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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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コロンとしたわたし

2018年6月15日

工藤直子さん。おんなの子代表みたいな人です。詩人ですが、代表作は「のはらうた」。毎年それで作ったカレンダーをいただきます。今開いている6月は、

かたつむりのゆめ
  かたつむり でんきち

あのね ぼく
ゆめのなかでは、ね
ひかりのように はやく
はしるんだよ

その直子さんが谷川俊太郎さんと出した近刊の「ふわふわ」で、「子どものころから奥のほうにコロンとしたわたしがいて変わっていない気がします」と言っています。

これで思い出しました。以前多田富雄さん、養老孟司さんとお話し合いをした時に、お二人が今の自分と子どもの頃の自分は違うとおっしゃったのです。子どもの頃の写真を見てもちっとも自分のような気がしない。えっ違うでしょと思いました。「ずーっと私は私ですよ」とかなり頑張りました。でも二人共どうしてもそうだねという顔をしてくれません。そこで「女の人は存在で、男は現象ということですかね」ということになったのでした。

直子さんの言葉を見て、私と同じだと思いました。まさに存在です。これって大事なことではないかしらと思っています。最近あれこれ考えている「ふつうのおんなの子」は直子さんおっしゃるところの「コロンとしたわたし」なのだと気づきました。生きものとして続いていくことを大切にする気持とつながることです。これからますます大事になることだと思います。

もちろん男の人の中にもこの気持を持っている人はいると思っているのですけれど。

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