を拒否する」という科学の条件だ。例えばギリシャ科学の集大成と言えるアリストテレスは、世界の現象は4つの原因による結果だとする「4因説」を提案したことで有名だ。すなわち、世界で起こる現象は、1)質料因、2)作用因、3)形相因、そして4)目的因(最終因)、のいずれかの原因で起こるとした。確かに、現象には必ず変化するものが存在し、それが何からできているか(質料因)、何がそれに働きかけているか(作用因)などは、現象の原因として的確に把握できる。また無理をすれば、それぞれの物が本来あるべき場所があるとする形相因も、たとえば比重、さらに極端に言えば、一般相対性理論での時空の曲がりで説明できるかもしれない(勝手な妄想なのであまり気にせず読み飛ばして欲しい)。しかし、最終因・目的因となると、それが何かよくわからない。まず物理学的には目的を持ち出すことはタブーだ。一方、形相因や目的因についてのアリストテレスの説明を読むと、このような原因の存在を最初から決めてかかっていることがわかり、説明自身は作り話としか思えない。

この傾向はキリスト教世界に入るとさらに深まる。天地創造やノアの箱舟など疑ってはならないドグマをもとに現象を説明しようとするため、作り話がなんの抵抗もなく無限に導入され、それを疑うことも許されないという状況が続くことになる。科学にとって、この状況が変わったのが17世紀で、宗教からの介入を棚上げにして、作り話を排除する体制が徐々に整備される。この時の最も重要な立役者がデカルトとガリレオだ。

17世紀近代科学誕生

図1 マリアの死に際してキリストが現れ、マリアの霊を取り上げる、マリアは神の毋とする考え方を示している。特に東欧の教会には数多くの同じパターンの絵画が飾られている(筆者撮影)

なぜ西欧より科学が進んでいた、中国やイスラム圏で近代科学革命がおこならなったのかについては、いつか議論したいと思っているが、一つの重要な要因として、キリスト教(特にローマカソリック)が、世俗的な一神教だったことが大きいように思う。イスラム教やユダヤ教徒比べたとき、マリア(人間)がキリスト(神)の母になれるという教義は(図1)、ある意味で人間と神が比較的対称的な関係を持つことを許した考えと捉えられる。その結果、カソリックやギリシャ正教の教会には、仏教寺院や多くの多神教の寺院と同じように人間の像が溢れることとなっている。にもかかわらず、一神教の立場から、自然現象を「作り話」を駆使して説明することが行われており、例えば天地創造やノアの箱舟といった話に見られるように、全ての作り話が唯一の神に集約していた。その意味で、うまく神の世界を現実の世界から切り離すことができれば、科学的にも、政治的にも作り話に対する対処がしやすかったのだと思う。言い換えると、世俗的一神教では、神が人間に近いおかげで、精神的に神の世界を現実から棚上げすることが17世紀になって進んでも抵抗が少なかったのではないだろうか。またルネッサンスの古代ギリシャ文明の再評価も、この動きを後押ししたように思う。一方、イスラム教のような神と人間が絶対的に非対称な宗教では、神が起源となる作り話を拒否することは、まず不可能だろう。

ただ、これだけでは不十分だ。あとで述べるように、西欧で印刷業が急速に広まり、コミュニケーションの大衆化、同時化が進んだことが、17世紀西欧で最初に近代科学が誕生した重要なきっかけになったと思う。

デカルトと近代科学

デカルトの考えの詳しい解説はまたの機会に譲って、ここでは彼の近代科学誕生に果たした役割についてだけ述べる。


図2 ルネ・デカルトの肖像画と1637年に出版された方法序説
デカルトといえば「我思うゆえに我あり」という有名な言葉が書かれている「方法序説」だが、この本はなんと当時で3000部印刷されたと何処かで読んだことがある。この本は哲学の本なので、現在でも3000部というのはかなり売れた部類にあると言えるのではないだろうか。実際、デカルトはカソリックに睨まれていたものの、当時の売れっ子思想家だった。(出典:Wikipedia)

デカルトの近代科学誕生への貢献は、主観主義と2元論に尽きると思う。まず主観主義だが、方法序説を読むと、彼自身の経験からスカラ哲学など当時の権威を疑い続けて最終的に、疑っている自分から始めるしかないことに気づく過程が書かれている。すなわち「我思うゆえに我あり」だ。この自分から始め、自分で考えるというのは科学の最も重要な条件であることは誰も異論がないだろう。ただ、神の言葉(=教会の教義)が絶対であった当時、これを明確に語たることは簡単でなかったはずだ。

もう一つの貢献が2元論で、これはその後合理主義の指針として現在まで続いている。個人的には、教会との一種の妥協のようなアイデアとして出てきたように思えるが、「心と身体」を神の領域と人間の領域に分離した点で、その後の科学の発展に多大な影響を及ぼした。すなわち、心のように本質的に理解できないことがあり、これを無理に説明しようとすると作り話になる。説明がもともと難しい領域は、神の領域として棚上げして、理解可能と思われる身体の領域に集中すればいいという考えだ。極端にいうと「わからないことは放っておけばよく、まずわかることから取り組め」ということだ。当たり前の話だが、これをはっきりさせたおかげで、わざわざ全てを説明しなくても、理解できることに集中すればいいことになり、この考え方が近代科学を推進し、現代まで続いているように思う。現代、演繹主義とか、機械論として批判されるのは、全てこの2元論の話だ。

ガリレオ・ガリレイと近代科学

ガリレオというとみなさんは「それでも地球が回っている」と地動説をとなえ、当時のカソリックの天動説を否定した科学者を思い出すと思う。もちろんそうなのだが、図3に示した彼の本、「偽金鑑識官」を読むと、彼が「作り話」を拒否し、第三者と合意を図るための方法、すなわち科学の方法を明確に示した人であることがわかる。デカルトが示したように、自分で考え、わからないことは後回しにするにしても、「思う我」が到達した結論が他の人の同意を得られるかどうかはわからない。残念ながらデカルトの著書でもこの問題は全く触れられず、彼の提案するテーゼも基本的には同意されるものとして提示されている。

これに対しガリレオは、それがどれほど正しい概念でも、他人に同意を強要し、押し付けることを科学は拒否すべきだと語る。そして、実験や数学のように、第三者と共通の概念を共有するための手続きだけが、同意を形成するための唯一の手段であると主張する。そして返す刀で、教会関係者がなんの根拠もない思いつきを正しいと他人に押し付けていることは、科学でも哲学でもないと強く主張した。その意味で、この「偽金鑑識官」を読んでみれば、ルネッサンスで世俗に侵食され力が衰えていたとはいえ、当時のカソリック教会がガリレオの思想を許すはずはないことが理解される。


図3 ガリレオの肖像と1623年に出版された偽金検査官
(出典:Wikipedia)

読者の皆さんもご存知のように、ガリレオは数多くの観察や実験を行ったことで知られている。ピサの斜塔での落下実験は最も有名だが、多くの実験道具を開発している。また、望遠鏡を用いた天体観察を行い、木星の衛星の発見など、実際大きな研究上の業績もあげている。しかし、17世紀近代科学誕生に関していえば、「贋金鑑識官」に込めた彼の思想が、最も大きな貢献をしたと言える。

近代科学の誕生と印刷

デカルト、ガリレオにより、近代科学の過程が、

  1. 1)自分で考えるところから始め、
  2. 2)わからないことは後回しにし、
  3. 3)概念を、客観的な手続きを通して第三者と共有する

ことで、作り話を排除し、合意された概念を積み重ねる過程として確立する。言い換えると、科学者が、第三者と同じ手続きを認め合い、概念について合意を得ることを最も重視する人として明確に定義された。そして、この原則は現在も何も変わることはない。

ただ、この過程を実現するためには、科学者個人が方法を理解し、実験や数学的な検討を行うだけでは不十分だ。すなわち、着想し、検証した概念を、複数の第三者に見せて批判を仰ぎ、問題があれば直した後、共有できる概念として再度確立し直すという、今でいう論文を発表するための査読システムに似た過程が必要になる。すなわち、出版物を通したコミュニケーションが必須になる。これを可能にしたのが、印刷術で、近代科学誕生にグーテンベルグの貢献は大きい。

古代ギリシャでも、自然現象を説明しようとした人たちの中には、同じように第三者と概念を共有したいと考えた人たちは必ずいたと思う。ただ、口述にしても、自分でパピルスに書き下ろすにしても、まとめた考えを多くの人に見てもらうためには、写本を繰り返すしかなかった。ところが、これにはどうしても時間がかかるため、ある程度の同時性が必要な批判しあい、合意を撮る過程が実際には成立できなかった。キラ星のように様々な思想が生まれた古代ギリシャを読んだ時、どうしても個人が勝手に思いつきを語っているという印象を持ってしまうのはこれが原因だと思う。

おそらく観察や数理の適用という点では、古代ギリシャもかなり優れていたと思うが、近代科学が定立するためには、科学に必要な批判し合う関係を維持するために必須の、印刷術と出版業がまだできていなかった。一方、近代科学誕生前の16世紀のルネッサンスには、科学についての本の出版がすでに行われていた。例えば有名なコペルニクスの「天球の回転について」は1543年に出版されている。すなわち、グーテンベルグの発明から100年後には、なんと科学についての本が出版され、販売されていたことは驚きだ。近代科学を誕生させる、インフラストラクチャーは16世紀に準備が進んでいたと言っていいだろう。

最後に、本稿での最初の質問に戻ろう。「科学とは何か?」
これに対して最も有名なのが、「反証する方法がないものは科学ではない」としたカール・ポパーの答えだが、証明も、反証も大衆的、同時的コミュニケーションなしにありえない。その意味で、近代科学は印刷術に支えられて始まったと言っていいだろう。

[ 西川 伸一 ]

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