1. トップ
  2. 語り合う
  3. 【自信を持って「エコ」に取り組むには】

ラボ日記

研究セクターのスタッフが、日常で思ったことや実験の現場の様子を紹介します。
月二回、スタッフが交替で更新しています。

バックナンバー

【自信を持って「エコ」に取り組むには】

尾崎克久  環境に優しい生活という意味で「エコロジー」という言葉が使われるようになって、ずいぶんと時間が経ったように思います。「エコロジー」に関心を持って頂こうという趣旨のイベントも数多く開催されていますし、マスメディアでも話題としてよく取り上げられています。最近では、オシャレの一分野として「エコ」と言われているかのように感じることも多々あります。個人的には、一般的な日本人の多くが、既に「エコ」には関心を持っていて、何らかの取り組みをしようという意識が十分に高まっているのではないかと感じています。ただ、日本で「エコロジー」と言われている内容の多くは、とても浅い意味での生物保護や、イメージ先行である場合が多いことが気がかりです。
 7月1日のラボ日記で岡本さんが指摘しているとおり、Ecologyとは本来は生態学の事であって、様々な生物が存在し、有機・無機のいろんな「環境」との関わり合いの中で営まれる生物の活動を理解する学問です。日本で言われている「エコロジー」は、明確な定義もないまま漠然と「自然を守ろう」「地球に優しく」というニュアンスを感じます。これを生物学の分野で敢えて言えば、保全生物学(Conservation Biology)の中の極々狭い範囲を指していると思います。保全生物学を大雑把に定義すると、「生物の歴史に人類の活動の影響をできるだけ残さないように、あらゆる科学的知識を総動員する学問」といえるでしょう。理想的な「エコロジー」というのは、生物はもちろん守りたい生態系に関わるあらゆるものを深く理解し、破壊しないで済むために必要な経済的活動やエネルギー政策(立法も含む)、周辺に住んでいる方々の生活様式や利便性なども考慮して、総合的に取り組んでいくというものだと思います(広い意味では、選挙でどのような政策の候補者や政党に投票するかも「エコロジー」に含まれるでしょう)。
 個人的な経験では、「自然(生態系)を守りましょう」というと、人類の干渉を排除することだと考える人が多いと感じていますが、それが正しい判断とは限りません。定期的な下草刈りなど、人類の干渉によって出来る「里山」のような中間的自然環境を必要とする生物の場合、人の干渉がなくなったことが絶滅の原因になり得ます。例えば、里山が減ったことが原因で絶滅危惧種に指定されているシルビアシジミというチョウが、伊丹空港の滑走路周辺にたくさん生息していることが見つかったそうです(2010年10月15日9時30分 神戸新聞オンライン版)。滑走路脇では、航空機の誘導灯が覆われないよう頻繁に草が刈られているため、シルビアシジミに好適な生態系が維持されたと考えられるのだそうです。個人的には、本来の食草であるミヤコグサが自生していないため、同じマメ科のシロツメグサに食性転換していたという部分が更に興味深いわけですが。伊丹空港では偶然、シルビアシジミを取り巻く生態系を保護する「エコ活動」が行われていたとも言えます。「自然を守る」「環境を保護する」「生態系を維持する」という活動は、多様な面があってとても奥深い活動なのです。
 「エコ活動」はイメージが先行していて、先入観や思い込みによる活動が多いような気がしてなりません。また、思い込みを指示してくれる情報も、そういう視点で探せば色々見つかることでしょう。例えば、「電気自動車(EV)は環境に優しい」と多くの人が信じているのではないかと思いますが、本当にそうでしょうか。確かにEVが走っているときには二酸化炭素(CO2)を排出しませんが、充電するための電気をどうやって発電しているか考えてみると、色々疑問が湧いてきます。震災の影響で多くの原子力発電所が稼働を停止し、火力発電所の稼働率が大幅に上昇している現在は特にです。それから、日本のCO2排出量に占める家庭用自動車の割合はどれくらいでしょうか。もし一般家庭で使われる自家用車を全てEVに置き換えて再生可能エネルギー(ここでは太陽光発電や風力発電を指します)による電力で充電したら、CO2排出量25%削減という国際公約を実現できるほど大きな割合なのでしょうか。また、それを可能にするほど大規模な太陽光発電所や風力発電所は、本当に周辺で暮らす人々の生活や生態系に悪影響がないのでしょうか。自宅で発電してEVを充電するために、住宅の屋根に太陽光発電パネルを設置するのは本当に良いことなのでしょうか。家屋上部の重量が増した分、耐震性を低下させてしまい地震が起きたときの危険が増すという別の形で悪影響があるかもしれない。僕の場合はそういった疑問が尽きません。この他にも、再生紙は本当に「エコ」なのか?など、イメージが先行している話題を書き始めたらきりがありません。
 「エコな生活」のために、様々な形で省エネルギーを心がけるのはとても大切なことです。国家のエネルギー政策がどのようなものになるにしろ、エネルギー消費量を減らす努力は有益でしょう。個人の努力をより有意義なものにするため、自分の活動が本当に目指していることを実現できる内容なのか、少し別の角度から考えてみたり、否定する根拠は存在しないか探してみたり、信じてしまう前に一歩下がって考えてみるように癖を付けることも必要なのではないかと思います。そうすることで、「何となく良さそうなイメージ」で取り組むのではなく、自信を持って「エコに貢献している」と言える個人レベルの活動を見つけることができると思います。

【おまけ】
 「シルビアシジミは絶滅危惧種になっていますが、実はよく似ているヤマトシジミと混同されて、記載や報告がないだけで、本当は絶滅の心配はないという可能性はないだろうか。伊丹空港ではきちんと分類の知識がある人が見たのでシルビアシジミだと認識できただけで、全国の空港や手入れの行き届いている公園などにも同様の現象はないだろうか。また、草刈りによって環境が維持されたことが主な要因なら、同様の環境を必要とする別の生物も伊丹空港には多く生息しているのだろうか。」
といった可能性を、学者という人たちは考えたりもします。情報を信じたり、結論づけたりする前に。
 これは意地が悪いとか性格が歪んでいるとか、そういうことではなく、一面的な情報で結論を出してしまうと判断を誤る可能性が高まるので、間違う可能性を出来るだけ排除するために様々な角度から検証する、という考え方に基づいています。


[チョウが食草を見分けるしくみを探るラボ 尾崎克久]

ラボ日記最新号へ