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ラボ日記

研究セクターのスタッフが、日常で思ったことや実験の現場の様子を紹介します。
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【今日は少し「生きものの形」の進化を考えてみよう】

橋本主税

 進化を説明するダーウィンの考え方はおおよそ次のようである。すなわち全ての遺伝子への変異は確率論的には平等に起こり、それによって生きものの身体に起こる変異も様々である。そのようにして生じた様々な変異は、生きものが生きていく環境に適応していける場合には残り、適応できない場合には残らない。よく例えにあげられるキリンの首の話にしても、高い木の葉を食べるために首を伸ばそうとしてキリンの首が伸びたのではなく、首を形づくる遺伝子に偶然変異が入って首の長いキリンが出現した。そのキリンは、首の短いキリンに比べて高い木の葉を食べられる有利さを持つために、「首が長い」変異が定着した、となる。しかし変異が中立であり、様々な長さの首を持つキリンが生じてきた中で、現存するキリンが何らかの有利さを持って残ってきたとすれば、中間的な長さの首を持つキリンの化石などが発見されてもよいにもかかわらず、そのような化石はひとつも見つかっていないのはどういう訳だろうか?

 この問題を少し違った角度から考えてみよう。キリンの首は、たったひとつの遺伝子が変異を起こすことによって長さが変化したとは考えにくい。首を構成する組織が多種多様であることから、たったひとつの遺伝子がその全てを決定するとは考えにくいことがひとつの理由である。さらに、「生きものに多様性を与える」という視点で見た場合には単一遺伝子に変異が入る確率は決して低くない。したがって、首の長さを決める「物差し遺伝子」のようなものを仮定した場合、やはり多種多様な首の長さをもつキリンが現存しなければならない。これは、高い木の葉を食べられるキリンだけが生存するという自然淘汰の時間的なレベルをはるかに超えて変異が入る確率が高いのである。

 この前提に立てば、キリンの首を形づくるときにはかなり多数の遺伝子が密接に連携しながら協調して働いているはずである。ではここでひとつの遺伝子に変異が入った場合を考えてみよう。その他の遺伝子と今まで通りの関係性を維持できるのなら、その変異は残るであろう。しかし、この場合は間違いなく「沈黙の変異」である。すなわち、遺伝子としては突然変異を持ったが、結果としてその遺伝子は他の遺伝子達と協調して働き、首を作る訳で、そうした場合には遺伝子の変異は表現型として現われない。逆に、首を作る他の遺伝子たちと協調できない場合には、その変異は生き残ることはできない。なぜなら、他の遺伝子達は協調して首を作ろうと努力しているのに、ひとつの遺伝子がその関係の中に入ってこられないのだから、結果として首という構造を作ることができないこととなる。このように考えていくと、何かひとつの遺伝子に変異が入ることによって生きものの形そのものに大きな変化は起こりそうにない。このように、個体の表現型に影響を与え、その個体が自然選択を受けるよりもはるか以前に、遺伝子の変異は、周りの遺伝子との関係性、すなわち複数の遺伝子が織りなす「内部環境」によって選択を受けているのである。これを「内部淘汰」と呼ぶ。実際には、遺伝子の変異は内部環境による淘汰が最もきつく働いているのである。

 周りの環境とうち解けない変異が生き残る方法はある。周りの環境が変化して己の変異と協調できればよいのである。この場合には、周りの遺伝子がかなり変化しなければならないだろうから、結果としてそれまでのものとはほぼ完全に異なる新しい関係性が構築されるはずである。こうなれば、同じ「首」という構造を作るにしても、長さ・大きさ・形などで今までとは全く異なるものが生じても不思議ではない。ただし、問題は今までの内部環境に適応できない重大な変異を受け入れる新しい内部環境が成立するためには、多数の遺伝子に変異が入らなければならないのはもちろんだが、新たな変異は第一の変異を受け入れる形の変異でなくてはならず、その新たな変異をさらに受け入れる第三・第四の変異も起こらなければならない。そして最も重要なことは、この「変異」という現象はあくまでも確率論的には偶然に起こるのであるから、ひとつの重大な変異を受け入れられる新しい内部環境を構築することは絶望的に低い確率(サハラ砂漠に落とした一粒のごまを見つけるようなもの?)でしか起こりえない。これほど重大な変異を持つ生きものは、ほとんどの場合、まず間違いなく個体として発生できない。しかし、新しい内部環境の構築が起これば生きものの形は劇的に変化するであろう。しかも、変化前の形と変化後の形の間に中間系は存在しないし、そもそも中間系を形づくるためには全く別の内部環境が構築されなければならないために、見かけ上の中間系は決して「中間」ではあり得ない。

 このような新しい内部環境が成立するには全ての変異が一度に起こっても構わないが、その確率はもはや無限にゼロである。したがって、現在の内部環境では全く働けない変異が生きものの中にため込まれていくしか方法はない。さて、では全く働くことのできない変異が残ることは可能なのであろうか。生きものは、父親由来と母親由来のゲノムをひとつずつ、合わせて二つ、持っている。すなわち同じ遺伝子を二つ持っていることになる。ひとつの遺伝子に変異が入り、その変異が他の遺伝子達と協調して働けない場合にも、もう一つの遺伝子が正常であるのならその個体は生きものとして生き残ることができる。したがって、遺伝子の変異は、生きものの中に蓄えられるのである。たくさんの個体の中の様々な遺伝子に独立に生じた変異が、それぞれの個体の中に蓄えられ、子孫に伝えられ、交配を繰り返す間に混じり合い、偶然に全てが互いに補い合える変異がひとつの個体に集合したときに新しい内部環境は成立する。種の確立はこういった偶然性に大きく依存しているのではないだろうか。

 ここで注意すべき事は、新しい内部環境の成立はあくまでも偶然であるが、特定の変異を受け入れられる内部環境の存在自体は必然であると言うことである。重大な変異を受け入れられる内部環境の存在に関わる物理条件は、全て絶対にそれ以外であっては困るような値をとっている。これは決して偶然によるものではない。その内部環境が今ここに存在しているという事実が、それを偶然ではなく、必然のものとしているのである。

 ちょっと無茶な論理を展開した。他の可能性が考えられるところもたくさんある。でも、言葉遊びとして形の進化をこのように考えてみるのも楽しいものである。



[脳の形はどうやってできるのかラボ 研究員 橋本主税]

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