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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【いまをいきいきと生きよう“Let's be alive”】

2005.10.17 

中村桂子館長
 もう少し「生命」の周囲をウロウロさせて下さい。イバン・イリイチがとても興味深いことを語っています。「生命」は「アメーバことば」だというのです。イリイチの学生の一人(哲学と医学を勉強していた)が「生命」という言葉の使われ方を調べました。さまざまな言語(ヨーロッパなのでドイツ語、フランス語、イタリア語、英語など)で、広告、議会、教会の中で「生命」がどう使われているか。それを見てイリイチは、生命は「アメーバことば」だと思ったというのです。学生さんの成果は書いてありませんが、なんとなく想像がつきませんか。実は、これはすでにぺルクゼンというフライブルク大学の言語学、歴史学の教授が「Plastic words, プラスチックつまり可塑的ことば」という概念を出しているのだそうで、それをもっと実感的に表現するために「プラスチック」の代りに「アメーバ」をもってきたということです。ぺルクゼンは、プラスチックことばを厳密に定義しているとのこと、その原文を見ていないので、きちんとしたことは言えませんが、イリイチの説明にはこうあります。
 「池の中に投げられた小石のように水面を波立たせはするけれど、それだけでどこにも命中しない、つまりたくさんの含意を有しながらも正確には何も意味しないもの」。もっとも、ぺルクゼンは「生命」をプラスチックことばとはしていなかったようであり、必ずしもイリイチに賛同はしなかったようですが、今の状況の中で考えるとイリイチの言うことがあたっているような気がします。
 これは彼がインタビューに答えた「生きる意味」(藤原書店)にある話で、その後に次のような言葉があります。経歴も背景もまったく違うので、すべてその通りとは言いませんが、ある面、私が動詞で考えたいと思っている気持と重なっているところがあるように思い、引用します。

「明日というものはあるでしょう。しかし、われわれが何かを言えるような、あるいは、何らかの力を発揮できるような未来というものは存在しないのです。われわれは徹底的に無力です。われわれは、芽生えはじめた他者との友情をさらに拡大していく道を探ろうとして、対話をおこなっています。
 それゆえにわたしは、(人びとに)いまをいきいきと生きよう“Let's be alive”と呼びかけます。あらゆる痛みや災いを抱えつつ、この瞬間に生かされてあることを心から祝福し、そのことを自覚的かつ儀礼的に、また率直に楽しもうと呼びかけるのです。わたしには、そのようにして生きることが、絶望やあの非常に邪悪な種類の宗教心に対する解毒剤になると思われるのです。」

P.S. 京都国際会議場でのシンポジウムの始まる前、ロビーの女性に声をかけられました。高槻の方だとのこと。小さい頃生命誌研究館へ一緒に通っていたお嬢さんが、北大の農学部に入学なさり、同級生から高槻にはBRHがあって羨ましいと言われて鼻が高かったと知らせてきて下さったとか。こういう話はとても嬉しいことです。BRHが刺激になって農学部に進学。これからが楽しみです。

 
 
 【中村桂子】


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