生命誌の広場

みなさんからのご意見

中村桂子のちょっと一言

「人間は生きもの」について考える

投稿日:2018.12.23 ニックネーム:ミッキー

人間はいきものなのは当たり前だという意識が強すぎて思考が停止します。そこで人間はどんな生きものなのかという観点で考えました。

歴史上、近代化以前の人間は「心を持った生きもの」だったと思います。しかし、ルネサンスや産業革命の時代になるにつれて、人間は次第に心を持った生きものではなくなってきたようです。17〜18世紀デカルトやガリレオの時代に心身二元論(心と体は別のものである)や人間機械論が提唱されました。また当時は、精神や魂については教会が独占していたという背景があります。そのころから科学者は研究対象の人間や生きものは心のない機械だとみなし始めたそうです。この考え方は、日本でも江戸時代後期の解体新書の腑分けのころから広がり始めたと思います。この「心と体は別のもの」という意識は、次第に社会全体に浸透し、今では私たちの“常識”になっています。しかし、この盲目的に信じている“常識”が本当に正しいのかどうか、もう一度考え直してみる必要があると思いました。

いま気になっている社会現象があります。情報化社会の進化に伴って企業のIT化が進み、企業は顧客を「住所、氏名、年齢、メールアドレス、購買履歴/嗜好・・・」などの「データ」だと見るようになってきています。企業が顧客を扱うには、上記のような「パーソナルデータ」があれば十分だからです。人の個性(心)を表す「思いや志、性格や気持ち」などは、企業にとってはどうでもいいことなのです。つまり、個々人はネット上で「心」のない「パーソナルデータ」として(のみ)企業や社会(政府)から認知される時代になりつつあると思います。人間が、人間を心を持たない生きものとみなし始めているということでしょうか。ちなみに、「情報銀行」という構想が総務省などの主導で進められているそうです。個人の同意の元に膨大な個人情報をビッグデータとして集め、利用できるようにしようとしているそうです。

さらに、人間は自ら進んでネット上の仮想の世界に入り込もうとしています。その結果、今年WHOが病気と認定したスマホ依存症やネットゲーム中毒が蔓延しています。また、ネット上の仮想キャラクターに心酔し、現実世界から逃避して自らも仮想世界に入り込もうとする人もいます。これは、硬貨という「物質」がネット上の仮想通貨と呼ばれる「データ」になるのとよく似ています。しかし硬貨と違い人間は、やがて現実と仮想世界との亀裂に引き裂かれることになりかねません。人間はいったいどこに行くのだろうか?と考えてしまいます。

人間が創り出す社会の進歩は素晴らしいものですが、それが人間を不幸にしては本末転倒です。その背景には、現代の人間社会の中には、心身二元論や人間機械論の形骸が無意識の常識として染み込んでいるからではないかと思います。「人間は生きものであり自然の一部である」という生命誌の意識が、現代には必要だと思います。

追伸:最近お仲間が増えているようで楽しみです。来年もよろしくお願いいたします。

お返事

投稿日:2018.12.25 名前:中村桂子館長

「人間は生きもの」はあたりまえとおっしゃるのはその通りですが、現実社会はおっしゃるように生きものでなくなる方向へ進んでいますね。生身でなく情報になってしまうこと、大丈夫かなあと気になります。
私たちはこれが気になるのですが、恐らく情報化が進み、スマホと共に育ってきた世代は気にならないのだろうと思います。私など、そのことが気になってしまって・・・。
じっくり考えるしかないと今年はこれを考えます。お仲間になっていただき本当にありがとうございます。

1件中 1 - 1件目

考えをお聞かせ下さい。

ご意見はこちら

過去の書き込み

ページの先頭へ