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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【和え物、お好きですか】

2011.5.16 

中村桂子館長
  ついこの間まで無縁社会と言われていたのがふしぎなくらい、絆のすばらしさが見えています。小泉政権下、竹中蔵相が主体となって進めた「市場原理に従う新自由主義」にどうしてもなじめずにきましたが、やはり日本の社会は本質的にはそうではないことがわかってホッとしています。グローバルというかけ声で5年以上かけて作られたものが急に変わるのは難しいでしょうが、人間に眼を向け、「他者への配慮」を基本にした方が暮らしやすいですよね。
 ところで、「季刊生命誌」では毎年のテーマを動詞できめてきました。「生命」というように名詞にすると、そこで思考停止になりがちですが、「生きている」という動詞なら食べたり、働いたりの具体が見えてくることに気づいたからです。「愛づる、語る、観る、関わる、生る、続く、めぐる、編む」。生きもののもつ性質、生きものに向き合う時の気持などを考えての選択です。さて今年は何にしようか。さまざまな候補から結局「遊ぶ」ときめました。この危急存亡の時に何をと言われそうですが、それだからこそという気持であえて選んだので、その気持は次回書きます。
 今回は、使わなかった言葉についての思いを少々、「和」です。「和」は、新自由主義では評判が悪いのですが、とても深い、とくに日本人にとっては大事な言葉です。そこでこれの動詞はと調べると、「和(やわ)らぐ」「和(なご) む」「和(あ)える」が出てきました。「和える」・・・ここでふと思いつきました。よく、アメリカ、とくにニューヨークを「サラダボール」に例えます。トマト、キュウリ、レタス、ピーマン、アスパラガス・・・一つの器に色とりどりの野菜が入っています。でもサラダの場合、トマトはトマト、キュウリはキュウリと別々です。それに対して日本は「 白和(しらあ)え」かなと思ったのです。ホウレンソウの白和えでは、ゴマ、豆腐、ホウレンソウが一体化しながらもそれぞれの味が生きています。これぞ望む姿、「和える」で行こう。一時はそう思ったのですが、どうしても小鉢に入った和え物が頭に浮かぶので、残念ながら一時お蔵入りとなりました。でもサラダと白和えの対比、なかなかよくありませんか。捨て切れずにいます。お考えお聞かせ下さい。

 【中村桂子】


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