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年度ごとのご挨拶(中村桂子館長)

2019年

2019年が始まりました。昨年館の全員(除:館長・顧問)で「BRH将来ビジョンプロジェクト」を立ち上げ、議論をまとめました。まだ中間報告ですが、今年から少しづつ具体化を求めていくことになると思います。「人間は生きものであり、自然の一部である」というあたりまえのことがあたりまえと言っているだけではすまなくなってきています。AI(人工知能)が人間を超えるなどと安易に言うのは止めなければなりませんが、生活のすべてがコンピュータ化されたところに生れ落ちた赤ちゃんは生きものとして生きることになるのかどうか。どこにも答はありません。でも生命誌としては考えないわけにはいきません。

季刊「生命誌」が100号になります。今年はこれまでをふり返り、これからを考えていく年になるでしょう。そこで大事なのはやはり人間について考えることです。昨年書いた『「ふつうのおんなの子」のちから 』(集英社)は、題名は生命誌と無関係に見えますが、上に書いた事柄を考えた結果出てきた、私にとっては大事な視点です。今年も「ふつう」を大事にしたいと思います。

そこで今年はテーマを特定しないことにしました。動詞で考えるという基本を大切に、これまでのテーマを思い返し、また新しいものを探す旅の年にしようと思います。現在の社会のありよう、学問のありように眼を向けて今大事なことは何かを考えていきます。とくに昨年、一昨年の「容」と「和」を巡ってはたくさん考えなければならないと思っています。

今年もBRHの活動に関心を持ち、さまざまな形で参加して下さいますよう、よろしくお願いいたします。

2018年

2018年が始まりました。BRHは1993年創立ですから今年が25周年になります。特別の行事は考えていませんが、これまでの歴史を踏まえて新しい展開を考えるところにきていると思っています。館のメンバー全員が今大事なことは何であるかを考えて、自分のBRHをつくっていく挑戦の年にしたいと思います。

「人間は生きものであり、自然の一部である」。とてもあたりまえのことですが、これをよく考えることがこれまで以上に大切になっていると思うのです。

たとえば、これからはAI(人工知能)の時代だと言われます。時にはAIが人間を超えるという人さえいます。でも生きもの研究の立場からすると、「人間とはなにか」というのはとても大きなテーマでわからないことだらけです。どうしたらこのわからないものを超えたことになるのだろうと考え込みます。

たとえば戦争です。戦争をするのがあたりまえであり、日本もあたりまえの国になろうと言われます。人間という生きものは戦争をするのがあたりまえにできているのかどうか。よく考えてみなければなりません。最近、類人猿や絶滅した人類との比較から、私たちの祖先はとても穏かな存在だったとも言われ始めています。

とにかく、「人間」をもっとよく知らなければなりません。技術も政治も急がずに、慎重に考えるところから始めて欲しいと思います。

今年のテーマは「容」です。いれる、ゆるす。生きものは大きな容れものと考えることもできます。社会としては寛容こそ今大切であると思っています。排除でなく。

今年もよろしくお願いいたします。

2017年

2017年、平成で言うなら29年、干支は丁酉(ひのととり)です。同じ丁酉である60年前の出来事として、東京通信工業(ソニーの前身)が世界最小のトランジスターラジオを発売、糸川教授(東大)が国産ロケットを発射、東海村で原子炉が臨界、などが並びます。まさに科学技術時代の幕開けという感じです。それから一巡りの間の社会の変化にはめまぐるしいものがありました。しかし、それぞれの分野の今をどう評価するかは難しいところです。60年後に今年の出来事として何が書かれるのでしょうか。

昨年に続き、相変らずイノベーションの声は高いのですが、それを唱えている人たちがどのような社会を求めているのかイメージがわきません。技術開発の先に落ち着いた暮らしがあるようには思えないのが気になります。誰もが和やかに毎日を生きる社会であって欲しい。そう思うと、びっくりするようなイノベーションよりも小さな生きものに眼を向け、そこから学ぶ姿勢の方がその実現に近いのではないかと思えます。コツコツ地道に仕事をしながら、その中に新しい動きを少しづつ積み上げる活動をしていく場でありたいと思います。

今年は、和む、和らぐ、和える・・・つまり和を巡る動詞で考えます。ここには日本の自然を基本にした日本の文化が生かされます。それが、平和な世界につながることを願っての選択です。今年はこれまで以上に皆さまの参加をお待ちする気持です。皆で考えなければ普通に暮らすことが難しくなりそうな気がするからです。とにかく考え、提案をしていくことが大事です。よろしくお願いいたします。

2016年

生きものには変わるところと変わらないところがあり、その絶妙な組み合わせで日々の営みが行なわれています。私たちの生活も同じであり、新しい年の始まりは、何か変わることを探し、今年こそはと考える時とされます。

そこで今年は・・・そう考えた時に、これまでと変わらずに続けるという選択が大事という気持になりました。社会が挑戦とかイノベーションと大声で変化を求めているその方向には、戦争や格差など好ましくないものが見えるからです。

じっくりと毎日を生きることを大切にしたい。しかもそれは地球に暮らすすべての人の毎日であり、更にはすべての生きものの日々であるのが、生命誌が「変わらずに求めていること」です。コツコツ仕事をすることを得意とする仲間の小さな集まりですが、基本姿勢を変えないことで、存在感を出して行きたいと思います。

今年の動詞は「揺らぐ」です。基本姿勢を変えないことが大事という気持が選ばせた言葉です。というのは、変わらないためには硬直していてはダメで、揺らぎのあることが重要であると、これまでの生物研究が教えてくれているからです。挑戦という大声は、変化を求めているようでありながら揺らぎを内包する余裕を持っていません。

相変わらずの生命誌研究館ですが、その中に何か新しい芽生えがあるようにと願っています。今年もよろしくお願いいたします。とくにホームページの「語り合う」への参加と来館をお待ちしています。館内の展示もゲノムを中心に新しく展開しています。

2015年

新しい年が始まりました。

実は、今年から年度が1月~12月となりました(これまでは4月~3月)。子どもの頃から、4月の桜と共に始まり3月に終るというパターンできましたので、慣れるまでに少し時間がかかりそうです。

昨年のSTAP細胞騒動に象徴されるように、今科学の世界は揺らいでいます。一つは、学問の基本です。自然科学という名にふさわしい知であるためには、17世紀科学革命で生れた「科学」をそのまま継承するのでなく、新しい展開をしなければならない時に来ているのに、それをじっくり考える雰囲気がありません。生命誌研究館はそれを求めています。少数とはいえ本質を考えようとしている仲間はいてくれますので、一緒に新しい知を探っていきたいと思います。

もう一つは、社会全体のことです。小さな組織ですから、社会へ向けての活動を本格的に行なう余裕はありません。けれども、「人間が生きること」を大切にせずに、格差を広げている今の社会のありようは、生命誌のコンセプトにはまったく合いません。格差社会を変えることにつながるような生命誌の発信を続けていきたいと思います。

今年の動詞は「紡ぐ」です。綿・まゆ・羊毛などから繊維を引き出し撚りをかけて糸にするのがこの言葉の意味です。先日、オーストラリアのアボリジニの研究をなさった文化人類学者の上橋菜穂子さんに「糸を紡がれたことあります?」と聞かれました。残念ながらありません。フワーッとしているものに撚りをかけると強いものになっていくことが指でわかり、紡ぐってこういうことなんだと実感するとおっしゃるのです。そこで、「異世界の物語を紡ぐ」国際アンデルセン賞受賞の物語作家上橋菜穂子が誕生したというわけです。紡いだ糸だからこそ二次元、三次元の世界を織りあげていくことができるんだと改めて納得しました。

とにかく、しっかりした糸を紡ぐことが今年の課題です。このホームページに書き込んだり、館を訪ねて下さったり、一人でも多くの方が糸紡ぎに参加して下さることを願っています。とくに書き込みは、お家でも電車の中でもできますから是非。

2014年

20年間のまとめをしましたら、浮かび上がったのはやはり「人」でした。周囲にすばらしい方がたくさんいて下さるのはありがたいことです。そこから学び次の段階へ進みたいと思います。その一つ、20周年にいただいた応援メッセージを見ます。生物学仲間のものはもちろん、とても大事ですが、ここでは少し外側に眼を向けます。

毎年来館して下さる高村薫さん「私のような素人が一つ一つの研究に心底どきどきし、小さな一歩に興奮し、毎年積み重ねられてゆく表現に感服する、まったく奇跡のような研究施設だと思います」。風と水の彫刻家新宮晋さん「生命誌研究館から発信されるニュースや活動は、私が自分の生まれたこの星について本当は何も知らないことを教えてくれます。いつも私を地球に到着したばかりの宇宙人になったような気持にしてくれます」。すてきなお二人からの嬉しい言葉に緊張します。松岡正剛さんの「編集的生命観」、「一途で多様」は、ズバリそうありたいと思っていることの指摘です。中沢新一さんは「女性性と日本人性とのたぐいまれな結合」があり、「結びつけ編み上げる技に巧み」との評です。女性・日本人は、言うまいと努めながら底の底ではこれしかないと思っていることです。演出家の遠藤啄郎さん、「私達のめざす『語る演劇』それは近代劇への反省から始まったものです。『語る科学』それは私達にとっても力強い味方です」は逆に『語る演劇』が私たちの味方です。音楽、演劇、建築、宗教などさまざまな分野からの応援は書き切れませんが、すべての言葉を噛みしめています。

生物の歴史の中で、現存生物の基本が出揃った5億年ほど前のカンブリア大爆発。その時生まれたさまざまな形の生きものを生み出す遺伝子は、それより数億年前に準備されていました。飛躍のためには、その準備をていねいにしておく必要があります。結局一歩一歩進むというのが答でしょうか。

今年も、生きものと向き合い、その物語に耳を傾け、生命・人間・自然・科学・科学技術・・・現代文明について考え、生き方を探す旅を続けます。メンバー一人一人が自分の仕事をよりよいものにすると同時に、社会の一員としての責任を果たす組織として、新しい何かを求めていきます。

2013年

いよいよ20周年です。生きものと向き合い、その物語を聞き、生命・人間・自然・科学・科学技術・・・広く言うなら現代文明について考え、納得のいく生き方を探す旅に終わりはありませんが、節目として意味のある年にしたいと思います。

「生命誌研究館」という言葉を見つけ、とにかくそれの具体化に乗り出した時と今とでふしぎなほど気持は同じです。あまりにも同じで、物足りなくさえ思います。問い続け、考え続けてきたつもりですし、考える切り口として新しいものを求めてきました。ある時は真核生物の誕生こそエポックだと思ってのめりこんだり、上陸の魅力にとりつかれたりとあちこち歩きました。ラボでの研究もオサムシや藻類を用いての進化の物語の探求、チョウやニワトリを用いての発生の研究に始まり、現在のチョウ、クモ、イチジクコバチ、イモリ、カエルなどへと・・・どの研究も面白い展開になってきました。これまでの館のメンバー一人一人を思い、支えて下さる方を思う時、このような人と仕事に恵まれ、研究館は運がよいとつくづく思います。

この20年、当初構想した「生命誌研究館」をはみ出ることはありませんでした。ここ数年、とくに東北大震災以後は、これでよいのかと考えましたが、何を考えても結局20年前と同じことが浮かんできます。基本は変わらず、しかしいつも新しいことに挑戦するこれからにしたいと思います。

基本として、0年の「生命誌絵巻」、10年の「新生命誌絵巻」に続き、20年の「生命誌マンダラ」が生まれました。「生命誌マンダラ」で表現している基本は階層性です。真中にあるのは細胞、生命の基本であり、その中には必ずゲノムが入っています。具体的には受精卵を考えるとわかりやすくなります。それがさまざまに分化した細胞を生み、組織が生まれ、器官が生まれ、個体ができます。どの段階でも基本的には同じゲノムがはたらいています。そして、一つ一つの個体が独自のゲノムのはたらきで動いています。人間で考えるなら「私のゲノム」があり、それはヒトゲノムという種を表現するものでもあります。つまりゲノムは階層を貫いています。これは本当に面白いことです。階層性を考え、個体を考えるという大切な切り口を見せるのが「生命誌マンダラ」です。一つの個体ができ上がる発生の時間と、一つの個体の中でのさまざまな関係を示すものでもあります。

「三枚の絵」を見ながら、生きものと向き合いその物語を聞き、生命・人間・自然・科学・科学技術・・・現代文明について考え、生き方を探す旅を続けます。メンバー一人一人が、自分の仕事をよりよいものにし、全体の活性化に努める組織として。

2012年

この一年、考えさせられることがたくさんありました。しかし、昨年も書きましたように生命誌としては、生命・人間・自然・科学・科学技術という基本を地道に考えながら実験・表現という方法を通した活動ができることに感謝し、それをより徹底していこうと考えています。

昨年度はBRHで長い間続けてきた研究がそれぞれよい成果を出し、面白いところへ動き始めました。みんな張り切って活動し、実験と表現を組み合わせた発信を続けています。また外の研究者、とくに若い方達と一緒にこれから大事な研究について考える機会をいくつか持ち、考えるという活動も動き始めています。今生きもの研究はブレークスルーを求めています。それを探したいと思っています。

ホームページも新しくしました。いつも、コンピュータが得意でない私が使いやすいものというところから出発します。これまでの本棚も悪くなかったと思っていますが、今度はBRHの建物に入っていただくことにしました。玄関を入り、生きものの面白さを研究や表現を通して考える私たちの日常を訪ねてみてください。季刊生命誌のサイエンティストライブラリー70人の研究者の蓄積を眺めていたら、これはアーカイブとして活用したいと思いました。研究も対談も興味深いものに満ちています。今年はアーカイブをつくります。楽しんで下さい。

昨年の体験は、価値観を変えることの大切さを教えており、それは生命誌が求めている方向への転換だと考えています。でも、この転換を最も敏感に受けとめて欲しい政治に関わる人たちは、相変わらず権力志向です。今大事なのは「生きる力」。以前から文科省は子どもたちに「生きる力」をつけようと言っており、その大切さは認められています。この力を生かすには、権力志向を止めなければなりません。でも復興へ向けての大きなお金は権力で動かされています。一人一人が生きていることを大事にする社会へ向けての提言をしながら地道に活動するしかありません。

私たちからの発信に対して一言書き込んでいただく場を設けています。是非たくさん書き込んで下さい。高槻を訪れて下さること、ホームページに参加して下さることなど、さまざまな形での応援をよろしくお願いいたします。御希望もおっしゃって下さい。今年も何か新しいことができることを願っています。

2011年

今年は準備室を開いてから20年、これまでを振り返りこれからを考えようと、これまでに書いた「ようこそ」を読み返してみました。生命誕生から38億年間連綿と続き多様化してきた生きものの歴史を読み解き、その中での人間の生き方を考えるという基本は変わっていませんが、具体的なテーマは少しづつ変化し、周囲との関わりも変わってきているのがわかります。そして昨年は、“自然の大きさを感じ謙虚にならなければならないというメッセージが外から送られてくるようになった感じがします”と書きました。

そこへ3月11日の東日本での大きな地震と津波、それによる原子力発電所の事故です。まさに自然の大きさを実感すると共に、くり返し聞かされてきた「科学技術立国」とは何だったのだろうと考えこまざるを得ない実態を見せつけられました。

報道される災害の凄惨さになんと理不尽なと思いながら、なす術はおろか語る言葉さえない無力さに打ちのめされました。その中での、被災された方たちの強さと柔らかさにはただただ頭が下がり、大地に根ざした人間の力を感じました。「何もかも失ないましたけれど人の絆があります、経験と技術があります」などと語る表情のなんと魅力的なことでしょう。ゴシャゴシャになった頭を整理すると、結局生命誌としては、自然・生命・人間・科学・科学技術という基本を地道に考え続けることが大事というあたりまえのところに落ち着きました。

実は今年は、思い切って「人間」を考えてみようと思っていました。昨年まで、上陸に向けてきた眼を次はどこへ向けようかと考えた時、自ずと浮かんできたのが人間だったのです。難しいけれど、生命誌からの人間観を少しづつでも組み立てて行きたいと思っていたのです。そして3月11日です。

それ以降、新しい日本を作っていく基本は生命誌ではありませんかというメールやお電話を何人もの方からいただきました。ありがたく思い、ほんの少しでも人間のことを考えてみようと改めて思った次第です。

少々面倒なことを書きましたが、大声を出すのは苦手なので、日常は生きものの面白さを楽しむ活動をしながら、ゆっくり考えます。是非遊びにいらして下さい。きっと何かを感じていただけると思います。また今年はホームページを更に充実しますので、ここも訪問して下さい。そして書き込みをたくさんお願いします。訪れて下さること、さまざまな形で参加して下さることが何よりもありがたいのです。今年も何かを御一緒できたら嬉しく思います。

2010年

「生命誌研究館」という六文字にこめた思いは、今年も変りません。それは、地球上での生命誕生から38億年という長い歴史があってこそ私たちはここに存在しているのであることを忘れないことです。そして、その間に生れてきた仲間たちとの関わり合いを楽しむという生きものとしての生き方を大切にすることです。このように基本は変らない中で、少し変ってきたことがあります。

これまでは、このような考え方をするのは限られた人かもしれないけれど、その中で語り合い、研究をし、表現をしていく場を作っていこうという気持で活動してきました。基本を大切にすることが重要であり、輪を広げることに重きを置くと基本が失なわれる危険があるからです。その中でやっと、“輪を広げる努力” がよい効果を出す時が来たという実感が持てるようになりました。これまで経済にだけ価値を置き、競争をあおり、格差社会を作ってきた米国や英国から、このような社会はいわゆる “勝者” にとっても決して幸せをもたらすものではないという考えが送られてくるようになってきました。自然の大きさを感じ、謙虚な気持にならなければいけないというのです。少し世の中が変ってきました。もっと早く気がついて欲しかったと思いますが、気付いたところからは仲間です。自然や生命を基本に置く社会つくりへ向けて生命誌を生かして欲しいと思い、お手伝いできることはしていきたいと思います。

今年新しく生れた展示は「生きもの上陸大作戦」です。生命の歴史の中で、水中から陸上へ生活の場を移すという変化はとても大きなものだったろうと思い、そこに眼を向けてみました。というより、生きものたちが上陸しようという決心をした時の気持になってみよう、そうすると生きるための工夫があれこれ見えてくるだろうと思ったのです。まさにその通りでした。植物の乾燥に耐えるための工夫、昆虫の空中へと飛躍する翅づくり、脊椎動物のアゴや脚ができていく過程を追うと生きものの面白さに圧倒されます。あれこれ理屈を言うより、生きものの気持になってその面白さを楽しむのが基本です。是非来館なさってこの感覚を味わって下さい。ホームページへの参加もよろしくお願いします。今年はこれまで以上に開くことに努めたいと思いますので、是非御意見をお聞かせ下さい。

2009年

「生命誌研究館」の出発の時に描いた「生命誌絵巻」。ホームページの表紙にもなっています。地球上の生きものはすべて、38億年ほど前に誕生した細胞を祖先とし、多様化してきた仲間であることを示すもので、ここに、さまざまなメッセージをこめています。その中の一つ、しかも最も大事なことは「この絵の中に私たち人間がいる」ということです。あまりにもあたりまえですが、最近の社会を見ているとこれをもう一度よく考える必要があると思うのです。世界規模での不況が起き(経済は人間がつくり出したシステムなのに自然に不況が起きたような言い方は変だなと思いますが)、それへの対処として経営者が解雇という対応策をとりました。従来企業は仲間社会とされてきましたが、そうではなく、経営者は働いている人々を外から見ているような判断をしたのです。現代社会では、論理を重視し(それは科学的と言われます)、外からの視点をよしとします。それは生きものたちにも向けられます。人間は他の生きものたちの作るシステムの外にいる視線で動いているのではないでしょうか。名古屋で開催されるCOP10のテーマが「生物多様性」ということもあってこの言葉があちこちで聞かれますが、その時も人間は外から「多様性」を考えてやるのだという姿勢が見えます。「中にいる」。生命誌はこの感覚を大事にします。生きものの中にいる、すべての人の中にいる、日本の中にいる、研究者の中にいる、館の中にいる・・・中にいる存在として考えていきます。どうぞ中にいるつもりで、ホームページに書き込んで下さい。高槻へいらして下さい。

2008年

「生きものはつながりの中に」。これは小学校六年生の国語の教科書(光村図書)に書いている文の題です。進化、発生、遺伝などの生命現象はすべて、時間のつながりを示しています。その結果、すべての生命体は空間的な関わり合いを持ちます。つまり、生きものは時間と関係の中にあるわけです。しかも、このつながりは常に変化しています。変化をしながらつながっている存在を生み出す基本が知りたい。それが生命誌研究です。実際に基本を探し出すのは難しく、身のまわりの生きものたちをよく見つめ、科学の方法で基本を少しづつ解き明かしています。息の長い話です。

一方、国語の教科書は、小学生がみごとに読みこなし、生きものの本質がつながりの中にあることを理解してくれています。私が今ここにいるのは、お父さん、お母さんはもちろんのこと、おじいさん、おばあさん、更に遠い祖先があってのことだと気づき、おばあさんに優しくなれたという手紙をくれた子がいます。豚肉やホウレンソウが、体の中で一度分解された後、自分の体をつくる材料になるという事実から、他の生きものたちとの共通性を実感したと話してくれた子もいます。私たちも生きもの。学問としての理解は難しいけれど、日常の中でつながりを感じることは誰にもでき、それが大切なのです。そんな日常の話をどんどんホームページに書きこんで下さい。また館を訪ね、私たちのメッセージを受け止めて下さるとありがたく思います。

2007年

「生きている」ということを考えている人間としては、最近の社会の動きはとても気になります。唯一無二のいのちをもち、一生を過すことの大切さ。改めていうまでもないことだと思いますのに、たかがお金、たかが権力のために、生きることを貶めているとしか思えない行動や言葉が横行しています。勝ち組、敗け組などという考え方は品がありませんし、傲慢としか言えません。実は、「自殺総合対策懇談会」の座長をつとめました。そこで“生きにくさ”について考えさせられ、皆が生き生きできるようにしたいという思いを強くしました。研究館はじっくりと、そしてゆっくりと「生きている」を見つめ、「生きる」を考える場であり、現在の社会の流れには与せず、基本に忠実であろうとしています。でも、ここだけは別と言っているのはいけないでしょう。社会の一員としてどうしたらよいか。教育基本法も憲法も、「生きる」を基本に考えなければいけないことだと思います。

今年が、ほんの少しでもよかったと言える方向に進むようにしたいと思います。

研究館は、少し近づきにくい存在でしょうか。基本は守りますが、決して固苦しい所ではないと思っています。気軽に訪ねたり、ホームページに参加して下さって、少しでも生きやすい社会に向けての活動を応援して下さい。

2006年

生命誌研究館を始める時に、その考え方の基本を書いた「自己創出する生命-普遍と個の物語」を筑摩文庫に入れていただけることになり、読み直しました。「21世紀は生命をスーパーコンセプトに」と願って研究館を始めた時の基本は、今も変らない、一生懸命考えてある(自分で言うのはちょっとはばかられますが)と思いました(手にとりやすい文庫になりましたので読んでいただけるとありがたく思います)。ただ、13年間の具体的試みの中でわかってきたことは、「生命」という言葉では、いくらスーパーコンセプトなどと張り切ってみても考えが進まないということです。これを「生きている」と「生きる」に砕くとよいことに気づいたところで、肩肘張らなくてもやるべきことが見えてきました。動詞で考えることの大切さを改めて実感しています。

そこで今年は「関わる」。「愛づる」「語る」「観る」というテーマでの活動はそれぞれの年の年刊号にまとめました(これも是非お読み下さい)。昨年は「観る」について考えた結果、「生命誌から生れた世界観」が見えてきました。この世界を見ている「私」は、世界の外にいるのではなく、中に含まれています。しかも私は、長い生きものの歴史の中で生れたのであり、世界の中にあるすべてとつながっています。まさに「関わる」です。これまでの経緯は昨年のようこそBRHにあります。是非読んで下さい。

研究館を訪れたり、ホームページに参加したりという形で皆さまの力で生命誌を育てて下さい。実は今年はホームページを刷新し、入りやすく、書きこみやすくするつもりです。是非どんどん参加なさって下さい。

2005年

「高槻ってどこ?」今もまだ聞かれます。JR京都線の京都と大阪の真中で、どちらからも15分足らず。BRHはその駅から歩いて10分足らずの便利なところです。

玄関を入ると正面にあるDNA二重らせんを模した階段を使った「生命誌の階段」も少しづつ充実してきました。一段が一億年。壁に描かれた各時代の生物を見ながら4階まで登るとき感じる疲れが、38億年という生命の歴史の長さを実感させてくれます。是非いらして下さい。

なぜ東京でないの?これもまた聞かれることです。「生きものの面白さを知り、生きているとはなにかを考え、生命を大切にする社会づくりにつなげる場」としての研究館活動は、「経済と科学技術万能」に対して、多くの人が抱いているこれでよいのかなという疑問を共有しています。それをじっくり考えて発信するのは、東京以外の方がよいような気がします。東京にあれば、もっと活動しやすいだろうと思うこともしばしばですが。

年間テーマを動詞にすることにしてから3年。動詞にしたのは静ではなく動、そして行動することを考えたからです。最初は「愛づる」。本質を見つめた時に生れる愛は生命誌の基本です。昨年は「語る」。実験研究と表現研究を二重らせんのように組み合わせて行く活動の中で、大量のデータを生命現象の理解につなげ、そこから新しい自然観、生命観を創りあげるには、「語る」という作業が必要であることを痛感しました。そして今年は「観る」。日常の中でもう一度自然や生きものを「観る」、新しい技術で見えるようになってきた細胞や分子の世界を「観る」、更には自分を見つめる(内観)など、観るという切り口で考えます。もちろん「愛づる」「語る」が終わったわけではありません。どちらにも「観る」が不可欠です。

12年という年月の経過が、それなりの存在感につながってきたことを実感しています。38億年に比べて短い短い年月ですが、一年一年積み上げるしかないと考えて、今年の展開を考えます。研究者仲間からの評価はさまざまな共同研究につながっていますし、美術や音楽などの分野からのお誘いも増えました。教育への参加、地域からの要望など、小さな組織ですので、何でもというわけにはいきませんが、質の高い活動を求め、深さと共に広がりを大事にして行こうと思います。その一つとして、今年は医学部の1年生を意識した「生命誌講議」をまとめます。季刊「生命誌カード」の最後に入れて、多くの方に楽しみにしていただいているポップアップを、「生命誌コ-ギ」にしました。医学生に生命について考えて欲しいという気持ちから始めたものですが、多くの方に一緒に考えていただきたいと思い、先端医療と生物学という固いテーマの表現に取り組みました。御感想、御意見をいただけたら幸いです。

今年も、時に悩み、時に新しいことに挑み、あれこれ考え・・・楽しく活動を進めていきますので応援をお願いいたします。ホームページの書き込みや実際に来ていただけることなど、どれも励みになります。よろしくお願いいたします。

2004年

「生命誌研究館」の活動を理解し関心を持って下さる方がふえているという実感はあるのですが、よく“高槻ってどこ?”と聞かれます。JR京都線の京都と大阪の間、しかもちょうど真中で、どちらからも15分足らず、駅からは徒歩10分足らず。便利な所です。ぜひいらして下さい。

東京にあればもっと活動がしやすいでしょう。でも、科学技術と経済万能の時に疑問をもち、「生きものの面白さを知り、生きているということについて考え、生命を大切にする社会づくりにつなげる場」として研究活動をするには、東京から離れている方がよい面もあります。生命が関わるのは食べもの、健康、環境、教育など生活そのものですから、地域性が生かせます。大阪府であり、高槻市であることを生かした地道な活動を大事にしたいと思います。

実験研究のグループと表現法を研究してものづくりをするグループの協力が研究館の特徴ですが、年を追って、この二つの関係が非常に深いものであることがわかってきました。研究成果を適確に美しく表現して、多くの人に共有できるものにするというところから出発し、さまざまな試みをした結果、次の二つが見えてきました。一つは、研究現場から出された大量のデータを実際の生命現象とつなげるには、それを言葉や絵画(含、映像・CGなど)でいかに表現するかという研究が不可欠であり、実験研究と表現研究との共同による新しい研究スタイルの探求が必要だということ。もう一つは、研究成果を統合して物語りを産み出し、新しい生命観、自然観を提示すること。この二つは、「生きものの面白さを知り、生きているということについて考える」ために大事なことであり、研究館の特徴が大いに出せることなので、今年はこれを試みます。表現は単なるコミュニケーションではなく、生命を知る本質だということがわかってきたのは発見でした。もう一つ、「生命を大切にする社会」に向けての活動の具体化も進んでいます。今年は、大学と協力して生命誌を基本にした生命観、人間観の教育を考えます。

「愛づる」、つまり本質を見つめた時に生れる愛は、生命誌の基本として今年も大切にしていきます。

カードとWebと本という形での外部への発信は、相変わらず賛否両論です。方法も内容も検討の余地がありますが、まだどこでも試みていないこの方法の利点、欠点を見極めるためにももう一年続けます。

二十万羽の鶏を埋めたことが象徴する私たちの生き方は、眞剣に考え直さなければいけないでしょう。岡田節人特別顧問の「あの現場に花を供える人がいなかったことを忘れない」という重い言葉を基本にして今年も活動していきます。多くの方に一緒に考えていただきたいと思います。御意見、御助言、更には活動への参加をよろしくお願いいたします。

2003年

「生命誌研究館」も10周年です。生きものの面白さを知り、生きているということについて考え、生命を大切にする社会づくりにつなげる場として研究や活動を続けてきましたが、このような場の存在はますます強く求められていると実感しています。

生命科学があまりにも「試験管の中の生命」に集中し、しかも社会からは、それを技術や産業につなげることだけを求められる状況になっているのがとても気になり、自然の中の生命、私たち人間の生命をよく見つめようとしてきたことも、ますます重要になっていると思います。

研究館には、実験研究をするグループと表現法を研究して具体的なものづくりをするグループとがあります。両者の協力が私たちのユニークさ、オリジナリティーのもとであり、それを支えているのは皆が共有する価値観、Philosophy です。それは最初に書いた「生きものの面白さを知り・・・」ということですが、これを一言で表現する言葉を見つけました。「愛づる」です。物事の本質を見極めた時、自ずと生まれてくる愛を表現するやまとことば。まさに生きものの研究の基本です。10周年である今年はこの「愛づる」をテーマにし、全館の協力をより強くして、生きもののみごとさ、生きていることの大切さをさまざまな形で研究し、表現して行きたいと思います。秋には記念行事もいたしますので是非御参加下さい。

昨年は、雑誌でなくカードとwebを組み合わせた発信をしたところ賛否両論。季刊の生命誌ジャーナルをまとめ「生命誌2002 人間ってなに?」という本を作りましたので、とくに「否」だった方、紙でゆっくりお読み下さい。カード、web、本の組合せ。今年も少しずつ改良しながらもう一年試みます。

自然、生命、人間を基本にすえる立場から見ると、よい方向に向かっているとは思えない社会。小さな力ですが「愛づる」を基本に私たちらしい活動をしていきます。ご意見や助言をよろしくお願いいたします。生命について考える仲間として参加して下さい。

2002年

生きものの面白さを知り、生きているということについて考え、生命を大切にする社会づくりにつなげる「生命誌研究館」も9年目に入りました。早いですね。多くの方のおかげで、皆で考え楽しみながら私たちらしい独自の仕事ができたと思っています。

岡田節人先生が名誉顧問になられ今年から館長です。あまり向かないのですが、皆と一緒に楽しもうと思います。よろしくお願いします。

これまでは、生命科学があまりにも「試験管の中の生命」に集中しすぎていることを危ぶみ、「自然」を考えましょうということをテーマにしてきました。ところでもう一つ大きなテーマがあります。「人間」です。これからの10年間は、「自然」に加えて「人間」も考えます。今年はその第一歩。「人間ってなに?」の手探りです。何が見えてくるか…。もう一つ。活動を広げるためにホームページ、メールマガジンなどWebの活用に挑戦します。ちょっと工夫したサロンも開きます。新しい試みに参加して下さい。Webというメディア自身まだ問題を抱えていますし、私たちも慣れていません。よいものになるまで時間がかかるかもしれませんが「表現の研究」です。どんどん意見をお願いします。

2001年

生きものを知り、考え、生きものを大切にする社会へとつなげる場である「生命誌研究館」も8年がたちました。多くの方のおかげで、皆で考えながら私たちらしいことを楽しく進めて来ることができました。ところで、創立当初のメンバーのほとんどは、ここでの成果を認められて大学などへ招かれ、新人と入れ替わったので再び30代が中心の若い雰囲気の場になりました。生命誌第二期も面白く展開しそうで楽しみです。応援をお願いします。

旧メンバーの転出先はBRHサテライトラボと考え、これからも仲間としてやっていきたいと思います。BRHは小さな組織ですが、こうして日本中、世界中に広がった組織でもあります。生きものについて、人間について考える活動ならすべて、芸術も哲学も含めて多くの方と手をつないでいきたいと思っていますのでよろしくお願いします。

21世紀に入り、社会はなんだかよい方向へ向いているようには見えません。本当に大切なものは何か。私たちの活動は、一見のんびりしているように見えるかもしれませんが、事件、事件と騒いでいるうちに方向を失う方が怖いのではないでしょうか。

生命誌という視点での研究や展示など、この館にいらして、ゆっくり考える時間を持っていただけたら幸いです。きっと何かが見えてくると思います。

お待ちしております。