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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【水色のペンキ】

2008.5.15 

中村桂子館長
 連休は、混雑する乗り物を避け、家で仕事をして過ごしました。必要なことはメールでやりとりできるので、館長室のデスクにいるのとあまり変わらず仕事を進められるのはありがたいことです(ありがたい一面、全面解放の時間がないということにもなるのですが)。
 幸いお天気がよかったので、休日は冬物の整理、庭の手入れと例年通り。こういう作業をしているとあっという間に日が過ぎていきますね。今年はハチが分蜂せず、初めて鈴なりになって楽しみにしていたサクランボは二つを残してすべて鳥さんに食べられました。残った二つを、ゆっくり味わってみたら、ちょっと酸っぱいけれどおいしかったので、残念! です。実は鳥さんと取り引きをしようとひまわりの種などがたくさん入った「野鳥の餌」を買ってきて餌台を作ったのに、そちらは全然減っていません。作戦は失敗でしたが、懸案だった原稿も書けましたし、まあ順調に過ぎたゴールデンウィークでしたとのんびり構えていましたが、考えてみたらこの間には憲法記念日や子供の日など大事な日があるのでした。
 そこで、自分で考える代わりに(あくまでもさぼりスタイル)、東京新聞に載っていた井上ひさしさんの興味深い話をちょっと紹介します。第二次世界大戦後、南極を我が領土だと主張する国々に対して、日本が話し合いをしようと提案し、'59年に南極条約ができました。力でなく話し合いで解決しようという根拠は、日本国憲法だったのだそうです。「領土権は凍結する。人類の共有財産とし、軍事基地はだめ、核の持ち込みも禁じ、活動は調査研究に限る」という内容です。この非核の流れは、宇宙条約('66年)、中南米('68年)、海底('71年)、南太平洋('85年)、東南アジア('95年)、アフリカ('95年)と広がっているのだそうです。こんなに次々と条約ができていたとは知りませんでした。地球儀の非核地域を水色のペンキで塗ると、南半球、海底、宇宙は水色一色、塗れないのは北半球だと井上さんは指摘します。そして、「私は今日も水色のペンキの入ったバケツを下げて生きている」とまとめています。いつも水色のバケツを下げているってちょっといいですね。私もそうしようと思います。できることならどこかを塗らせて欲しいなあ。


 【中村桂子】


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