中村桂子のちょっと一言
館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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2003.3.15 

【ついこの間まではないも同然だったDNA】
 
中村桂子館長
 前回からの続きです。50年前と今。DNAという存在はずいぶん変わりました。と言ってもDNAそのものは、40億年近く変わらずに存在し続けてきたわけで、この50年間で何も変わってはいません。それを見る人間の眼が変わっただけのことです。
 簡単に歴史を追います。生物の中に核酸という物質があることがわかったのが19世紀終り。ドイツのミシャーが外科病院のほうたいについていたうみ(白血球)から酸性の物質(核の中にある酸性の物質なので核酸)をとります。それがアデニン(A)、チミン(T)、シトシン(C)、グアニン(G)、ウラシル(U)という塩基を持っていることを明らかにしたドイツ人コッセル(Kossel)は1910年のノーベル賞を受賞しています。このあたりからDNAが遺伝子の候補の一つとなります(タンパク質の方がよく知られており、大事と思われていましたし、複雑なので、こちらを遺伝子候補と思っている人の方が多かったのですが)。そして、二つの実験がDNAが遺伝子ということを証明します。細かな紹介はしませんが、1952年ハーシーらが行ったのは、大腸菌に感染するウイルス(ウイルスはDNAとそれを包むタンパク質の殻しかありません)を用いて、大腸菌の中に入るのはDNAだけだということの証明でした。これでDNAこそ遺伝子とわかり、1953年のワトソンとクリックによる二重らせん構造の発見が決定打となります。
 DNAは、私たちの体の中にありますけれど、100年前までは、誰もその存在を気にもしなかったのです。ある時、そういう物質のあることがわかり、ほんの少数の研究者がそれに興味をもちました。DNAに関心を持っていた人は、世界中で何人かなという程度のことだったと思います。これが遺伝子の本体とわかってからはそれに関心をもつ研究者の数はふえますが、でも、数百人程度だったのではないでしょうか。二重らせん構造の発見で、関心はぐんと高まりはしますが、それでも大した人数ではありません。
 因みに1945年までは第二次大戦で日本には海外からの科学情報がほとんど入ってきませんでした(軍の特別のところにしか)。そこで戦後、アメリカから入ってきた文献をいっしょうけんめい読んで、核酸というものがあるらしいと気づいて関心をもった二人の日本人として有名なのが渡辺格、柴谷篤弘の両先生です。図書室で、どうも同じ物質に関心のある人がいるらしいとそっとメモを交わしたとか。DNAの二重らせんの発表を見て、“スゴイコトだ”と思った日本人は、何人だったでしょうか。
 それから50年、研究者の数はふえた・・・と言っても、分子生物学会の会員は、500人程度でした。1980年代、バイオテクノロジーが生れて役に立つかもしれないとわかるまでは小さな小さなグループの研究対象であり、教科書にのることもなく、ほとんど世に知られることはなかったと言ってよいでしょう。生命科学の研究者で、1970年頃大学生だった人の中にDNAを教えてもらわなかったと言っている人もいるほどです。つまり、ほとんどの人にとっては、DNAは自分の体の中にありながら、ないも同然のものだったわけです。

 科学は、この世に存在しながら、誰も気づかなかったものを発見してその存在を知らせます。電磁波だってそうです。昨年のノーベル物理学賞の対象になったニュートリノもそうです。確かに存在するものだけれど、それを捉える工夫をして証明しなければ、あるとは言えません。そのようにして科学は身のまわりにあるものを気づかせてくれるわけですが、DNAはその中でもちょっと特別かもしれません。なにしろ周囲ではなく自分の中にあるのですから。Scientific Americanというアメリカの科学雑誌の記者が二重らせん構造の発見者であるワトソンへのインタビューで「DNAはもう科学的存在を越えて文化になり、日常会話や芸術にも登場しますからね」と言っています。気がついたとたんに皆の関心が高まり、また広まったのです。

 作家の日野啓三さんが、著書の中でこの間の変化を実感として語っています。日野さんは、現代生物学に強い関心を示し、よく考えていた貴重な方でした(昨年亡くなってしまったのが残念です)。
 日野さんが渡辺格先生にインタビューした「DNAが私たちの体を作り、動かす基本物質である」という記事が出たら、とんでもないことを言う奴だということで批難の電話や手紙がたくさんきたのだそうです。人間が物質のはたらきで動いているなんてとんでもないということだったわけです。(私もこういうお叱りの手紙を受けたことが何度もありました。)
 それが今や専門外の人がDNAが好きかなと思ってしまうこともあるくらい、DNAはまさに文化となりつつあります。今日も京都放送の「京都のDNA」という番組からFAXが来ました。京都在住の人が語るトーク番組らしいのですが、なぜかDNAとあります。「○○のDNA」という例をあげていたらキリがありません。そこで、この50年間の研究の結果わかってきたDNA像と「○○のDNA」がうまく重なれば、メデタシメデタシですが、そうはいかないところが、研究側としてはしんどいところです。生命誌研究館の仕事は、これをメデタシメデタシにすることだと言ってもよいかもしれません。
 このホームページの中をあちこち歩いてみると、少しずつ重なりが見えてくるはずなので、時々、のぞいて下さい。

 次回は、どんなところがずれてしまうかという本番です。

【中村桂子】


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