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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【脳の生命誌-(Ⅰ)-】

 明けても暮れても生命誌。十年一日の如く生命誌(この言葉をつくってからもう12年もたちましたからまさにそうです)。外から見たら、そう見えるでしょう。もちろんその通りなのですが、でも、この中でどんなところに関心をもつか、どういう切り口で考えるかという変化はたくさんあり、その変化を楽しんでいます。ゲノムはもちろんのこと、先回の館内セミナーではアメリカシロヒトリの話を聞きましたし、研究館グッズのことを考えるのも、日常の一つになっています。
 その中で、このところ「脳」が一つのテーマです。というのも、鳥居さんが中心になって「脳の生命誌-仮説を楽しむ」という展示企画を進めてきたからです(6月5日から始まります)。鳥居さんがあちこち走りまわって実物の脳の標本を集め、それを基本に、まだ本格的研究にまで入っていないといった方がよいかもしれない脳の進化というテーマに取り組んでくれました。それを手伝いながら、いろいろ勉強できて面白かったのですが、一面「脳」ってわかりにくいなあという気持は相変わらずでした。相変わらずというのは、私にとって脳研究が身近なものになったのは1970年、つまり30年も前のことだからです。江上不二夫先生が生命科学研究の構想をお立てになった時です。この構想については、これまでにもいろいろなところで紹介してきましたので、詳細は省きますが、その中に「脳」が入っていました。今では、生命科学研究の一つとして脳研究を考えるのはあたりまえになっています。でも、アメリカが「脳の10年」と言って、この分野に力を入れようと唱えたのは1990年代のことです。1968年コールド・スプリング・ハーバー研究所の所長になったDNA二重らせん構造の発見者J.Dワトソンが、これからの生物学研究で重要なのは「脳」だと言い始めたのも江上先生より後でした。
 つまり、1970年に「脳」に注目したのは非常に早く、先生の先見の明に今更ながら感服します。私はそれまで脳の研究にはまったく縁がなかったので、脳研究の話を直接聞いたのはその時が初めてでした。とても面白いと思いました。身近に研究者がいる状態で実験の現場に接しいろいろ教えてもらうことを楽しんできました。でも、実は今になっても脳研究って何なのだろうということがよくわからないのです。脳内時計を知るとか、記憶について研究するとか、個別の研究の目的はよくわかりますし、成果も魅力的です。ただ脳がわかるというのはどういうことなのか。そこのところが私なりに考えられるとよいなと思うのにそれができません。「脳の生命誌」展を機会にそれを考えています。長くなりましたので次回に。

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