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進化研究を覗く

顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。

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続・ゲノムの働き

2015年10月1日

昨年5月、第6話で紹介したようにダーウィンの進化論の柱の一つは、集団内で形質の多様化が自然に起こるとする考えだ。ゲノムやDNAはおろか、遺伝の法則についても何もわからなかった時代にダーウィンがこれを着想したことに驚く。一方自然選択の概念は、マルサスや、適者生存による社会進化を唱えたスペンサーの著作からわかるように、当時の社会的思想風潮の一つではなかったかと思う。ダーウィンも適者生存の法則を説明するより、自然に起こる形質の多様化についての説得がはるかに難しいと予想していたのだろう。「種の起源」を集団中に自発的に起こる多様化の話から始めている。しかし、ゲノムの理解が進んだ今日では、自然に起こるゲノムの多様化(突然変異)が形質の多様化の背景にあることを疑うものは誰もいない。逆に自然選択については、適者生存といった単純なものではなく、形質の自然選択によるゲノム変化の研究は複雑で挑戦的な分野だと考えられるようになっている(後にできる範囲で議論したい)。進化がゲノムを持つ生物に内在する機能である以上、生物の多様化を推進する原動力がゲノムの3番目の働きになる。

私たちのゲノムに変異が導入される方法は、点突然変異から全ゲノム重複まで、極めて多様だ。具体的には、1塩基置換、欠損、挿入による点突然変異、小さな配列の挿入・欠損・逆位、染色体を含む大きな領域の欠失、挿入、転座、重複などがあり、全てがゲノムの多様化に寄与する。これほど多様な方法があるとわかっていたらダーウィンも苦労せずに済んだだろう。もちろんこのような変異は理論的可能性というだけではなく、実際に一定の確率で起こっていることは、多くのゲノムデータが蓄積されてきた現代では当たり前のことになった。ヒトゲノムを比べてみると、一塩基置換による特定部位多形性、すなわちSNP(single nucleotide polymorphism)は一千万箇所、小さな領域の挿入、欠損、逆転による変異は10万箇所に上ることが知られている。大きな染色体の変異となると、さすがにヒトゲノムデータベース内に見つけることはほとんどできないが、染色体重複だと例えば21番染色体の重複によるダウン症は有名だ。さらにがん細胞を調べると、様々な大きなスケールの変異を目にすることができる。例えば小児ガンの一つ神経芽腫の多くは13番染色体の特定部分が欠損することが知られているが、1983年に13番染色体全てが一本欠損した神経芽腫が発見されている(Science 219, 973-975, 1983)。他にも、ガンの遺伝的原因として染色体転座と呼ばれる異なる染色体同士の結合が知られている。例えば、ほぼ全ての慢性骨髄性白血病細胞は9番染色体と22番染色体の一部が結合した新しいキメラ染色体が形成される。これにより、bcr分子とabl分子が結合したキメラ分子が生まれ、これが血液幹細胞の増殖を促進し、白血病を引き起こす。こうして獲得される増殖優位性も適者生存の一つの形と言えるだろう。このような転座がガンの引き金になっている例は数え切れない。

ゲノムの多様化を考える時ガンゲノムから学べるもう一つの重要な事は、細胞が増殖を続ける中で驚くほど多くの変異が蓄積して行く事だ。例えば多数の悪性黒色腫の全ゲノム解読を行った論文によると(Cell vol161, 1681, 2015)、それぞれのガンごとに1Mbあたり平均16.8個の何らかの変異が見つかる。ヒトゲノムを3Gと考えると、この数字の3000倍、すなわち約5万個の突然変異が、ガンに蓄積していることになる。そしてこの中に異常増殖や転移性などに関わる機能的変異が複数個存在している。本当に個体の形質の多様化が目に見える形で起こっているだろうかというダーウィンの心配は全く杞憂でしかない。私たちのゲノムは猛烈な勢いで多様化するようできているようだ。

では、これほど様々な方法でゲノムを多様化させる原動力は何か?一時世間を騒がせたガン研究の大御所Vogelsteinたちが発表した論文にこのヒントがあるように思う(Science, 347,78, 2015)。私たちの体にはガンになりやすい組織となりにくい組織がある。この論文は、組織ごとのガンの起こりやすさと、その組織を維持するために必要な幹細胞の増殖回数をプロットして、両者が見事に相関することを示した論文だ。例えばガンの発症の多い直腸は、組織の維持のため幹細胞が10の13乗回近く分裂しなければならない。一方、小腸は長いように見えても幹細胞全体の全分裂回数は大腸の50分の1で、ガンの起こる頻度は100分の1であるのと一致する。すなわち、ガンにかかりやすさは、ガンが発症する組織の維持に必要な幹細胞の分裂数に比例し、つまるところ分裂時に起こる全く確率論的な変異により決まっているとする結論だ。もちろん生活習慣要因もガンのかかりやすさを変化させるが、背景となる分裂との相関は変わらないとした。これに対し、あまりに単純化しているとの非難の声が上がったが、私にとっては当然のことに思えた。というのも、ゲノムの複製は最も変異リスクが高い過程であることがわかっているからだ。2013年、7000にのぼる異なるガンのエクソーム解析からガンでどのような突然変異が起こっているか調べたNatureの論文(502,258,2013)でも、様々なガン共通に見られる突然変異の種類(例えばCからTへの変異)は、DNA修復や複製時に起こることが明らかになっている。DNA修復というと、私たちは放射線や紫外線、あるいは様々な化学物質などによるDNA損傷に対処するためのメカニズムだと思ってしまう。確かに地球上で暮らす限り損傷を避けることができないため、損傷を受けてもすぐに修復するための複雑な仕組みを開発してきた。実際、タバコや紫外線で修復が追いつかないほど損傷を受けるとガンの発生は上昇する。また修復酵素の力が弱まると少し紫外線に当だけでガンになる確率が高まる。その例が色素性乾皮症で、皮膚ガンの発症率は正常の20倍以上に達する。しかし普通の生活で起こる放射線照射や化学物質暴露よりはるかに強い突然変異誘発要因が存在している。それがDNA複製だ。詳しくは述べないが、DNA複製は2本鎖がチャックで開いたり閉ったりするように連続的に起こるものではなく、3種類のポリメラーゼ(一つはプライマーゼとも呼ばれている)が関わる複雑な不連続過程だ。この解明には当時名古屋大学の故岡崎博士の貢献が大きく、複製された短い不連続なDNA鎖を彼の名をとって岡崎フラグメントと呼んでいる(サイエンティストライブラリー岡崎恒子夫人の記事で詳しい解説有り)。最近DNAの変異が岡崎フラグメントの5' 端に集中しており、これが複製間違いの多いポリメラーゼαで複製される短いフラグメントが完全に除去されず残ってしまうためであることが報告された(Nature 518,502,2015)。さらにポリメラーゼの複製間違いを修復する酵素(ミスマッチ修復酵素)の機能低下が多くのガンの引き金になっていることも分かっており、この酵素が先天的に欠損した小児のガンでは、普通のガンの何十倍もの突然変異が蓄積している(Nature Genetics 47,257, 2015)。これは点突然変異の話だが、染色体レベルの大きな変異の多くはやはり細胞分裂や減数分裂時に生じることがわかっている。これらの例から、形質の多様化の背景にあるゲノムの多様化を駆動するもっとも大きな原動力とは、生命に必須の細胞増殖そのものであることがわかる。言葉を変えると、複製されて子孫に分配されるというゲノムの働き自身が、多様化の原動力になっている。

最後に、生命の維持に必須のタンパク質や機能的RNAを作り続けるための情報としての働きがゲノムの4番目の働きで、テトラヒメナの大核が担っている。ただこの働きについては、ゲノムの解剖学で詳しく述べたので割愛する。

以上紹介したゲノムの4つの機能から見えてくるのが、ゲノムが時間スケールの異なる未来に向けての情報として用意されていることだ。まずゲノムは次の瞬間から未来に続く生命の維持のために、必要なタンパク質や機能RNAを必要な量だけ作り続けるための情報として働いている。次に、あらゆる生命は増殖を維持することが必要だが、ゲノムはこのとき様々な時間スケールで必要とされる細胞増殖の際に子孫細胞に分配するためコピーされる情報として働いている。以上二つのゲノム情報の働きが関わる時間はほぼオーバーラップしており、いずれも現在の環境に対応して生命を維持することに関わっている。ところが、テトラヒメナの小核の説明で述べたように、個体同士の情報交換の媒体としてゲノムは働いている。単細胞動物では、この交換は通常環境が変化したとき行われることから、もう少し長いスケールの時間で予想される環境変化に対応する情報として働いている。そして最後に、ゲノムは複製時に多様化する性質を身につけることで、遠い未来に備えるための進化可能性媒体として働いている。このようにゲノムは情報として様々な未来に備える働きをしている。面白いのは、転写や増殖のような近い未来に対しては、変化を抑えるよう安全弁を働かせ、一方、もっと長いスパンで予想される環境の変化に対しては自ら変化する性質を積極的に利用して備えている。

今回は、図のない説明になってしまったが、これでゲノムの働きについての説明は終わる。次回は、DNAを媒体とする生物の情報と、私たちが情報という言葉で一般的にイメージするものとの相違について見ていく。

[ 西川 伸一 ]

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