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進化研究を覗く

顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。

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サルからヒトへの進化研究が活発になってきたⅡ 〜脳の多様性を生み出すゲノム構造変異〜

2018年8月15日

前回、サルからヒトへの進化過程で大きな駆動力として働いたのが、単一塩基置換よりは、大きな領域の欠失や挿入、特に遺伝子を含む領域の重複だと説明した。今回は、そんな例を2つ示したいと思っている。

ゲノム解読が進み、類人猿とヒトで、遺伝子重複を含む大きな違いが生じた領域を探し、その遺伝子の機能を調べる研究が活発に行われるようになった。その先駆けと言えるのが、2015年ドイツドレスデン大学のグループが『Science』に発表した論文で、脳の細胞数を決めている神経幹細胞radial glia細胞で強く発現している遺伝子を探索する中で、チンパンジーとヒトが別れた後、ヒトだけで遺伝子重複変異が起こったARHGAP11Bを特定するのに成功した研究だ(図1 Florio et al, Human-specific gene ARHGAP11B promotes basal progenitor amplification and neocortex expansion(ヒト特異的遺伝子ARHGAP11Bは基底部の前駆細胞を増幅して新皮質の拡大に関わる), Science 347:1465, 2015)。


図1 脳のシワを作る遺伝子として注目された『Science』論文。

この研究ではARHGAP11B遺伝子はヒトの進化過程で重複し、ネアンデルタール人、デニソーワ人、現世人類のすべてで機能的分子が翻訳されることを示している。さらに、マウスに導入すると新皮質の細胞増殖が高まり、なんと脳にシワができる。従って、サルからヒトへの進化過程でradial glia細胞の増殖を通して、皮質の拡大に寄与している可能性はある。ただ残念ながら、遺伝子重複により新しい機能の分子が誕生したことはわかるが、重複領域からさらに複雑な多様性が生まれる可能性は示されなかった。

ところが2017年、2018年とたてつづけに遺伝子重複による遺伝子構造により分子の多様性が生まれ、それが人類進化を推進する可能性を示す論文が発表された。いずれの論文も、これまで自閉症をはじめとする人間の精神疾患や発達障害との相関が知られている染色体領域に注目して、領域内に存在する人間特異的な遺伝子重複部位を特定、その機能や分子の多様性について調べている。

図2は、2017年ワシントン大学を中心に発表された論文のタイトルページだが、タイトルにあるように16p11.2領域に存在するbolA family member2 (BOLA2)遺伝子についての研究だ。


図2:ワシントン大学から発表されたホモサピエンス特異的遺伝子についての研究論文。

16p11.2領域はコピー数の変異(CNV)が高発する場所で、なんと自閉症患の1%がこの領域のCNVを持っている。この研究ではまずマウス、オランウータン、チンパンジーでこの領域のDNA配列を決定し、この領域がチンパンジーやヒトの進化で重複や逆位をくり返し、構造を変化させてきた過程を明らかにしている。この構造変化は、それぞれの系統で独自に進むが、人間だけで100kbを超す領域の重複が起こり、大きな領域のコピー数の変化が起こりやすい構造ができた。

この領域にはBOLA2,SLX1,SULT1A遺伝子がコードされているが、重複が多発するのはBOLA2遺伝子で、古代人を含む調べた全てのホモサピエンスで遺伝子のコピー数に多様性が認められる。ところがチンパンジーからネアンデルタール人、そしてデニソーワ人のゲノムではこの重複が見られない。すなわち、ヒトだけでBOLA2遺伝子の数が個人ごとに変化する構造が出来上がっていることになる。現代人について調べてみると、多様性が最も大きいのが東アジア人で3個から10個まで、個人ごとに異なっている。重要なことは、この遺伝子のコピー数が、遺伝子発現の量の差に反映されていることで、この結果この分子のリンパ球での発現量の変化は人により4-5倍にも達する。残念ながら脳内での発現は調べられていないが、iPSなどを用いれば、これもすぐに明らかになるだろう。

この研究ではこの多様性を生み出す、人間でだけ保存された2つのBOLA遺伝子を含む領域を特定し、この領域の変異と自閉症や発達異常との関わりも調べている。驚くことに、自閉症で起こるCVの96%がこのヒト特異的領域で組み変わっている。すなわち、ヒト特異的な遺伝子重複の結果、さらに再構成がおこりやすい領域が誕生したことを明らかにしている。

残念ながら、この研究ではこの分子の機能については何も調べてられていない。また、この分子はほとんどの細胞で発現が見られ脳特異的とは言えない。実際発現量だけを見れば、最も未熟な多能性幹細胞やiPSでの発現が、神経幹細胞よりはるかに高い。従って、直接サルから脳への進化に関わっているのかわからないが、ヒト特異的な遺伝子コピー数の多様性に寄与している領域がきわめてよく保存されているだけでなく、ネアンデルタール人やデニソーワ人のゲノムには見つからないことから、このようなコピー数の多様性を生み出せるようになった遺伝子構造が、脳を含めホモサピエンス特有の性質の形成に重要な働きを演じている可能性は高く、今後の研究に期待される。

この論文に対して、より明確に脳神経、特にradial glia細胞で働いていることを示した神経領域についての研究がワシントン大学から今年の5月31日号の『Cell』に発表された(図3)。


図3ワシントン大学から今年5月、『Cell』に発表された、ヒトの大脳進化に関わると予想されるNOTCH2NL遺伝子に関する論文。

この研究の目的は、ヒト特異的ゲノム構造が進化することにより多様性が生まれ、それが脳の進化に関わる遺伝子を特定することだ。この目的のために注目したのが、1q21領域で、逆位を含む様々なCVが多発することが知られており、また多くのヒト特異的遺伝子がこの領域に存在している。しかもこの部位が欠損すると小頭症、この部位が重複すると巨脳症が起こるという、まさにドンピシャの領域だ。ところが、これまで発表されていたこのゲノム領域の解析は様々な理由で不十分なもので、これら発達異常に関わる遺伝子をピンポイントで特定するには至っていなかった。

この研究では2014年に構造と配列の訂正版が発表された1q21.1領域の配列を見直すところから始め、この領域内にNotch2遺伝子の一部が重複して生まれたNotch2NL(第一染色体の離れたところに存在する)が、さらに重複を繰り返して生まれた3種類のNotch2NL(Notch2NLA,B,C)が存在することを発見した。Notch2NL遺伝子は類人猿にも存在するが、遺伝子としての機能は失われている。そしてこのNotch2NLが並んだ1q21領域をヒトゲノムデータやES細胞株で詳しく調べ直すことで、これまで研究されてきたヒト特異的遺伝子重複領域と比べて、全く異なる特性がこの領域に見られることが明らかになった。

まず驚くのが、Notch2NLANotch2NLBが相同遺伝子セットとして隣接することで、互いに遺伝子変換を高頻度で起こすことで、新しい配列をもった遺伝子が誕生することだ。すなわち、両方の遺伝子が協力して新しい配列を持ったNotch2NL遺伝子を生成させることができる。これは、ニワトリの免疫グロブリンV領域の多様性を生成するのに使われているのと同じ方法で、短い期間に異なる配列を持ったNotch2NL遺伝子を生成することができる。事実、ES細胞株H9のゲノムを調べると、培養しているうちに元の遺伝子とは違う3種類のNotch2NLが新たに生まれており、その全てが細胞内でタンパク質へと翻訳されている。すなわち、生まれた変異の多くは、新たなたんぱく質として生成される。同じように15人のゲノムを調べると、少なくとも異なる8種類の新しいNotch2NLが見つかり、高い頻度で遺伝子変換による個体間の多様化が生まれているのがわかる。

このようにコピー数の変化がなくとも、相同遺伝子が近くに並んで存在することで、新しい機能的遺伝子を生成できる。多くの人のゲノムをデータベースから調べてみると、Notch2NLANotch2NLBが並ぶ遺伝子構造は高く保存されており、コピー数の変化もほとんど見られない。一方、これとは離れて存在するNotch2NLCではコピー数の変化が見られることから、Notch2NLABの構造的関係を維持することが進化上極めて重要で、この構造が保存されたと考えられる。

この研究が面白いのは、この分子の発現、生化学的機能、そして発生学的機能について解析が行われている点だ。先ず期待通り、ほぼradial glia細胞特異的に発現している。また生化学的機能については、分泌型の分子も、非分泌型に変異した分子も、Notchシグナルを高める作用を持っている。しかも、異なる配列を持つ多様化した分子同士で、作用の強さが違っていることもわかった。すなわち、遺伝子変換により強さの異なるNotchシグナル促進因子が生成され、Notchシグナルを微調整している可能性が示唆された。

次に、この遺伝子の存在しないマウスES細胞から神経幹細胞分化を誘導する実験系を用いて、ヒトNotch2NL分子の過剰発現の効果を調べ、細胞の増殖に変化はないが、明らかに神経細胞の分化誘導が抑制されていることを示している。一方、ヒトES細胞の中からNotch2NL遺伝子が欠損した細胞株を分離して、この分子の欠損の神経分化への効果を調べ、成熟神経への分化が促進することを明らかにしている。これらの結果から、Notch2NLは神経細胞の分化を遅らせる機能を持ち、遺伝子変換により配列を多様化させることで、作用の強さを変化させられることがわかった。

これまで1q21領域に欠損があると小頭症、重複があると巨頭症が起こることが知られていたが、これがNotch2NL遺伝子の変化によるのか、この領域上の他の遺伝子の変化によるのかを最後に調べている。1q21に重複、欠損が見られる小頭症、巨頭症患者さん11例について遺伝子配列を詳しく調べると、一例を除いて全ての症例で、Notch2NL遺伝子の重複・欠損が見られ、この変化が対立遺伝子間の組み替えではなく、同じ染色体上にあるNotch2LAとBの相同性を使って起こっていることを明らかにしている。

以上、

  1. 1)進化の過程で遺伝子重複により新しい機能を持った分子が生まれ、
  2. 2)その遺伝子が重複を繰り返して、よく似た遺伝子が近くに並んで存在する構造が生まれ、
  3. 3)これらの遺伝子間相互での遺伝子変換による分子の多様性を生み出すことが人類でのみできるようになった。
  4. 4)この分子はNotchシグナルを促進する働きがあり、radial gliaでのみ発現が見られ、
  5. 5)神経細胞の分化成熟速度を抑える働きがあり、
  6. 6)発生途上で重複が起こると、脳が大きくなり、欠失が起こると脳が小さくなる。

という絵に描いたような脳の発生進化に関わる新しい分子が見つかったことになる。極めてエキサイティングな発見で、これからどう発展するのか楽しみだが、ヒトにしかない分子ということで、もっと多くの人の変異を同定して、症状を調べることが重要な課題になるだろう。事実、この領域の変異は統合失調症や自閉症とも相関があるため、これらの患者さんでの詳しい解析が期待される。

もう一つ考えられる方向は、本来この遺伝子が発現していないサルに、異なる活性を持つこの分子を導入する実験で、許されるのかどうかは別として、まさに「猿の惑星」実験と呼べるかも知れない。

以上夏休み特集として、サルからヒトへの脳進化の最近の研究を紹介したが、驚くべき進展を遂げているのを実感してもらえたのではと思う。次回からは正常に戻して、表意文字から表音文字への発展について見て行くことにする。

[ 西川 伸一 ]

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