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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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宇宙は誰のものでもないのでは

2019年8月1日

101号に向けて「これから」を考えなければならないのですが、それはとても難しいと実感しています。100号で宇宙・地球・生命の長い歴史の中で「生きものである人間」として生きるという方向を出しました。これはあたりまえのことで、生命誌を始めた時と変わっていません。ただ私たちが日常暮らす社会が急速に変わっていますので、改めて「生きもの」を確認することは大事です。覇権を求めての競争ばかりが目立ち、皆でよりよい暮らしを考えましょうという発想が消えてしまったのはなぜでしょうか。さまざまな分野から「知」の低下を嘆く声が聞えてきます。その中で、チェックされずに流される情報で「誤った知識を持つ」ところから始まり、「積極的に間違っている」立場をとる人が出てきているという指摘が見られます。確かにそんな感じがします。

こうして覇権主義の横行に異を唱えずにいると、滅びの道を行くことになるかもしれないと少し心配で、そんな気持の一端を先日信濃毎日新聞に書きました。特定の地域でしかお読みいただけないと思い、同じ文を今回の「ちょっと一言」にします。「これから」をどうするか。こんな状況ですから難しいです。


【宇宙は誰のものでもない】

考えたいのは、宇宙は皆のものであり、誰のものでもなかろうというあたりまえのことである。

4月に「ブラックホールの撮影成功」のニュースが流れたことは記憶に新しい。ブラックホールとは「極めて高密度で強い重力を持つため、物質はもちろん光も脱出できない天体」であり、理論上存在するはずと言われても正直しろうとには理解が難しい。今回現実に画像が示されて少し身近になった。

世界各国の200人以上の科学者が、各地の望遠鏡をつないで地球規模の巨大望遠鏡として撮影したデータを、2年の歳月をかけて解析した結果、得られた画像である。なんと素晴らしい研究だろう。捉えたのは、太陽65億個分の質量を持つ超大質量ブラックホールであり、地球から5500万光年離れたおとめ座銀河団の中心に存在すると聞くと気が遠くなる。画像はそのシルエットなのだそうだ。本体を見ることはできるのだろうか。この先、何がわかってくるのかが楽しみで夢が膨らむ。

そして7月には、宇宙航空研究開発機構の研究チームが小惑星リュウグウに向けて送り出した探査機「はやぶさ2」が2回目の着陸に成功し、日本中が沸いた。採取した小惑星内部の石は、太陽系の惑星が生れた40億年以上前の状況を教えてくれるはずである。惑星のでき方、生命の起源などについての情報が得られることが期待される。これもさまざまな分野の研究者による長期間の協力があって得られた成果であり、心から応援したい。

宇宙に太陽系が生まれ、地球上に生命体が誕生し、そこから私たち人間が生まれたのだと考えると、宇宙と自分とのつながりが感じられ豊かな気持ちになる。しかも、現在進行形の宇宙研究は、どこかに生命体が存在する星を見つけようというところまで来ている。本当に生命体はいるのか、それはどのような生き方をしているのか。わくわくする。

一方、このところ宇宙へ向けてのおかしな動きがある。数年前、中国の習近平国家主席は「空と宇宙が一体化した強大な人民空軍の建設」を謳った。そして今年1月には、その動きの一つとして無人探査機を月の裏側に飛ばした。中継用の人工衛星を用いて世界で初めて月の裏側との通信を可能にしたのである。これは宇宙にある惑星の資源開発のため、月の植民地化を狙った技術開発だと言われる。

また、米国のトランプ大統領は「宇宙は陸・海・空と同様に戦闘の場である」と言っている。実際、米軍第6番目の部門として「宇宙軍」を創設し、「宇宙に米国の覇権を打ち立てなければならない」と言ったと聞くと、その幼児性にあきれる他ない。しかし、既に人工衛星を使ったGPS(衛星利用測位システム)によるミサイル誘導をイラクやアフガニスタンで実戦に用いており、その延長上で宇宙が戦闘の場としてより高度に利用されかねない。月の奪い合いも現実味を帯びていると言えよう。笑ってすませる状況ではない。

ここで思い起こすのが1959年に締結された「南極条約」である。南極地域の探検が行われ、いくつかの国が領土権を主張する中、科学者の間で国際共同研究の機運が高まった。1882年の国際観測キャンペーン「国際極年」をきっかけに南極での国際協力が促進され、何度もの話し合いが行われたのである。そして1959年、日本、米国、イギリス、ソ連(当時)などの12ヵ国が「南極条約」を締結した。現在では締約国は54ヵ国になり、積極的に活動している「協議国」は29ヵ国である。

そこには、①平和目的だけに利用(軍事基地の建設、軍事演習実施の禁止)②科学調査の自由と国際協力の推進 ③領土権主張の凍結 ④核実験禁止、放射線などを出すごみは捨てない ⑤条約を順守するための監視員制度 ─ などの約束事が盛り込まれている。近年では観光客の増加もあり、環境と生態系の包括的保護を目的とした議定書が91年に採択されている。

67年には宇宙利用の原則を定めた宇宙条約が発効したが、不備は明らかだ。南極条約の原点を見つめ直したい。宇宙も南極と同じ、いやそれ以上に誰のものでもない。科学者が「宇宙は協力の場であり、権利を主張する場ではない」「もちろんそこは平和目的だけに利用されるべき場である」という提言をする時ではないだろうか。

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