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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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心と手 ②

2019年10月1日

私たちにとって大事なのは「意味」であり「意味」を理解せずに判断し、答を出しているAIをあたかも意味がわかっている存在であるかのように捉えるのは間違っているという思いを先回書きました。意味を共有し合うことで心が通じるところに人間の人間らしさがあるわけです。この問題は考えるべきことがたくさんありますので、これからも考えることとして、「手」については何を言いたいのだろうと思っている方もいらっしゃるでしょうから、今回は手についてのイントロを書きます。

二足歩行をした結果、手が自由になったことが人間の特徴であるとは誰もが知っています。ところで、科学技術がつくりあげた近代文明は利便性に価値を置きます。利便性とは、速く、手を抜いて、思い通りにできることであり、身の回りの家電製品を眺めながらこの恩恵にどれだけ浴していることかと感謝します。ただ、時間の短縮、手抜き、思い通りはどれも生きものには合わない言葉です。一つ一つの説明はしませんが、日常を考えれば、時間がかかり、手がかかり、それでもなかなか思い通りにならないのが生きものであることはどなたも実感していらっしゃるでしょう。利便性に価値を置くと、「生きものらしさ」がマイナスと評価されることになり、手がかかることはマイナスの最たるものになります。けれども赤ちゃんにしても、草花にしても生きものは手をかけることに喜こびを感じるものではないでしょうか。そこにある「関わりの時間」はとても大切です。それが生きることだと思うくらいです。

そんな中で、「美学への招待」(佐々木健一著、中公新書)で興味深い指摘に出会いました。

人が手でものを作る時、標準的な目的の達成では満足できず、「手」がこれで「よし」とするまで進めることがあり、この「よし」となった時「美しい」となるというのでです。つまり美は「手の恵み」だということです。「カワイーイ」、「カッコイーイ」とは違って、「美」は手が納得した時に恵みとして生れるという見方は、とても魅力的です。手のもつ意味を考えさせられました。心が通じるとか美しいものをつくったり鑑賞したりするとか。心と手はつながって人間らしさを生み出しているのです。便利さに溺れて人間にとって大事なものを忘れてはいけないとつくづく思いました。

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