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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【節度のある生き方】

2008.8.15 

中村桂子館長
 シャーシャーシャーシャーシャーシャー。声に出して読んで下さい。クマゼミです。前にも書きましたが、関西で仕事をするようになって初めての夏、なんてうるさいんだろうとびっくりしました。東京にはこのセミはいませんから。どんなセミなんだろう。首が痛くなるのを我慢して見上げ、やっと見つけたセミの大きさにまたびっくりしました。そして、今年、クマゼミの実物を初めて手にしました。カラカラになったセミが道に落ちていたのです。手にのせるとセミとは思えないほど重量感がある胴体に、これ以上薄くはなれないほど薄く透き通った翅という思いがけない組み合わせです。これがあの声の主かと改めてしみじみ眺めました。それにしても去年までは落ちているセミは見ませんでした。今年は、朝、研究館の前の桜並木で必ず落ちたセミに出会います。最近おかしなことが多すぎて、あまり異変を言い立てる気持になれないのですが、元気に鳴いているはずのセミが落ちているのはやはりおかしいですね。ある会合でこの話をしましたら、京都の方が「毎日玄関の前にクマゼミが落ちている。こんなことは今までなかった」と同じ体験を知らせて下さいました。セミも熱中症というわけでしょうか。
 それにしても、最近は何かと言えば地球温暖化・・・そこでは、大変だという話と、そんなことを騒ぐのはと茶化し気味の話とが混じり合っています。それを見ていて、どちらも本質からはずれているような気がするのです。必要なのは、「地球という星に暮らす生きものとしての節度を守った生き方をすること」でしょう。日本の文化にはそのような生き方が洗練された形で積み重ねられてきているので、今でも地方へ行くと、そういうものが生かされた気持のよい人々の暮らしがあり、地域社会があります。
 それなのに中央の人々は、そこを過疎地域、高齢・少子社会と位置づけて、時に限界集落と呼び切り捨てています。最近、最も恐ろしいと思うのは、そういう地域の小学校を廃校にしていることです。子どもたちは地域の未来を象徴しているわけで、学校をなくすのは地域から未来を奪うことになります。主人のヨット仲間で時間が自由になったので日本中の島巡りをしている友人が島で学校を訪ねているのですが、どこでも「学校だけは守りたい。学校がなくなれば急速にさびれる」と言っているとのことです。こういうことを一つ一つていねいに考えていくことが大切なのに・・・。実は最近は私も都会を避け、すてきな生活のある地方を訪れるのを楽しみにしています。そこでの体験は次回に書こうと思います。セミも子どもも生き生き暮らせるようにと願って。

補足 セミについてもう一言。東京の家では、朝のまだ涼しいうちはカナカナとツクツクボウシ、暑くなるとアブラゼミとミンミンゼミの声がします。このような一応のすみ分けはありますが、一斉の登場です。カナカナが鳴き始めると夏の終わりかなと思ったような気がするのですが。新聞に、今年はセミが少ないとありましたが、私の家では、元気な声が聞こえています。皆さまの実感をお知らせ下さいませんか。


 【中村桂子】


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