生命誌の広場

みなさんからのご意見

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ライフ・エコノミストを目指して

投稿日:2017.04.06 名前:福田豊子

中村桂子先生
初めてメール差し上げます。今年2月、多摩パルテノンでの映画とご講演を拝見する機会があり、大きな感銘を受けました。私は、20年近く家庭科教育に携わる中で、ホーム・エコノミクスをライフ・エコノミクスに進化させる使命を痛感するようになってきました。教育活動とともに、理論の研究にも目標を見出しています。先生の哲学と実践を指針とさせていただきたく、今後とも「生命誌(biohistory)」を学んでいくつもりです。

お返事

投稿日:2017.04.07 名前:中村桂子館長

ありがとうございます。是非この欄に書き込んで下さい。お返事できることはいたしますので。よろしくお願いいたします。

今回いただいたお返事の件

投稿日:2017.04.02 ニックネーム:コモン

今回お返事いただきありがとうございました。「ああ、やはりそうだったんだ」と、長年疑問に思っていたことへの解答を明快にいただき、うれしく思いました。障害者への偏見や差別が、全く的を得ていないことや、生きとし生ける者への畏敬の念の足りなさを科学の光で照らしていただけたなという思いで、明るい気持ちにさせていただけたことを深く感謝します。
いただいた「障害を持って産まれる」へのお返事を、私が参加しているフェイスブック等へ転載させていただくことは可能でしょうか。福祉に生きる支援者たちの多くは、共に生きるといいながら、どこかその根拠の不確かさに不安を持つことがあると思います。しかし生命誌からの帰結は、そこに当たり前の根拠をいただけたと言えます。 今回の「障害のこと、おっしゃっているように遺伝子レベルでの変異は誰にも起きています。それが現代社会での生活に不便を起こさないことであったり、大きな変化を起こさない時は障害とされずにいるだけです。この大きさのゲノムで生きている以上、これは避けられません。ですから生命誌の中では健常者と障害者は連続した存在であり、障害を否定するとヒトという生きものが存在できなくなります。生存が不可能な状況の時は生れて来られないのであり、生れてきたということは人間として生きることを保証されたということですから、ここからも障害者を区別する発想は出てきません。生命誌の「人間は生きものである」というあたりまえの考え方は、普通に生きることを支えると思っています。
人間について書きましたことは他の生きものでも同じですが、ただ障害を持つ個体と共に生きるという価値観は人間が持つ大切な考え方だと思います。」との内容は、福祉関係者にとっては、とても意義や価値のあるお返事だと思っています。

お返事

投稿日:2017.04.03 名前:中村桂子館長

こちらこそありがとうございます。
「生命誌の広場」からの転載であることを明記して下されば大丈夫だと思います。
皆さまにもこの広場に御意見を書いていただけるとありがたく思います。

障害をもって産まれるということ

投稿日:2017.03.28 ニックネーム:コモン

初めまして。名古屋での講演ありがとうございました。新聞紙上にてコラム等でお目にかかるのみでしたが、今回のお姿から、謙虚でかつ情熱家であることは、お会いできてなるほどと察せられました。 さて私は、30有余年、障害者の施設スタッフとして、先天性の障害を持たれた多くの方と暮らしを共にしてきたり、ここ数年は、地域に暮らす何らかの障害を持たれた方の日常生活の相談支援を仕事としてきたりしています。(また同時に我が家の第一子は、心臓に先天性の奇形があり、とても心配しながら育ててきました。2度の手術を乗り越え、無事に出産もしてくれ、頭の下がらぬ時はありません。)施設で共に暮らす中で、それまで傲り生きる私の人生観を見事に覆してくださった彼らの生きざま。そしてわが子。 ただ日本のどの地域であっても、人口比で数パーセントに障害をお持ちの方があり、苦労されながら地域に暮らされていると思います。生命誌の観点からは、この数パーセントの意義をどう考えるものでしょうか。 障害の世界では、スペクトラムという表現があります。私の想像にすぎませんが、もしかして遺伝子レベルでは、微細な変異は、誰にでも起こっており、ただ発現までに至らず。知らぬは本人ばかりなり、ということはないのでしょうか。植物界や生物界ではどうなのでしょうか。あるとしたら、その意義についてお考えをお聞かせください。

お返事

投稿日:2017.03.31 名前:中村桂子館長

長い間施設でお仕事をなさっていらっしゃるとのこと、そこで学ばれ、お考えになることがたくさんおありのことと思います。障害のこと、おっしゃっているように遺伝子レベルでの変異は誰にも起きています。それが現代社会での生活に不便を起こさないことであったり、大きな変化を起こさない時は障害とされずにいるだけです。この大きさのゲノムで生きている以上、これは避けられません。ですから生命誌の中では健常者と障害者は連続した存在であり、障害を否定するとヒトという生きものが存在できなくなります。生存が不可能な状況の時は生れて来られないのであり、生れてきたということは人間として生きることを保証されたということですから、ここからも障害者を区別する発想は出てきません。生命誌の「人間は生きものである」というあたりまえの考え方は、普通に生きることを支えると思っています。
人間について書きましたことは他の生きものでも同じですが、ただ障害を持つ個体と共に生きるという価値観は人間が持つ大切な考え方だと思います。

ありがとうございました。

投稿日:2017.03.19 名前:あすか

名古屋での講演会に参加させて頂きました。
ありがとうございました。
化学というともっと無機質なイメージがありましたが、生命誌という考えに触れて、なんて豊かな知だろうと感じました。

子供の頃、食べ物は生き物で、私たちはもらわないと生きられないこと、じゃあ自分が生きるってなんなんだろう? 他の生きたいと思う生き物を食べないと生きられない自分の命ってなんなのだろう? と戸惑いながら思っていたことを思い出しました。

また田舎に住んでいましたので、家の前が小さな森で、池もあったのですが、ある日池が埋め立てられ、木々も切られて切り開かれたとき、とても悲しいと同時に「ああ、人の生活はこうしてなりたってきたんだなあ」「ここに住んでいたりすやたくさんの生き物たちはどこへ行くんだろう?」ととても強く思ったことも思い出しました。
理屈でなく自分の胸や体が痛い、それは毎日のようにそこで遊んでいて、木々も動物も池もカエルも全部繋がっているように感じていたから。
罪悪感や悲しみを感じすぎるのも違うと思うのですが…。
本来人はそういう感覚ー自分と世界がつながっていて、みんなが全体の一部ーを持っているように感じます。

「わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電流の
ひとつの青い照明です
(あらゆる幽霊の透明な複合体)

風景やみんなといっしょに せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の ひとつの青い照明です」
(宮澤賢治「春と修羅」)

私のなかで、生命誌はこのイメージです。
それは小さな私にとって、とっても大事なものだった。
またそういうことのためになにができるか、ゆっくり考えていきたいと思います。
とても良い機会を与えてくださってありがとうございました。

お返事

投稿日:2017.03.21 名前:中村桂子館長

メールありがとうございます。
お小さい頃からの生きものへの実感、私も共有することばかりです。「理屈でなく胸や体が痛い」という感覚を私は「生きもの感覚」と呼んでいます。小さな頃に生きものに接していないとこの感覚が失なわれるので、子どもは自然の中でと思うのです。あげて下さった宮沢賢治の詩はちょっとわからない感じも含めて、私も好きです。これからも感じられたことを書き込んで下さい。

お礼とお願い

投稿日:2017.02.27 名前:岩崎 史郎

私は2月25日多摩パルテノンで先生の映画とトークを拝見拝聴した者です。映画では先生の幅広いご活躍に驚きましたが、トークでは遥かに驚きました。壇上でお話しされる先生の何と輝いておられたことか!テレビや今回の映画で、先生のお顔・お話は拝見拝聴しておりましたが、初めて直に接する先生は生き生きと輝き、先生の表情・お話ぶりに、私はため息まじりでございました。テレビ映画では先生の生き生きとした輝きがあまりにも少ししか出ていないと感じました。

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